秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

吉備路サイクリングロード③

2010-04-09 | 旅・中国&四国地方
吉備路自転車道は道に迷うまで、とてもスムーズに快適に進んでいました。
前半でどこを訪れたか記録に残しておきます。
9時55分、総社のレンタサイクル店出発。

★吉備総社かけあし観光

総社駅から備前一宮へ向かう方向とは逆の場所に宝福寺(臨済宗東福寺派の禅寺)があります。
柱に縛られて涙でネズミを画いた雪舟さんが幼い頃修行したお寺です。
そこまで行って見物すると1時間はかかるといわれたので今回はパス。

それで一番最初に行ったのは「まちかど郷土館」ここまで自転車で10分程度です。
ここまでの道は瓦葺・白壁で築かれた古い家もまだまだたくさん残ってました。
しかし点在しているので、観光地として整備するのは難しいような…


   
まちかど郷土館は入場無料で、ボランティアのおっちゃんがいて説明してくださいます。
明治43年建築の旧総社警察署の建物です。
多角形の楼閣入口から二階へ上がると、備中売薬や鉄の歴史の展示がありました。
富山の薬売りは全国を廻っていたけれど、備中は西日本中心だったそうです。
子供の頃にこうした薬売りのおっちゃんに紙風船をもらったことを懐かしく思い出しました。



その明治風建物右横に「総社宮」の鳥居があります。

市名の由来となった総社宮は備中国324社を合祀する神社、総社は門前町として発展したそうです。

「古代日本の国司にとって、着任後最初の仕事は国内の全ての神社を巡って参拝することであった。
平安時代になって国府の近くに総社を設け、そこを詣でることで巡回を省くことが広まった」

実際に全社を巡拝するのは、車のある現在でも大変。
一つの神社で済ませるなんてうまいこと考えたもんです。
でも国家安寧や五穀豊穣等を祈願することも仕事なのに、手抜きというか、それで祈ったつもりというのもなんだかなぁですけど。

あっという間に総社の町中を抜けて、
10:35 作山古墳(総社市加悦町)
  

10:45 角力取山古墳 ここにたどり着くのにも迷いました。
    近くに古山陽道の石碑がありました
  

11:00 備中国分寺


11:30 造山古墳(岡山市北区)
  

★ふたつの「つくりやま」古墳
作山・造山、どちらの古墳も「つくりやま」と読みます。
地元では作山は「さくざん」、造山は「ぞうざん」と区別して呼んでるそうです。
陵墓等に指定されていないことから、自由に墳丘に立ち入ることができますが、今回は姿を眺めただけで上には登ってません。

古墳時代、現在の岡山平野南部は内海で、吉備の穴海と呼ばれたようです。
吉備地方の総社市あたりまで海が迫っていたのです。
4世紀からこの吉備内海と呼ばれた近辺に多数の前方後円墳が造られました。

この地方独特の特殊器台・特殊壺は、古墳時代の円筒埴輪の起源とされ日本列島各地に広まり、弥生墳丘墓(楯築弥生墳丘墓)や最古級の前方後円墳(箸墓古墳・西殿塚古墳)から出土しています。

2010/3/17 の産経新聞より
「岡山市にある前方後円墳で、全国4番目の墳丘規模の造山古墳(5世紀前半、全長約350m)で周濠跡が確認され、17日岡山大が発表した。
吉備地方を支配した王の墓とされる造山古墳が近畿の天皇陵と同じように築造され、大王家と肩を並べる力を持っていたことを示す発見として注目されそうだ」

   
仁徳天皇の妃・黒媛は、葛城出身の后に意地悪されて吉備に逃げ帰ったという逸話も残されていて、仁徳天皇が黒媛を追いかけてきたときに吉備津神社を創建したと伝えられています。
そして黒媛はこうもり塚古墳に埋葬されていたことになっています。

古山陽道に沿って角力取山古墳の先に三輪山古墳群もありますが、こちらも遠景を眺めただけ。
三輪にある宮山古墳は、宮山型特殊器台と飛禽鏡が出土し、前方後円墳に葬られる主も大物であったことでしょう。
奈良県にある三輪の大神神社、近くの箸墓古墳から円筒埴輪が出土しています。
どっちが先というよりも、こちら吉備が元祖?