大阪心斎橋の大丸デパート、京都四条大橋西詰めの東華采館、東京駿河台の山の上ホテル
どれも記憶に残る建築物ではないでしょうか。
これらはウイリアム・メレル・ヴォーリズの設計です。
全国各地に教会、学校、病院、住宅など作品数は1600におよび、現在残っているのは約1割程度です。
八幡市内には約30程残されており、和の文化が色濃く残る近江八幡の町中に洋風建築がたくさん見受けられます。
彼の住居跡がヴォーリズ記念館として公開されています。

中は予約が必要なので見てませんが、生活面での配慮と機能性を重視した設計態度がよく表れているそうです。
ウイリアム・メレル・ヴォーリズは、明治38年(1905)米国より来日し、県立八幡高等学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)の英語の教師に赴任しました。
その後建築家として、「建築物の品格は、人間の人格の如く、その外装よりもむしろその内容にある」という信念で多くの設計を手がけました。
ヴォーリズ建築第1号・アンドリュース記念館(以前は近江八幡YMCA )

明治40年にヴォーリズが初めて設計した建物
ヴォーリズにはキリスト教伝道という使命のもとに、それに基づく社会教育理念を遂行する目的がありました。
教師を辞職後も八幡に留まり教育や医療、出版、建築と多彩な事業を展開していきます。
メンソレータム(現メンターム)を日本に輸入し近江兄弟社を設立した人物としても知られます。
市内の子供達への教育として図書館や近江兄弟社学園も設立
ここから先は見てないのですが、他にもこんな建物が残されています。
・ヴォーリズ記念病院
当時不治の病として恐れられていた結核患者の治療を目的とした近江サナトリアムを建設
・旧八幡郵便局
大正10年(1921)ヴォーリズの設計で小西梅三の特定郵便局として建設された。 数多いヴォーリズの建築作品の中でも大正期の作品らしい個性を持ったユニークな建築遺産
NPO法人「一粒の会」が保存、2004年2月に再生
・洋風住宅街
アメリカ式のコロニアルスタイル「レンガ塀、高い煙突、広々とした庭が特徴のアメリカ開拓時代を象徴する建物
今も残るヴォーリズのサインには、名前の下に丸が描かれ、真中に点が打ってあるそうです。
これは、「近江八幡は世界の中心である」と彼独自の世界観を表明したものだとか。
ヴォーリズがこよなく愛した近江八幡は、常に世界を視野に入れていた近江商人と相通ずるものがあったのでしょう。