東京の両国駅近くにある江戸東京博物館はトリップアドバイザーによる<TOKYO100>で18位に選ばれていましたし、開館から25年経ち改修のうえ、2018年4月から再オープンしたとのことなので行ってきました♪
この江戸東京博物館は、江戸東京の歴史と文化を振り返り、未来の東京を考える博物館として平成5年(1993年)3月28日に開館したもので、この巨大な建物は高床式の倉をイメージしているとのことでした♪
ナルホド!
それにしてもこの江戸東京博物館は巨大です!
建物の3階に上がってチケットを買いますが、そのスペースが広い広い!
↑チケット売場
大人600円を支払い、チケットを頂きます♪
スイカやパスモなどの電子マネーが利用できるのは、小銭不要で素晴らしいです♪
そしてエスカレーターに乗って6階まで上がります♪
↑エスカレーター
そしてそのチケットを見せて入館しますが、まず実物大の江戸時代の木造の日本橋があるのがとても嬉しかったですね♪
↑日本橋の横から
↑日本橋を歩く
↑日本橋の下から
といってもこの日本橋は半分の大きさで、実際の北側の14間(約26m)を復元したものとのことです!
それにしても結構横幅は約8mと幅があり、そしてさすがしっかりとしています♪
この復元は1806年と1829年の改架記録や絵画を元に造られたようです♪
また唐銅製の擬宝珠のうち2本は現存する「万治元戊戌」(1658年)の銘入りの実物を基に復元したとのことです♪
素晴らしい!
↑万治元戊戌の銘入り
なお、羽田空港国際ターミナルにも復元された日本橋がありますが、羽田空港の日本橋は実物の1/2の縮尺です^_^;)
そして日本橋を歩いていると、左側に中村座を復元した建物がありかなり大きくて素晴らしいですね♪
この中村座は、幕府に興行を許可された江戸三座の一つで、芝居小屋の正面に掲げられた櫓はその公許の印だったとのことです♪
↑中村座
それから江戸時代には朝鮮使節や琉球使節、オランダ使節が江戸を訪れていますが、その経路が興味深かったですね♪
一旦、下関は通り、それから瀬戸内海を船で通っていたようです。
瀬戸内海は内海なので波が穏やかで、そして到着が早かったのでしょう。
大阪からは陸路を通っていたようです♪
きっと太平洋側は波が荒く、危険だったのですね。
↑海外使節の江戸参府
それから江戸時代の徳川将軍の直臣に、大名・旗本・御家人がありますが、その違いが分かる説明があって嬉しかったですね♪
1万石以上の禄高を持つのが大名で、そして将軍に会える御目見得が大名と旗本とのことです♪
すなわち1万石未満で御目見得でない場合は、御家人ということとなります。
大名は約260名、旗本は約5200名、御家人は約1.7万人~1.8万人もいたようです。
↑大名・旗本・御家人
それから江戸の大半を焼き尽くしたという1657年(明暦3年)の明暦の大火について説明があったのには興味深かったですね。
実は出火は3箇所あり、北西や西風に煽られたようです。
これをきっかけにして寺社や大名屋敷の移転、広小路が設けられたり、築地が埋め立てられたりしたようです。
↑明暦の大火
またオランダ使節団がその火事の跡を絵に描いていたとは知りませんでした。
浅草橋付近から江戸城方面を俯瞰した構図とのことです。
↑オランダ使節団の絵
それから1590年からの江戸の変遷はかなり興味深かったですね♪
実は江戸はかなり埋め立てられていて、これはかなりの大工事だったということが分かります。
さすが徳川家ですね。
5代将軍までかなり変化しています♪
↑1590年~
↑1606年・1607年
↑1620年
↑1635年・1636年
↑1659年~1661年
↑1688年~1704年
それから当時の屋台の寿司がありましたね♪
当時は現在よりも寿司1つは大きめで、この寿司一個でおやつ代わりにしていたようです♪
当時は赤酢とのことです。
食べてみたい♪
アジア系の若い外国人女性が、屋台に立ち、日本語で「いらっしゃいませ~」と愛嬌を振りまいたのには驚きましたね^_^)
日本語が巧い!
