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「ロシアの街角で出会った人々(茂櫛 勉)」という本はとてもオススメ!

2015年12月11日 01時00分00秒 | 
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 「ロシアの街角で出会った人々」という本は、1992年から14年間、サンクトペテルブルクやモスクワに住んで、街角でロシア人のそのありのままの生きざまを見て、聞いて、一緒に生きてきたその実態を明らかにしたもので、意外と言っては失礼かもしれませんが詩などの文学や美術、音楽、スポーツなどを嗜み、忍耐強く、真面目な一面を持っているのだな^_^;)というのを感じました。

 寒い国柄が人を鍛えているのかもしれません。

特に面白いと思った点は以下となります。

・ロシアではほとんどの家庭が自分たちが住むアパートのほかに、”ダッチャー”と呼ばれる小屋(別荘)を持ち、春から秋にかけて果物、野菜などを収穫し、長い冬に備える
・夏は”シャシリク”パーティを毎日のように楽しみ、短すぎる夏を満喫する
・”ボリショイ”とはビッグ(大きい)という意味で、つまりボリショイサーカスはロシアの中でも一番規模が大きいサーカス
・ロシア人の視力は良く、暗い中でも本が読める
・当初は消費財が不足し、”もしかバッグ”が必要だった
・電車の中では9割以上の人が本を読んでいて驚いた
・ロシア製の自動車は普段はエンストなど故障することがあるが、冬は暖かく窓も曇らず冬は快適
・サンクトペテルブルクは湿気が多いため夏は蚊の大群が襲ってくる
・スラブ人の美しさには正直舌をまいた。素敵な女の子、ハンサムな男子たち、魅力的な婦人たち、威風堂々とした殿方たち
・白夜には感動。白夜についてはアメリカ映画「ホワイトナイツ/白夜」がオススメ
・ロシアの地方社会では自由恋愛が否定され、大部分がお見合い結婚でその習わしを守れなければ村八分だった
・男たちが家庭において担う役割は家の修理で、何でも修理する
・シベリア鉄道は車掌のサービスが行き届いている
・ロシア人は詩や詩吟が好きで、ピアノを弾かない人が少ない
・ロシア人にとって正義の愛国心はウォッカの次に大事なアイデンティティで、5月9日のナチスドイツを打ち破った戦勝記念日は盛大にお祝いされる
・ロシア人の女性は精神的なタフネスさを持ち、仕事・家事・育児なんでもこいでマルチな役目を一度にこなしてきた
・ロシアの家庭ではひとつの夫婦・家庭が、何十人もの子ども(孤児ら)をもらって育てている例が結構多い
・プーチン政権になって教師と医者の給料が引き上げられ、ロシア人の平均の給料値に近づいた
 
 「ロシアの街角で出会った人々」という本は、ロシアの実態を知る上でとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・ロシアではほとんどの家庭が、自分たちが日ごろ住むアパートのほかに、”ダッチャー”と呼んでいる小屋(別荘)を持ち、春から秋にかけて果物、野菜、ジャガイモ、ベリーなどを収穫します。そしていろいろな種類の”サラダ”にしたり、ジャムをつくったり、長い冬に備えるものです。また夏の休暇期間には、家族がそろって”シャクリク”(バーベキューに似た肉と野菜の串刺し)パーティーを毎日のように楽しみます。そして近くの川や森で思う存分遊び、大変短すぎる夏を満喫します。ところが昨今では、そのダッチャーの形態が実に多様化してきました。昔は、猫のひたいほどの土地に、せいぜい4畳半ほどの掘っ立て小屋同然の家があり、残ったところで作物を栽培するというのが一般的だったようです。しかし今では、大きな土地・ダイニング付きの家をもち、すごく立派な内装を施し、家具も揃えてと、見る見るグレードを上げていっています。室内、屋外を問わずプールのあるダッチャーが多いのです。中には1億円を優にこえる別荘が売られています。その広さもさることながら、そうした別荘地は多く環境の非常に良いところを選んで建てられます。森林浴の香りが満ちあふれているのです。まだ多くの点で不安を抱えるロシアですが、不動産に関する法律は意外としっかり整い、人々の財産を守っています。

