秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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桃太郎伝説の地でもオーブが…

2010-04-05 | 旅・中国&四国地方
岡山の吉備津神社と吉備津彦神社へ行ってきましたが、どちらにもオーブが写りこんでました。
レンズ前にある埃だとか、光の映りこみだと言われますが、どうなんでしょう?

  

吉備津神社(きびつじんじゃ)の本殿は、足利義満の建てた独自の吉備津造/比翼入母屋造。
2年前に新しく建替えられたそうで春の日差しをあびて畏怖堂々としてました。
本堂真ん中にオーブが写り込みました。

吉備津神社の主祭神・吉備津彦は、桃太郎のモデルです。
第7代孝霊天皇の皇子で、崇神天皇10年四道将軍の一人として山陽道に派遣され吉備を平定しました。
その子孫が吉備の国造となり「吉備臣」を名乗ったという。  

本殿右手に有名な回廊が御釜殿へと400mも続きます。
  

上田秋成の雨月物語でも有名な鳴釜の神事が行われる御釜殿には、
吉備津彦に滅ぼされた鬼神・温羅(うら)の首が埋められています。
温羅は朝鮮半島にあった百済国の亡命王子とも渡来人の技術者とも伝承されています。
吉備冠者とも呼ばれ古代吉備国を統治していて、
敗者となっても祀られているのは、その実は愛されていたのでしょう。

吉備の枕詞には「まかねふく(真金吹く)」
一説に吉備国制圧の目的は同国の製鉄技術の掌握であったともされています。


吉備津神社から山裾沿いに自転車で15分ほど走って吉備津彦神社へ。
  

備前国と備中国の境にある神体山と仰がれる吉備中山の北西麓には備中国一宮の吉備津神社
そして北東麓に東面して鎮座するのが同じ祭神を祀る吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)

こんなに近くになぜと不思議でした。
元々は吉備国の総鎮守の吉備津神社は、古来、吉備津彦神社とも呼ばれていたらしい。
中世に吉備国が三国に分割されたときに備中国の一宮となり、
備前国・備後国に分霊が勧請されて、
・備前国一宮・吉備津彦神社(岡山市北区)
・備後国一宮・吉備津神社(広島県福山市)

面白いことに、備前国の一宮は10世紀当初は安仁神社でした。
939年藤原純友の乱で、安仁神社は純友に味方したことでその地位を譲る事となったとされます。
吉備津彦神社の本宮にあたる吉備津神社は官軍(朝廷)に味方したため一宮としての地位を得たのだと。

  

吉備津彦神社は、夏至の日、太陽が鳥居の真正面から昇り神殿の御鏡に入ることから別名『朝日の宮』とも呼ばれるそうです。
最奥にある本殿前にも大きなオーブが…

拝殿右手に樹齢千年の平安杉巨木は昭和の社殿火災の時に被害を受け傷が悪化、
平成になって大手術し半分支えられながらも元気に生きています。
  

拝殿との巨木との間にもオーブ、
古来よりこの杉には竜が宿ると言われているそうです。
  
 
これらの画像のオーブ、すべて同じ位置で、どうやらレンズの埃?
同じ時間帯に写した他の画像にはないから不思議といえば不思議なんだけど。


デジカメを使うようになってから、今までに3回画像にオーブが写っていました。
1回目は比叡山、次が熊野・那智の滝(2006/6/12 オーブの不思議
  
    この時のオーブはいくつかあり飛沫水滴なのかも

そして平泉金色堂(2007/6/17 人も旅人・我も旅人
  

すべて場所が場所なだけにね。