面白い!
↑江戸時代の寿司
それから二八蕎麦の移動式屋台もありましたね♪
↑二八蕎麦の屋台
それから金・銀・銭の交換比率などの説明も興味深かったですね♪
幕末になると金の価値が上がっていますが、これはレートの違いにより外国から銀が流入し、外国へ金が流出した影響でしょう。
↑金・銀・銭の交換比率
↑相場の推移
そして小売り物価の推移もあり、やはり幕末はインフレですね。
改鋳のせいもあるかと思います。
今で言う量的金融緩和ですか^_^;)
↑小売物価の推移
そして当時の水運の様子を大きな液晶画面で説明があるのはとても分かりやすかったです♪
特に銚子の醤油は関宿まで川を上り、そして江戸川を下って、そして小名木川を通って江戸へ運ばれたようです。
その他、川越からのルートなどの説明もありました♪
↑当時の水運
それから江戸を出て最初の宿場町である四宿の説明もありましたね♪
東海道は品川、甲州街道は内藤新宿、日光街道は千住宿、中山道は板橋宿ですね♪
実は千住宿が人口9556人で一番多かったとは知りませんでした♪
てっきり品川が一番の宿場町かと思っていました。
↑江戸の玄関
そして江戸の上水の分布がありましたが、かなり上水が整備されているのは凄いですね♪
神田上水と玉川上水に分かれていたようです♪
これは凄い♪
↑江戸の上水の分布
そして玉川上水流域図がありますが、約43kmとはこれはかなり長い!
↑玉川上水流域図
それからその玉川上水の管理や運営もしっかりしていたようです♪
↑玉川上水の管理や運営
そして大きな神田祭の神田明神の山車がありましたね♪
原寸大とのことでかなり高い!!
↑神田明神の山車
そして東廻り航路と西回り航路の説明がありました♪
当時、出羽や陸奥からわざわざ米が運ばれていたとは驚きですが、江戸には100万人以上住んでいましたし、やはり水運が大量に米を運べたんですね♪
出羽の酒田からだと西回りは距離は長いが比較的安全だったとは興味深いです♪
↑東廻り航路と西回り航路
それから江戸の祭礼をまとめていたのも興味深かったですね♪
江戸城内にも山車が入る「天下祭」と呼ばれたのは2つあり、6月15日の山王祭礼と9月15日の神田祭礼だったようです♪
↑江戸の祭礼
それから江戸の年中行事の説明もありました♪
本当に江戸は祭だらけ!
平和で楽しい街だったんですね^_^;)
↑江戸の年中行事
それから江戸時代は旅行も流行り、関東主要参拝旅行地の説明も興味深かったですね♪
坂東や秩父の観音巡礼、利根川の舟運を利用した鹿島・香取詣でや成田詣が盛んだったようです♪
また、武甲山、御嶽山、高尾山、大山、富士山、江ノ島などへも行き楽しんでいたようです♪
↑関東主要参拝旅行地
それから江戸の盛り場の説明も興味深かったですね♪
両国や浅草寺の奥山、上野広小路などが大きなにぎわいを見せていたようです♪
↑江戸の盛り場
それからオランダを通した海外との文化交流も興味深かったです♪
特に当時のアジアの寄港地が興味深いですね♪
↑オランダを通した海外との文化交流
それから歌舞伎の助六の説明が、人形がかなり本物っぽくて素晴らしかったですね♪
説明も充実しています♪
↑歌舞伎の助六
↑助六の説明
江戸の芝居小屋の興行場所年表も興味深いです♪
猿若町へ集約されたんですね♪
↑江戸の芝居小屋の興行場所年表
それから吉原の説明もありました♪
具体的な行き方の説明があるのも面白い♪
↑吉原への行き方
それから吉原は一日に2度の営業もあり、ほとんど睡眠が取れない過酷な労働環境だったようです。
↑吉原の一日
また吉原の遊女の人数推移もありました。