・モスクワには、ボリショイ・サーカスとおいう一番規模が大きく海外からの旅行客もたくさん集うサーカスと、その昔、ボリショイと呼ばれ、今は”スモール”といわれるサーカスとがあり、たがいに補う関係でもあるようだ。お分かりのように”ボリショイ”はビッグ、つまり大きいという意味。ロシア全体では大小55ほどのサーカス団が存立し、主な市や町にも市民の娯楽として厳然と機能している。

・ロシア人は一般に本当に目、視力がわれわれ東洋人のそれと違うようなのである。ある時、私の知り合いの一人の若い女の人が、すっかり日も落ちて十分に暗い部屋の窓辺で本を読んでいたので、”ちょっとあなたそれじゃ見えないでしょう、電気をつけて読んだらいいよ”とごく自然な親切心で、アドバイスしてあげた。ところが、次に彼女が私に応答した言葉に、私は自分の耳を疑った。彼女は、平然とこう答えたのだった。”これでも私にとっては明るすぎるのよ”そんなことがあろうはずもない!開いている本のページは文字も見えないくらいなのだから。これで明るすぎるというのなら、彼女はもうサイボーグか何かとしか言いようがない。人間の肉体能力をはるかに超えた何者かだという意味である。この経験を通して私は、この世の中また世界には、本当に色々な種類の人々がいるものなんだと改めて実感した。

・私が行った1992年から2、3年間くらいはこんな体であった。それで、家から外に出かける際には、”もしかバッグ”というものを必ず持って出かけることを忠告されていたものである。それは何かというと、他愛もないプラスチック製の袋のことなのだ。これが非常に重要だ!なぜそんな呼び名かといえば、それをうっかりして忘れでもすれば、生活に必要なものを(もしかして)町のどこかで見かけたとき、あなたはその値千金のチャンスをみすみす逃してしまうという、とんでもないミスを犯してしまうからなのだ。すなわち、当時は誰があるいはどこが、そのまさに必要である生活用品を持っていて、売っているのかさえわからないときだったのだ。国営店か、自由市場か、百貨店か、キオスクか、はたまた、道ばたで立って物売りしているおばあさんやおじさんか。あとはもう、今日運が良いか悪いかにかかっているだけ。そして幸運の女神よろしく、2、3日あるいは1週間も探していたものが見つかったその瞬間が勝負なのだ。すぐ、なにが何でも手に入れよ。お金が足らなければなんとか交渉し安くしてもらってでも手に入れなければならない。さもないと2度とそんな機会はきはしない。しかも日本なら買い物した時にくれる袋も、当時は必ずあるわけではない。あるいはそれはそれで他の人が別に売っているのだから、袋は常にあなた自身が用意しておかなければならない。それが”もしかバッグ”の本当の意味。

・実際ロシアに行ってみて、ロシア人の、あるいはスラブ人の美しさには、正直舌をまいた。それは単純に言えば、素敵な女の子たち、ハンサムな男子たち、魅力的な婦人たち、威風堂々とした殿方たち・・・。そういう表現がぴったりだろう。美の女神がほんとうにいるならば、まさに地球の一角に、史上最高峰の美しさを、この20世紀の終わりに隠してしまって置かれたのだろうと思わざるをえなかった。日本でも人気の高いプロのテニスプレーヤー、マリア・シャラポワはもちろんロシア人。彼女のセクシーな美しさは世界の男性を魅了したわけだが、実際にロシアに住んでいた私にとって、それもまた氷山の一角といいたい。芸術的ともいえる彼らの肉体美は、芸術性の高いその精神性に由来しているともいえなくはない。だから、映画界やファッションなどモデル界、フィギュアスケートや新体操、シンクロナイズドなどのスポーツ界、キエフバレエやボリショイバレエに代表される芸能界など、21世紀という新世紀にあって、彼らロシア人がその実力と魅力を遺憾なく発揮しうる分野は尽きないし、世界の人々も、そういう方向でかの国を助けていく必要があろう。

