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クリスマス・イブに考える

2007年12月24日 09時56分18秒 | 宗教を考える

今日は、クリスマス・イブです。
「イブ」とは、eveninng (夜)と同義の古語(even)の語末音が消失したものだそうです。
転じて12月24日全体を指すこともあります。
ちなみに、12月23日を「クリスマス・イブ・イブ」と呼ぶ人もありますが、これは日本独特の表現です。

     

多くの国では、クリスマスは、家庭で過ごす日とされていますが、一昔前の日本では、どうもこの意味が理解されていなかったのですが、最近は、本来の意味に近づいてきているようです。

元々日本人は、キリスト教自体に余り深くは知らないことばかりです。
キリスト教に限らず、日本人の宗教観は、相対的に淡白で寛容であり、こだわりがないようです
江戸幕府がキリスト教禁止令を出して以来、キリスト教の信仰者は、虐待されほとんど消滅状態でした。
終戦以来、日本人は、自らは無宗教主義者と称している人が多いようです。
が、生まれたときは、初参りや七五三で神社に行き、大晦日ではお寺で除夜の鐘を撞きお正月には、神社にお参りし受験などでは絵馬に願い事を書き結婚式では、神前、仏前、教会で亡くなれば読経を読むというふうに、全く節操がありません。            

自然と生活にたくさんの宗教が入っているのですが、その信仰の程は分かりませんが、結構これで満足しているのではないでしょうか?
宗教行事も一つのイベントと考えているのです。
その意味に置いて、日本人の宗教は、雑神教とか混神教とかであると言えるのではないでしょうか?(全くの僕の造語ですが・・・・)
この状態になったのには、幾多の歴史があり、日本人の形成と大きく関わりがあったことを忘れてはなりません。
良いとは言えないまでも、決して悪いことではないと、僕は思うのですが・・・・

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現在のローマ教皇のペネディフト16世は、12月8日に次のようなコメントを出しています。
「現代の消費社会の中で、この時期は商業主義に”汚染”されているのは残念なことです。聖誕祭の精神は”精神の集中”と”落ち着き”と”喜び”であり、この喜びとは内面的なもので、決して外面的なものではない」と・・・・