かなり人数が上下していたとは驚きですね。
↑吉原の遊女の実像
ゆっくり見ていると時間がなくなってきたので、後の江戸時代以降の展示物は早めに見て切り上げました^_^;)
残念です。
14時には到着したのですが、あまりにも展示物が多く閉館の17時30分まではあっという間でしたね^_^;)
逆方向に歩いてしまい、時代が新しいものから展示物を見て行きました。
まず1960年代から約10年毎の当時流行ったものの展示や、地下鉄・高速道路網の拡大推移は興味深かったですね♪
客も結構流行ったものの展示物は楽しんでいました♪
アジアの外国人の方も、「こぎゃる」も知っていたようでしたね♪
↑1960年代からの流行
それから、東京都区部における地盤沈下の推移というのも興味深かったですね♪
江東区の地盤沈下が当時凄かったようです。
↑東京都の地盤沈下
それから日本映画の隆盛も興味深い♪
↑日本映画の隆盛
そして戦時中の風船爆弾の模型もありました。
これは大きさは実際の1/5に縮小して製作されたものとのことです。
実際は直径10mの気球だったようで、約9000個が打ち上げられ、ジェット気流に乗って約300個弱がアメリカ大陸に到達したようです。
↑風船爆弾
それから当時の闇市の分布が興味深かったですね♪
やはり駅の近くに闇市は多かったようです。
↑闇市の分布
それからアメリカ軍の戦略爆撃の説明も興味深かったです。
B29はサイパンやグァムなどのマリアナ諸島から飛び立ったことは有名ですが、中国の成都やインドのカルカッタからも攻撃していたんですね。
↑アメリカ軍の戦略爆撃
そしてB29の焼夷弾攻撃の説明や、実際の爆弾や焼夷弾、B29の機関銃もあったのには驚きましたね♪
↑B29の焼夷弾攻撃の説明
1つの親球から38発の焼夷弾に分散していたようです。
↑実際の爆弾
↑実際のB29の機関銃や焼夷弾
それから明治43年(1910年)の台風による水害や大正6年(1917年)の台風による海面上昇被害も興味深かったですね♪
↑明治43年(1910年)の台風による洪水
↑大正6年(1917年)の台風による海面上昇被害
そのため水害から東京を守るため、荒川河口から22km上流まで人口の河川である「荒川放水路」が造られたとは凄いと思います♪
1910年にルートが決定し、1911年に用地買収が始まり、1913年に掘削工事が始まり、1924年に水路全体に水が通ったようです。
素晴らしい♪
↑水害から東京を守る
大正12年(1923年)の関東大震災の被害の説明がありました。
9月1日に地震が起こり、火災が鎮火したのが9月3日の午前10時頃とはかなり長い時間焼けています。
↑関東大震災
↑関東大震災のアニメーション説明
それから館内には浅草にあった凌雲閣の模型がありましたが、この関東大震災で8階部分から上が倒壊したようです。
↑凌雲閣
↑関東大震災直後の凌雲閣
↑凌雲閣の説明
それから、1853年(嘉永6年)のペリー来航から台場(砲台)が造られましたが、現在のお台場だけでなく、かなりの数が造られていたとは知りませんでしたね♪
江戸は水運でかなり物資が運ばれたので、東京湾を外国の艦隊に抑えられると兵糧攻めに遭っていたのだと思います。
↑江戸湾の台場
またペリー艦隊は太平洋ではなく、大西洋を通って来ていたとは知りませんでしたね。
↑ペリー艦隊の来航等
江戸東京博物館は残念ながら3時間30分では時間が全然足りなくて全部を見ることはできませんでしたが、自分が知りたかったことがかなり展示されていて秀逸でしたね♪
とても勉強になりました。
とてもオススメです!!