・モスクワに着いたあと初めて迎える最初の日曜日に、モスクワに住む人々にとって大切な足の役割を果たしているメトロに初めて乗ってみる機会があった。そこでもっとも印象深く忘れがたい光景の一つに出会った。日曜日の朝にも関わらず、座席はほぼ埋まるくらい人々が利用していたのだが、何とほとんどの人が例外なく本を熱心に読んでいたのだ。10人中9人はそうだった。むろん本の代わりに新聞を読んでいた人もいたろう。だがはっきりした点は日本やその他の国では当たり前の情景である居眠りとかポカーッとしている者はただのひとりさえもいなかったことだ。あれを見ただけで、ロシア人がいかに文学好きか、また、知的好奇心が旺盛な民族かということがわかった。

・ロシアでは地下鉄をメトロと呼ぶ。ソ連時代、人口百万人以上の大都市にはほぼ例外なく敷設されたようで、モスクワでは11路線以上ある系統が、首都全体をほぼ網羅している。さらにモスクワ郊外に向かっても増設が進んでいる。モスクワのメトロ・システムは、プラットホームやそこへ行く通路が、駅によってさまざまに趣向をこらしていて、壁のみならずプラットホームの床までもが大理石でできているというのもそう珍しい話ではない。また、天井にはよく博物館などで見かけるであろう美しい彫刻模様が施されていたりキリストやマリア、天使の絵なども描かれている。とにかく見事だし立派だ。紛れもなく駅なのだが、あたかも宮殿にでもいるかのごとき錯覚に、思わず落ちてしまう。また、地下深くに電車が走っていることでもよく知られているのだが、2、3の駅では二重、三重にエスカレーターで降りていってはじめてプラットホームにたどり着く。一説には、冷戦時代核戦争を想定して、有事にはできるだけたくさんの人々が逃げ込めるシェルターの役目を果たすという目的もあったそうだ。電車が走る時の轟音はすさまじく、また冷房施設や暖房もない。にもかかわらず、その地下鉄系統を作り出した技術は平凡なそれではないだろう。今日も40秒ほどの間隔でモスクワの町をそちこちと元気に行き来していることだろう。

・ロシアは北の厳寒の地だ。そういう所では、外車はかっこは良いが不便さもある。なぜなら、マイナス何十度になるロシアの冬に対応できるように作られていないからだ。その点、ロシア製の車は違う。普段はしょっちゅうエンストだの、故障だのとあちこち立ち往生していることも多いが、それが冬ともなると、なぜか不思議な能力を発揮しはじめるわけだ。なんと言っても車中は暖かい、というより暑いくらい。それに窓が全然曇らない。これはとても重要だ。内外の温度差のため、普通、この窓の曇りに冬中悩まされるのだが、ロシア車は違う。そんな問題はものともしない。つまり全体として快適な走りを提供してくれるわけだ。まさに”すべての道はローマに通ず”-冬だとその信頼性は高まるのだ。

