自分達の生活が少しずつでも良くなっていることを実感すれば、その社会は安定し続けます。
終戦後の日本で、あれ程苦しい生活をしながら、暴動や革命が起きなかったのは、希望があったからではないでしょうか?
江戸時代が265年も続いた大きな理由は、多少の起伏はあったにせよ、生活が少しずつ豊かになっていくことを人々が実感していたからなのです。
江戸時代に「塵塚談」という随筆集があり、そこには、当時の人々の日常生活が載っています。
現代風に書き換えて紹介すると・・・・
「最近の八百屋は、いもやごぼうその他の野菜をすぐに調理できるようにきれいに洗って売っている。 最初は江戸の中心地である日本橋の八百屋が始めたが、今は江戸中どこでも同じように売っているから、調理するのが簡単になった。」
豆腐屋についても「田楽や八杯豆腐のように手間のかかる切り方をする場合は、買う人の注文に合わせて切ってくれる」
今日の絵は、有馬富士の麓の農家で見かけた”つるし柿”です。 F6号
今では、スーパーの野菜はきれいに洗ってあるのが普通だが、19世紀始めの江戸ではもう泥つきでは売っていなかったのです。
しかも、「最近は、」と断っているように、もともとは農家が市場に卸したままの泥つきで売っていたのが、いつの間にか洗って売るのが当たり前になったのです。
魚屋や魚売りでも同様に、「客の要求に応じて、刺身にでも煮魚用にでも尾や頭も捨てずに丁寧に作って売ってくれる」と書いています。
しかし、値切ったりすると、「私は売りたいのだが、魚がいやだといっているから売らない」などといっていたと言うことも書いています。
そして、「最近は、物質的にもずっと恵まれるようになって、家も家財道具も立派になったのに、心はかえっていやしく、外見を飾り欲が深く軽薄になった。」
「老人や道徳家と呼ばれる人達は、昔はこうではなかったと理屈をつけて嘆いている」とも書いています。
このこと一つをとっても、江戸時代の生活水準が向上していることが分かると同時に、今も江戸時代の人々もあまり変わらないようで、面白いものです。
(注)八杯豆腐・・・・これは「豆腐百珍」に書いてある江戸の料理で、水六杯、酒一杯、醤油一杯の合計八杯の煮汁で絹ごしをさっと煮てから、大根おろしをかけて食べるサッパリとした料理だそうです。