なお、この江戸東京博物館には、「銀座洋食 三笠會舘」というレストランや「カフェ三笠」、「和食・甘味処 桜茶寮」があり、どれも上質で美味しそうでしたね♪
今度江戸東京博物館へ行った際にはぜひ利用してみたいと思います♪
午前中から行って、ランチやカフェなどを楽しみながらゆっくり見学したいですね♪
お勧めなお話(2018年上半期)
<今日の独り言>
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この江戸東京博物館は、江戸東京の歴史と文化を振り返り、未来の東京を考える博物館として平成5年(1993年)3月28日に開館したもので、この巨大な建物は高床式の倉をイメージしているとのことでした♪
ナルホド!
それにしてもこの江戸東京博物館は巨大です!
建物の3階に上がってチケットを買いますが、そのスペースが広い広い!
↑チケット売場
大人600円を支払い、チケットを頂きます♪
スイカやパスモなどの電子マネーが利用できるのは、小銭不要で素晴らしいです♪
そしてエスカレーターに乗って6階まで上がります♪
↑エスカレーター
そしてそのチケットを見せて入館しますが、まず実物大の江戸時代の木造の日本橋があるのがとても嬉しかったですね♪
↑日本橋の横から
↑日本橋を歩く
↑日本橋の下から
といってもこの日本橋は半分の大きさで、実際の北側の14間(約26m)を復元したものとのことです!
それにしても結構横幅は約8mと幅があり、そしてさすがしっかりとしています♪
この復元は1806年と1829年の改架記録や絵画を元に造られたようです♪
また唐銅製の擬宝珠のうち2本は現存する「万治元戊戌」(1658年)の銘入りの実物を基に復元したとのことです♪
素晴らしい!
↑万治元戊戌の銘入り
なお、羽田空港国際ターミナルにも復元された日本橋がありますが、羽田空港の日本橋は実物の1/2の縮尺です^_^;)
そして日本橋を歩いていると、左側に中村座を復元した建物がありかなり大きくて素晴らしいですね♪
この中村座は、幕府に興行を許可された江戸三座の一つで、芝居小屋の正面に掲げられた櫓はその公許の印だったとのことです♪
↑中村座
それから江戸時代には朝鮮使節や琉球使節、オランダ使節が江戸を訪れていますが、その経路が興味深かったですね♪
一旦、下関は通り、それから瀬戸内海を船で通っていたようです。
瀬戸内海は内海なので波が穏やかで、そして到着が早かったのでしょう。
大阪からは陸路を通っていたようです♪
きっと太平洋側は波が荒く、危険だったのですね。
↑海外使節の江戸参府
それから江戸時代の徳川将軍の直臣に、大名・旗本・御家人がありますが、その違いが分かる説明があって嬉しかったですね♪
1万石以上の禄高を持つのが大名で、そして将軍に会える御目見得が大名と旗本とのことです♪
すなわち1万石未満で御目見得でない場合は、御家人ということとなります。
大名は約260名、旗本は約5200名、御家人は約1.7万人~1.8万人もいたようです。
↑大名・旗本・御家人
それから江戸の大半を焼き尽くしたという1657年(明暦3年)の明暦の大火について説明があったのには興味深かったですね。
実は出火は3箇所あり、北西や西風に煽られたようです。
これをきっかけにして寺社や大名屋敷の移転、広小路が設けられたり、築地が埋め立てられたりしたようです。
↑明暦の大火
またオランダ使節団がその火事の跡を絵に描いていたとは知りませんでした。
浅草橋付近から江戸城方面を俯瞰した構図とのことです。
↑オランダ使節団の絵
それから1590年からの江戸の変遷はかなり興味深かったですね♪
実は江戸はかなり埋め立てられていて、これはかなりの大工事だったということが分かります。
さすが徳川家ですね。
5代将軍までかなり変化しています♪
↑1590年~
↑1606年・1607年
↑1620年
↑1635年・1636年
↑1659年~1661年
↑1688年~1704年
それから当時の屋台の寿司がありましたね♪
当時は現在よりも寿司1つは大きめで、この寿司一個でおやつ代わりにしていたようです♪
当時は赤酢とのことです。
食べてみたい♪
アジア系の若い外国人女性が、屋台に立ち、日本語で「いらっしゃいませ~」と愛嬌を振りまいたのには驚きましたね^_^)
日本語が巧い!
面白い!