・ロシアが音をたてて自由市場へと流れ落ちていった頃は、実際のところ、経済の実態はダブルスタンダードであった。どういうことかというと、政府は、ロシアの極めて脆弱な市場を、国民のために、外貨の圧力から守る必要があったので、商品に対して二重の価格を設定した。端的にいうと、ひとつはロシア人向け、他のひとつは外国人用だった。そしてそれらは、必ずしも中央政府の指示だけによっていたのではなく、地方の政府や機関が一部決定する権限を行使していたように思われた。また、ロシア人に準ずるビザをもっていた外国人も、ロシア人の価格が適用されたある期間があった。国内・海外の飛行機代、国内の汽車の料金は間違いなくそうであった。というのも私自身、その恩恵を受けた外国人の一人だったからだ。私はロシアに行ってまもなく、一人のロシア人の友人の厚誼でで、某大学の日本語教師として契約することができた。その場合、一種の労働ビザが付与され、また「勤労証明書」という手帳を給付された。そしてその手帳を汽車や飛行機の切符を買う窓口で見せ、行き先を言えば、ロシア人と同じ値段で切符を発行してくれた。一度か二度は、窓口や乗車・搭乗のとき少しトラぶったこともあったのだが、大方はうまくいった。またよほど困ったなら、先の友人が電話してくれたり来てくれて解決。そのあたりは法律や制度でがんじがらめの西洋先進国とは比べものにならない生活上の便利さが、まだ生きていた時代でもあった。なので、モスクワとサンクトペテルブルクとの間を飛行機で片道飛んだ時、初めの頃確か36ルーブルぐらいで行けた。おそらく当時のドルとルーブルの交換レートで約6、7ドル、日本円で800円そこそこだっただろう。この2都市は広大なロシアとはいえ、数ある中、主要幹線中の主要ルートー日本で言えば東京=大阪あるいは京都間であり、いわばドル箱だ。それがこの値段でいけたのだ。

・サンクトペテルブルクは湿気が多いため、夏は蚊の大群が襲ってくる。特に寝ている時だ。かの蚊は日本のそれよりも大きい。また頭脳的あるいは電子的ですらある。それだけでも手強いというのに、当時では蚊対策のベープマットや蚊取り線香といったものは、ほぼどこにも見当たらなかった。蚊帳ももちろんない。すなわち、昼に窓を開けはなって招き入れた分だけの蚊が部屋に居残り、夜な夜な人の血を吸うことになる。ところでもう一つの特徴は外国人の血がより好きなようであるということだ。ちょっとひと味刺激的なのだろうか。そんなこんなで、初めての晩だけで私の体には百カ所以上もの、ロシアの蚊に刺された痕ができた。人生はじめての経験だったろう。翌日からは、かゆみとの戦いで地獄の苦しみとなったことは想像に難くないだろう。

・ロシアに来て初めての冬を体験した。1992年、平成4年の年だった。前に、ロシアの夏の日は長いと書いた。サンクトペテルブルクなどは夜12時を過ぎても太陽が輝いている。もちろん生まれて初めて白夜だって体験できた。ところで冬はちょうどその反対。なんと午後3時にはもう真っ暗になりすっかり日が暮れてしまう。そのころは朝も11時にならないと明るくならない。だから一日の日照時間は4時間。朝5、6、7時などはまだ周囲はすっかり暗い。なのに人々は、学校に通勤にと熱心に外に出かけていく。黒々とした雰囲気にこれもまた黒々とした物体のうごめき。私の妻は始めその光景があまりにも衝撃的であったらしく、今でも興奮してその様子を話す。しかしロシアの冬はまた朝に雪が降り積もる。樹氷も普通に見られる。日本の小学校か中学校の唱歌に「雪の降るまちを」がある。雪が横なぶりにさかんに降りしきる時には、あの歌の歌詞そのものが目の前に展開する。と同時に、深い思い出と熱い感傷にふけるにはもってこいといわんばかりに、時が長く濃く刻まれていく。私はロシアの冬、雪の上を歩きながら多くもの思いにふけった。またそういう時ふと、ふだん出てこない妙案が浮かんだりした。それでこの季節もとりわけ好きだった。

・白夜だと人々は明るいので眠れないのではないか、と心配するかもしれない。でもそんなことはなかった。一日を朝から晩まで平常どおり生き、活動しているので、やはり夜は疲労からいつものように眠気が襲う。それでちゃんと睡眠はとっているし、また白夜だからといってその分夜更かしをするというロシア人は、ほとんど見たことはなかった。ロシア、サンクトペテルブルクの白夜は6月20日前後-1年のうちでも、ロシアがその輝きをよりいっそう増しくわえる時節だ。ところで北にイチするウルマンスク市だと、この頃は1週間のあいだ日が沈まないということだ。またフィンランドのヘンシンキ市の白夜はそれらの間くらいだろう。とにかくロマンチックな雰囲気を持った季節であることにちがいはない。

