去年夏、産経新聞経済コラムで編集委員・田村秀男さんの文章を読みました。
経済に疎いものにとっては難しい内容でした。
しかし、第二次世界大戦のきっかけの一つともなったABCD包囲網に貨幣が絡んでいたことを初めて知り、通貨戦争という側面に興味をもちました。
最近中国元の切り上げとかが報道されているので、この機会に記事にしておくことにしました。
田村秀男さんのブログからの抜粋が主ですが、
世界史がお好きな方は、貨幣から見た流れを読んでみてください。
清朝崩壊後、眠れる獅子と呼ばれた中国が、とっくに目をさましていて、すでに世界のあちこちを闊歩していることがよくわかります。
「日本円は国際通貨と呼ばれながらも、海外での流通はごくわずかだ。
日本企業はアジア地域の子会社との取引では円を使うが、残る大半はドル決済である。
中国はその点、国際化で出遅れながらも、東南アジアを中心にじわじわと人民元を浸透させつつある。
日本企業が円を使えず、中国や東南アジアなどで人民元で投資や貿易の決済を迫られる日もいずれ来るだろう」
国際決済や金融取引の基本となる基軸通貨になるには、通貨が世界的に広がらなくてはなりません。
「ドルが基軸通貨になったのは第2次世界大戦末期の1944年、
西側44国がドルを金と固定比率(金1オンス=35ドル)で交換できるよう合意したブレトン・ウッズ体制に始まる。
大戦後アメリカは、欧州復興と発展途上国支援のためドルをばらまいた。
ベトナム戦争もそうだった。
その後も長い間貿易赤字を出しながら、ドルがばらまかれたことによって世界のすみずみに広がった。
米軍はドル札を海外で自由に使えるから、海外の基地や軍事行動を展開できる」
こうして圧倒的に優位な軍事力と政治力によって、基軸通貨になっていったんだそうだ。
少し時代を遡れば、
「17世紀末イギリスは現在の中央銀行であるイングランド銀行を設立。
金銀と兌換できない銀行券を大量発行させて軍費を調達し、フランスなどとの戦争を勝ち抜き大英帝国の基礎を築いた。
19世紀の大英帝国は植民地南アフリカの金資源を独占し、金を軸にロンドン金融市場を世界の金融市場の中心に据えた。
銀本位制の植民地インドは、英国に対し貿易黒字を稼ぎ帳簿上は対英債権国だった。
英国は対印債務を金建てとし、金の対銀相場を切り下げてインドの富を収奪した。
銀本位制の近代中国は「大恐慌」当初、打撃は軽かった。
しかし米ルーズベルト政権の銀価格引き上げ策のあおりで貨幣制度が崩壊した。
蒋介石政権は、英米の支援を仰いで「法幣」を発行し、日本軍の発行する通貨である軍票などの円紙幣の流通を阻んだ。
その法幣も毛沢東の解放区が発行する銀行券「辺区券」に敗れた。
辺区券は統一通貨人民幣(人民元)に更新された。
戦後中国は、国際的に信用度の低い共産主義国家の紙切れに価値を付与するよう腐心してきた。
朝鮮戦争により米国との関係が断絶しても、裏帳簿をつくって人民元とドルの交換レートを固定した。
米中国交正常化後は一貫して人民元をドルに連動させ、
外国企業の投資を呼び込み、輸出を増やして、ドルをため、世界最大の米国債保有国になった。
昨年9月のリーマン・ショック後は台湾やベトナムなど周辺地域・国で人民元の流通促進を図っている。
ブラジル、ロシアなどとも通貨協定を結び、人民元による貿易決済を始める計画だ」
真珠の首飾り作戦っていうのもすでに始まっています。
インド洋沿岸国の港湾建設を積極支援する中国の海外戦略です。
この港を地図の中に点描した時、インドを人の首に見立てると真珠の首飾り見えるから。
アフリカ資源大作戦、ミャンマー縦断のエネルギー回廊などなど、中国は着々と世界帝国目指してたんですね。
眠れる獅子はとっくに起きてたんだ。