↑江戸時代の寿司
それから二八蕎麦の移動式屋台もありましたね♪
↑二八蕎麦の屋台
それから金・銀・銭の交換比率などの説明も興味深かったですね♪
幕末になると金の価値が上がっていますが、これはレートの違いにより外国から銀が流入し、外国へ金が流出した影響でしょう。
↑金・銀・銭の交換比率
↑相場の推移
そして小売り物価の推移もあり、やはり幕末はインフレですね。
改鋳のせいもあるかと思います。
今で言う量的金融緩和ですか^_^;)
↑小売物価の推移
そして当時の水運の様子を大きな液晶画面で説明があるのはとても分かりやすかったです♪
特に銚子の醤油は関宿まで川を上り、そして江戸川を下って、そして小名木川を通って江戸へ運ばれたようです。
その他、川越からのルートなどの説明もありました♪
↑当時の水運
それから江戸を出て最初の宿場町である四宿の説明もありましたね♪
東海道は品川、甲州街道は内藤新宿、日光街道は千住宿、中山道は板橋宿ですね♪
実は千住宿が人口9556人で一番多かったとは知りませんでした♪
てっきり品川が一番の宿場町かと思っていました。
↑江戸の玄関
そして江戸の上水の分布がありましたが、かなり上水が整備されているのは凄いですね♪
神田上水と玉川上水に分かれていたようです♪
これは凄い♪
↑江戸の上水の分布
そして玉川上水流域図がありますが、約43kmとはこれはかなり長い!
↑玉川上水流域図
それからその玉川上水の管理や運営もしっかりしていたようです♪
↑玉川上水の管理や運営
そして大きな神田祭の神田明神の山車がありましたね♪
原寸大とのことでかなり高い!!
↑神田明神の山車
そして東廻り航路と西回り航路の説明がありました♪
当時、出羽や陸奥からわざわざ米が運ばれていたとは驚きですが、江戸には100万人以上住んでいましたし、やはり水運が大量に米を運べたんですね♪
出羽の酒田からだと西回りは距離は長いが比較的安全だったとは興味深いです♪
↑東廻り航路と西回り航路
それから江戸の祭礼をまとめていたのも興味深かったですね♪
江戸城内にも山車が入る「天下祭」と呼ばれたのは2つあり、6月15日の山王祭礼と9月15日の神田祭礼だったようです♪
↑江戸の祭礼
それから江戸の年中行事の説明もありました♪
本当に江戸は祭だらけ!
平和で楽しい街だったんですね^_^;)
↑江戸の年中行事
それから江戸時代は旅行も流行り、関東主要参拝旅行地の説明も興味深かったですね♪
坂東や秩父の観音巡礼、利根川の舟運を利用した鹿島・香取詣でや成田詣が盛んだったようです♪
また、武甲山、御嶽山、高尾山、大山、富士山、江ノ島などへも行き楽しんでいたようです♪
↑関東主要参拝旅行地
それから江戸の盛り場の説明も興味深かったですね♪
両国や浅草寺の奥山、上野広小路などが大きなにぎわいを見せていたようです♪
↑江戸の盛り場
それからオランダを通した海外との文化交流も興味深かったです♪
特に当時のアジアの寄港地が興味深いですね♪
↑オランダを通した海外との文化交流
それから歌舞伎の助六の説明が、人形がかなり本物っぽくて素晴らしかったですね♪
説明も充実しています♪
↑歌舞伎の助六
↑助六の説明
江戸の芝居小屋の興行場所年表も興味深いです♪
猿若町へ集約されたんですね♪
↑江戸の芝居小屋の興行場所年表
それから吉原の説明もありました♪
具体的な行き方の説明があるのも面白い♪
↑吉原への行き方
それから吉原は一日に2度の営業もあり、ほとんど睡眠が取れない過酷な労働環境だったようです。
↑吉原の一日
また吉原の遊女の人数推移もありました。
かなり人数が上下していたとは驚きですね。
↑吉原の遊女の実像
ゆっくり見ていると時間がなくなってきたので、後の江戸時代以降の展示物は早めに見て切り上げました^_^;)
残念です。