・ロシアにいて聞いたところでは、その昔ロシアの特に農村部で守られていたしきたりとして、娘は結婚するまでは純潔をつらぬき、親が相手を選んで息子や娘たちを結婚させていたという。そして、そのならわしを守れなければ村八分にされてあということだ。いわばロシアの地方社会では自由恋愛が否定され、大部分がお見合い結婚だったということになる。今でもそうした慣習が一部で残っているらしい。

・ロシアの男性といえば、実際飲んだくれが多い。朝から顔を赤らめ、アルコールのにおいをプンプンさせている男たちも珍しくない。というより夕べからずっと飲み続けたようだ。それが朝だけではなく昼も夜も続く。まるで男の甲斐性はウォッカを浴び続けることかのようだ。また、男性たちは昼になるとどこかしこから集まってきてチェスに興じている。集まってくる場所は一応決まっているようであるが、基本的に数名が時には10名以上の男たちがひとところに集まって、なにやら真剣なおももちで熱中しているのがチェスの遊びである。

・男たちが家庭において担う役割といえば家の修理だ。それも電球を取り替えるといったものもそうだが、その種のものはロシアでは男たちがする修理の部類にも入らない。彼らは何でもかんでも修理に関することは自分で手がける。たとえばタンス・本棚・ソファー・キッチンユニット・ベッドの組み立て、電気のソケットの取り付け・取り外し・壁紙の貼り付け、壁や床のタイル張り、あげくの果てに風呂桶の取り外しから取り付け、トイレの便器の設置など、なんでもござれなのだ。実は彼らは家まで自分で建ててしまう。それも小屋とか車庫などといった類のものではなく、地下2階、地上3階などといった本物の家の話なのだ。そればかりではん。ほとんどの男たちは自分の腕に自身を持っていて、「俺の家は100年から150年もつ保証付きだ」などと豪語している。実際に見たり調べたりすると、まんざらでまかせを言っているようでもないのである。

・シベリア鉄道で、極東のウラジオストクから首都モスクワへわたると、7日間すなわち1週間かかるという話は、きっとどこかしらで聞かれたことがあるだろう。これはロシアの汽車が時代遅れでがたがたであるからではない。ロシアは鉄道王国といわれ、日本よりも幅の広い線路上をやはり幅の広い汽車が、ゆうゆうと、全国くまなく網羅して走っている国だ。それだけではない。その線路網はほぼヨーロッパの主要都市とつながっていないところはないほどだ。そして、旅人に対してその長い長い旅程を案内する客車は、なかなか乗りごこち(寝心地!?)がよく、車掌のサービスも行き届いているといってよい。彼ら乗務員はみな本当に働き者だ。ひとつひとつ割り当てられた客車ごとに、最低二人の車掌が専従でついて、やれ切符だ、パスポートだ、お茶のサービスだ、車内食だ、タオル・毛布・敷布・水・新聞と、ひっきりなしに乗客を面倒みてくれる。それだから大方安心して休める。ほとんど寝ずのそうしたサービスは、たいそう献身的であり、ヨーロッパの汽車でもそんなにあることではないだろう。おまけに1週間、まわりの景色が次々に変わっていくそうなのだ。だから飽きることはないという。

