歴史の辞典などを調べると、封建社会から市民社会や資本主義社会への移行する時に起こる革命を「市民革命」あるいは「ブルジュア革命」といって、それの確立がなければ真の市民は存在されないと言われているのですが・・・
では、日本には、そのような革命がなかったので、本当の市民はいないのでしょうか?
否、日本にも革命とは呼ばれないにしても、それと同等の革命があったのではないでしょうか?
今日の絵は、”古き良きもの・・・” F6号
革命という本来の意味は、漢語で言えば中国で王朝が交替する易姓革命のことで、マルクスがいう革命とは全く別物で、英語でいうrevolutionですが、この意味での革命も本当にそれほど素晴らしいものとはとても信じられません。
最近でも世界で起こった革命を見ても、中国の文化大革命、カストロのキューバ革命、イランのホメイニによるイスラム革命などを考えても、どう考えてもその国が素晴らしい国になったとは思えないのですが・・・・
日本の歴史では、革命とは呼ばれないにしても、全く別の形で革命を繰り返していたのです。
織田信長の比叡山焼け討ちは、それまで危険な武装集団である宗教集団をおとなしくさせ、改造したのは大きな革命だったのです。
豊臣秀吉の太閤検地も革命と呼ばれてもおかしくないものです。
全国の土地を石高という単位で統一し、大名の収入を安定させたもので、今までの律令制度、荘園制度を破壊し、土地の所有権を一人に耕作権を与え、小規模農家が自立出来るようにする農村革命だったのです。
明治維新も一種の革命であったのです。
しかし、この革命にも多くの犠牲の上に成り立ったことを忘れてはなりません。
そして、安土桃山時代、江戸時代の政権は、日本式のなし崩し革命によって、かなり快適かつ気楽に暮らせる社会や文化を築き、悲惨極まりない市民革命などを起こす必然性などなかったのです。