14時には到着したのですが、あまりにも展示物が多く閉館の17時30分まではあっという間でしたね^_^;)
逆方向に歩いてしまい、時代が新しいものから展示物を見て行きました。
まず1960年代から約10年毎の当時流行ったものの展示や、地下鉄・高速道路網の拡大推移は興味深かったですね♪
客も結構流行ったものの展示物は楽しんでいました♪
アジアの外国人の方も、「こぎゃる」も知っていたようでしたね♪
↑1960年代からの流行
それから、東京都区部における地盤沈下の推移というのも興味深かったですね♪
江東区の地盤沈下が当時凄かったようです。
↑東京都の地盤沈下
それから日本映画の隆盛も興味深い♪
↑日本映画の隆盛
そして戦時中の風船爆弾の模型もありました。
これは大きさは実際の1/5に縮小して製作されたものとのことです。
実際は直径10mの気球だったようで、約9000個が打ち上げられ、ジェット気流に乗って約300個弱がアメリカ大陸に到達したようです。
↑風船爆弾
それから当時の闇市の分布が興味深かったですね♪
やはり駅の近くに闇市は多かったようです。
↑闇市の分布
それからアメリカ軍の戦略爆撃の説明も興味深かったです。
B29はサイパンやグァムなどのマリアナ諸島から飛び立ったことは有名ですが、中国の成都やインドのカルカッタからも攻撃していたんですね。
↑アメリカ軍の戦略爆撃
そしてB29の焼夷弾攻撃の説明や、実際の爆弾や焼夷弾、B29の機関銃もあったのには驚きましたね♪
↑B29の焼夷弾攻撃の説明
1つの親球から38発の焼夷弾に分散していたようです。
↑実際の爆弾
↑実際のB29の機関銃や焼夷弾
それから明治43年(1910年)の台風による水害や大正6年(1917年)の台風による海面上昇被害も興味深かったですね♪
↑明治43年(1910年)の台風による洪水
↑大正6年(1917年)の台風による海面上昇被害
そのため水害から東京を守るため、荒川河口から22km上流まで人口の河川である「荒川放水路」が造られたとは凄いと思います♪
1910年にルートが決定し、1911年に用地買収が始まり、1913年に掘削工事が始まり、1924年に水路全体に水が通ったようです。
素晴らしい♪
↑水害から東京を守る
大正12年(1923年)の関東大震災の被害の説明がありました。
9月1日に地震が起こり、火災が鎮火したのが9月3日の午前10時頃とはかなり長い時間焼けています。
↑関東大震災
↑関東大震災のアニメーション説明
それから館内には浅草にあった凌雲閣の模型がありましたが、この関東大震災で8階部分から上が倒壊したようです。
↑凌雲閣
↑関東大震災直後の凌雲閣
↑凌雲閣の説明
それから、1853年(嘉永6年)のペリー来航から台場(砲台)が造られましたが、現在のお台場だけでなく、かなりの数が造られていたとは知りませんでしたね♪
江戸は水運でかなり物資が運ばれたので、東京湾を外国の艦隊に抑えられると兵糧攻めに遭っていたのだと思います。
↑江戸湾の台場
またペリー艦隊は太平洋ではなく、大西洋を通って来ていたとは知りませんでしたね。
↑ペリー艦隊の来航等
江戸東京博物館は残念ながら3時間30分では時間が全然足りなくて全部を見ることはできませんでしたが、自分が知りたかったことがかなり展示されていて秀逸でしたね♪
とても勉強になりました。
とてもオススメです!!
なお、この江戸東京博物館には、「銀座洋食 三笠會舘」というレストランや「カフェ三笠」、「和食・甘味処 桜茶寮」があり、どれも上質で美味しそうでしたね♪
今度江戸東京博物館へ行った際にはぜひ利用してみたいと思います♪
午前中から行って、ランチやカフェなどを楽しみながらゆっくり見学したいですね♪
お勧めなお話(2018年上半期)
<今日の独り言>
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