・芸術というと華やかさを考えやすいが、実際にはそれほど特別なものではないのかもしれない。ロシア人の生活を見ているとそう感じてしまう。文学の例だが、ロシア人は詩あるいは詩吟が大変好きだ。まさに日常茶飯事、日常生活の端々で詩をあるいは詩的表現を使う。またピアノも、弾かない人が少ないと思うくらい、ごく自然に音を奏でる。中にはまったくの自力で習い、しかも自分で作曲を手がける人もいる。それも趣味で。日本人からすると何か次元が違うように感じる。誕生日には心のこもったカードや、自作の絵や置物を贈ってくれるロシア人も多いが、実に美しいものだ。まるで芸術作品を贈られているかのように思える。1週間、1ヶ月と時間をかけて準備するのだ。そういう人は芸術センスや能力が特別に備わっているのかもしれないが・・・。家に飾ってある絵も多種多彩だし、カーペットだって壁に飾って立派なデコレーションの役割を果たしている。ノートの糊がはがれてバラバラになってしまうこともあるが、そんな時ロシア人は簡単に新しく買い換えるのではなく、修復してしまう。それも以前よりずっと素敵にだ。極端にいうと、初めからそのノートを自分のタイプ、好みに創作力を使ってつくり変えてしまうのだ。笛、民族ダンス、ジプシーダンス、編み物などなど。趣味で始めて、とても趣味とは思えないプロ級の腕に上げていく。そんな芸術的な静かさ、忍耐力、継続性、創造力、センスをロシア人は備えている。

・ロシアが一大産地を抱える鉱物は多い。石油、天然ガス、ダイヤモンド、金、ニッケル、石炭等々。そして知られているようでそうでないのが、琥珀石だろう。日本でも中年層の婦人たちを中心に人気があるようだ。ロシア国の飛び地であるカリニングラード県は、バルト海に面しており、ポーランド国とも隣接する。そこが琥珀(アンバー)の世界的一大産地である。種類も多く珍石にもこと欠かない。縁起や健康に良いとされる虫入りの琥珀石ももちろんここで産出されるのだ。世界の市場に輸出している琥珀専門の製造・卸・販売会社がそれらを一手に引き受けている。琥珀は当然ロシア国の国宝であり、輸出事業が国の管理下におあkれていて、勝手に国外に持ち出せない。国際空港とかみあげ専門店で売られている品物は、そうした国の輸出承認を得たものである。近年ロシア第2の都市、サンクトペテルブルクにて、一面がこの琥珀でできあがった1室が、エルミタージュ博物館の内部で発見された。私は写真で見ただけだが、その豪華絢爛さは見る者に息を飲ませる。これぞロシアのかつての栄華の象徴だろう。商品の種類も数多い。すべて天然石だから一つ一つが個性的なのだ。

・日本人にとって、火山と地震は切っても切り離せないことはいわば常識だ。ところが、ロシア本土には火山どころか山さえみあたらない。ウラル山脈はもちろんあるが、ロシアを西と東、欧州側とアジア側に隔てているにすぎない。だからロシアでは火山活動による自信というものが起こらない。実際、私が滞在していた14年間のあいだ、一度も体験したことがなかった。当然温泉などという気の利いた保養とは縁がないのである。ロシア人に温泉の素晴らしさをどんなにあつく説いても、始めはそれが何なのかということすら分からないので、冷や水をひっかけられた気分になる。せいぜいサウナ風呂を思い起こす程度のようだ。しかし一度広大な本土を離れ、カムチャッカにまで至れば火山が存在する。従って地震もあるし、温泉資源に行きあたるわけだ。思っただけでも温泉にはいった気分になりそうだ。ワクワク感が出てくるというものだ。

・音楽への情熱もすごい。レニングラードとモスクワのコンセルバトーリアはその登竜門。よほどの秀才しか入れない。モスクワの地下鉄の通路などで時たま学生たちが、資金を得るため即興演奏などをしているのがいいやがおうでも耳に入ってくるのだが、いわば普通の街角でプロが奏でるナマの音と雰囲気を楽しんでいるようなものだった。

