籠神社へお参りしたら、裏にある奥宮である真名井神社へ行かないと意味ないとネットでかつて読んだことがありました。
籠神社でのおまいりそこそこに、裏ってどこと探しました。
裏鳥居からでると大きな立看板が
ちょっと分かりにくい看板ですが、たぶん裏手を進むということ?
神社の裏には民家が建ち並び細い道がありました。
そこを百メートルは歩いた。
第1鳥居はありましたけど、どこに神社があるの?
もし一人で出かけてたら不安になって引き返したかも。
坂道を登り小さな山に入り少し山道を登ります。
右手に
天橋立ユースホステルがありました。
左に眞名井神社、右には匏宮大神宮
「匏」なんて読むんだろう…
裏面には瓢箪の模様の中に「匏訓吉佐瓢也」と書いてあります。
「匏」は「吉佐」と訓む 瓢の也
籠神社で100円でわけていただいたしおりには、
「彦火明命が丹後の地に降臨され、眞名井神社原初の神、豊受大神をお祀りされた。天ノヨサヅヲ(ひょうたんのほめ言葉)に天の真名井の御神水を入れてお供えされたので、この宮をヨサの宮「吉佐宮」と云う」
彦火明命って誰?とか、丹波王国の歴史の興味ある方は→
彦火火出見尊と彦火明命
ひとつ前のページに
若狭国府 遠敷の里コース(福井県小浜市)について書かれてあり、
東大寺二月堂のお水取りにつながりびっくりしました。
数段の階段を上がり、眞名井神社の石柱の後ろにお地蔵様がおられます。
波せき地蔵さんだそうです。
立て札にはこう書かれてあります。
「昔大宝年間(約1300年程以前)に大地震の大津波が押し寄せたのを、
ここで切り返したと伝えられ、以後天災地変から守る霊験と子育て、病気よけの妙徳も聞こえる、
又、日本の原点真名井の神へのお取次もされると云うあらたかなお地蔵さんである。
二千五百年(ふたちいほ)鎮まる神の神はかり
百(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく
平成八年八月八日」
大宝元年(701)大地震の十丈の大津波をここでせき止めたと言い伝えです。
古文書では、丹波大震災の時若狭湾の沖合いにある冠島や沓島が当時は一つの島であったが、この時島が沈んで高い山の二つが残ったという言い伝えが残っているそうで。
最後の部分、
「二千五百年(ふたちいほ)鎮まる神の神はかり
百(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく」
不思議ですね~
どういう意味なんだろう…
続く