・芸術を楽しむ心というのか、ロシア人はみなが芸術と関わって暮らしている。彼らとエンタメなど催してみると、社交ダンス、民族舞踊、ピアノ、バイオリン、ハーモニカ、アコーディオン、ギター、バラライカなど伝統的楽器、独唱、デュエット、ジプシーダンス、寸劇、パントマイム等々、実にバラエティに富んだ出し物が待っている。どれも即興とは思えないほどの腕前なのだが、何よりも一つ一つ、ちゃんとした命の主張がある。言い換えれば自分の人生としっかりとつながった表現に聞こえるのだ。またロシア人はユーモアも得意だ。その点はとても”西洋的”。生活の中ではブラックユーモアも飛び交うようだが、気長というのか気が大きいというのか、今日も何かおもしろいネタがないか見回しながらのんびりと過ごしている、そんな彼らの息づかいがいまにも聞こえてきそうな気がするのだ。

・ロシアの教育制度は小・中・高一貫教育なので、日本や韓国にあるようないい大学を狙った進学のための予備校というのはない。ただしもっと一般的に、大学に入る目的で浪人している人のためには予備校がある。OA入試がむしろ日常的で、入りたい大学に行くうえで大学訪問は欠かせない。夏休み前後から指導してもらおうとする教授のところに行き指導を受け始める。モスクワ大学などの優秀な大学に入る場合特にそうだ。また数学に秀でている子供ならそれ専門の高校に転校したり、将来海外駐在大使など外交員を目指す向きにはそれ専門の名門大学がモスクワにあって、モスクワで一番優秀なクラスの高校に転校して試験にそなえる。そんなわけで進学予備校よりむしろ、音楽やダンス、絵など芸術に関した課外レッスンのほうが圧倒的に盛んなのである。しかも先生方もかなりの専門家たちであり、将来その教え子たちの中から有名なアーティストが誕生するケースもある。一般の文化会館などで主催しているものは授業料もそんなに高くない。ピアノレッスンでは同時に歌唱も習わせる。音楽の基礎的知識、感性、全体との調和などを養うらしい。子どもの演奏や合唱の発表会ともなれば、親たちはカメラにビデオの機器をもちこんで、全部を記録に収めようと、異常ともみえる執念で撮り続けるのだ。親ばかは世界どこでも同じで、ロシアはむしろ日本以上かとも思えた。

・ロシアで他に盛んなのはスポーツ-特にアイスホッケーや水泳である。フィギュアスケートもそうで、私が借りたアパートのオーナーたちの中にも、娘がロシアトップレベルで国際大会などに行かせるため経費がかさむからといって、家賃を不条理にあげようおしたため、それに対抗してついに引っ越したなどということもあった。最近では空手や柔道など武道の課外クラブもあちこちで盛んになってきた。サッカーやバスケットといった人気スポーツも、少年・少女の名門クラブが活躍する日が近い将来訪れることだろう。

・ロシア人たちの天びんというのは、何か表現しようのない圧倒さがある。いわゆるブレイクスルー(=突破、大躍進、成功)の世界-。それに一般的に論理的思考能力は非常に優れている。肉体、頭脳、芸術性、工芸力などなど世界有数ではないのだろうか。ビジネスの世界でも機械類、コンピューターソフト、ハイパーマートなど大規模な店舗展開、外食産業、彼らの得意な資源やエネルギー分野、また法曹界などこれからロシア人の能力が世界で遺憾なく発揮されていくものと思われる。音楽・芸能・文学・絵画などはもちろん、ファッションや映画界、出版界、医学、食関係事業、漁業や観光、建築界、デザインの分野で、画期的な技術やサービス、商品を生み出していくことだろう。精神力も並ではない。だから好きなものをやり遂げようとする執念や情熱は、やはり一目置くべき国民だろう。功利的な計算力も高いし、決して損をしないように生きているのもそれはそれで見事だと思う。一言でいえば、一人ひとり、芸達者で世渡り名人。ロシア人の生活をみていると「芸は身を助ける」ということを実感するのだ。

・ロシア人にとって正義の愛国心は、ウォッカの次に大事なアイデンティティだ。5月9日h故国をナチスドイツから防御し打ち破った戦勝記念日で、国をあげて大々的にお祝いする。パレード、各種集会、パーティー、アトラクション等々、行事が1日中しこたま行われ、最後に豪勢な花火ショーで締めくくられるのである。

・ロシアの女性は確かに美しい。ながし髪などをしていればこの世の美とも思われない。北欧系の女性は美しい、などと一般的にもいわれることもあるようだが、それがお世辞にもならない。比類なき次元といってよい。が、実はもっとすごいことなのだが、彼女たちは精神的なタフネスも並たいていではないのである。なにせ、仕事、家事、育児なんでもこい、だ。ソ連邦の時代からマルチな役目を一度にこなしてきた。ちょっとやそっとでは弱音ははかない。否、むしろ打たれ強いとさえいえる。女は弱し、されど母は強し、これもまたかの国では真実で、ロシアの母親たちは、”たくましい”。ちょうど野獣が美女の姿をしているようなもの、といえばわかりやすいかもしれない。ゆえに野獣たる男性諸君は、ロシアにおいては立つ瀬がないのだ。美しくて頭がよくてそのうえ、頑強だ。しかも多くのロシア女性は生きる知恵が豊かだ。”悟る”という世界を兼備しているといえる。男性の強さは、冬の寒さに耐えるとき、自分の家を建てたり家具を修理したりするとき、車を修理工さながらに直すときに発揮される、そんな具合だ。多くの状況下では女性の強さが引き立っていることが多いのだ。もおすごいアイロニーに違いない。そんな淑女たちも、愛する異性と出会い幸せな結婚と家庭に恵まれるとき、やっと、その美しき仮面の後ろに隠された強さのよろいを脱ぎ捨てることができる。愛し合う夫婦、親子がつくる愛の威力が一番強いことを学んだからだった。

・ロシアの家庭で驚いたことの一つに、ひとつの夫婦、家庭が、何十人もの子ども(孤児ら)をもらって育てている例が、結構多いという事実だった。その子どもの数は数人から十数人、時には20人などという場合もあった。まず第一に、彼らを養う経済的な裏付けは何なんだろうか、ということに驚かざるをえなかった。経済的にそれなりに豊かでないとならないはずだ。アパートとかに住むのは無理だから、やはり一軒屋に住んでいるはずだし、それも部屋の数を始めかなりの広さが必要だしー。次に1人とか3人とかでも、個性の違う子どもを育てることはたやすいことではないのだ。それが十何人とかというと、その愛情の大きさと広さというものは、ほとんど私の想像を超えていた。私自身8人兄弟の中で育ったから、それくらいまでは何となく予測がつくが、ロシア人の夫婦が受け持つ子どもの数は、それをはるかにしのいでいた。最後に疑問だったのは、そうした夫婦はそんなにたくさんの子どもを引き受け、育てようと思ったのか、何を欲したのか、という動機に関することだった。もうそのあたりになると、ほとんどさじを投げざるをえない。単に子ども好きだから、というわけでもあるまい。加えて苦労が好きなのか、何か人から称えられるためなのだろうか、等といろいろ詮索してみるのだが、どの答えも自分で自分を納得させるには不十分なものばかりだった。

・人間にとって一番大切な命-教師と医者は、体と心のその両方の命を扱い育てる、最も尊い仕事につく人たちではないのか。日本では遠い昔、先生を聖職者とも呼んでいたほどだ。そういう彼らが日々の生活に追われるようなお金しかもらえず、副職を余儀なくされている社会の姿には、正直言ってあきれ返った。プーチン政権になって教師と医者の給料が引き上げられ、ロシア人の平均の給料値に近づいた。そのニュースを聞いた時、本当に良かったと安堵した。やっと社会にとって最も尊い人々がその報いを受けられる時になった、と。

良かった本まとめ(2015年上半期)

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