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金ヶ崎城跡(福井県 敦賀市)はとてもオススメ!

2024年10月25日 01時00分00秒 | イベント・外出

 福井県敦賀市の金ヶ崎城跡へ平日の10:40位にJR敦賀駅前で借りた電動レンタサイクルで行って来ました♪

↑入口

↑金ヶ崎城の解説

 金ヶ崎城とは、織田信長の朝倉攻めの際に、同盟を結んでいた北近江の浅井家に裏切られ、挟み撃ちに遭うことから退き陣となったことが有名ですね。
 殿軍の豊臣秀吉や明智光秀が耐え、それを徳川家康が助けたとの逸話も残っています。

↑金ヶ崎の退き口の看板

 金ヶ崎城は山城で、縁結びの神様で有名な金崎宮の左脇の桜並木の山道を登って月見御殿跡を目指しました♪

↑進む

↑金崎宮の鳥居

↑金崎宮の説明

↑地図

↑明智光秀関連の看板

↑金崎宮

 すると、金ヶ崎城址の石碑もありましたね。

↑金ヶ崎城址の石碑

↑金ヶ崎城址の石碑

 また緑あふれる山道を登って行くと、左側に敦賀市内が見えて来ました♪

↑敦賀市内

↑敦賀市内の説明

 そして金ヶ崎の退き口の解説もあります♪

↑金ヶ崎の退き口の解説

 更に山道を登り、途中左側に海を見ながら進みます♪

↑山道

↑左側に海

↑山道

↑山道

↑山道

 すると、道しるべがあり、展海広場(月見御殿跡)へと進むと、10:50位にその広場に到着します♪

↑道しるべ

↑展海広場(月見御殿跡広場)

↑展海広場(月見御殿跡広場)

 そこには金ヶ崎古戦場石碑もありましたね。

↑金ヶ崎古戦場石碑

 また、明治42年に発見された古墳もあり驚きました。
 確かに古墳のように土が盛り上がっています。

↑古墳

 そして、奥に進むと敦賀湾が見える絶景が広がり素晴らしかったです♪

↑絶景方向

↑絶景

 ここは標高86mあり、南北朝時代にはこの場所に本丸があったようです。
 戦国時代にも武将がここで月見を楽しんだようです。
 海方向の右側には大きな敦賀火力発電所が見えていましたね。

↑少し右

↑敦賀火力発電所(原発ではありません)
 また、皇太子時代の大正天皇が訪れた明治42年の立派な石碑もありましたね。

↑石碑

↑石碑の裏側

 そして、帰りも山道を通りますが、違うルートで金崎宮を目指します。

↑帰りの山道

 南北朝時代の三の木戸跡(第3の関門)がありましたね。地名は水の手で、清水が湧き出ていたようです。
 海に近いのに湧き水とは兵糧攻めに耐えられますね。

↑三の木戸跡の解説

↑三の木戸跡前の山道を下る

↑山道

 すると焼米石出土跡がありましたね。
 ここには戦国時代に米の兵糧庫があり、織田・朝倉の攻防戦で、落城の際に焼け落ち、その焼米が後で出土したようです。

↑焼米石出土跡

↑山道を下る

 次に二の木跡(第2の関門)もありましたね。
 南北朝時代にはここで激戦があったようです。

↑二の木跡の説明

 そして道標があり金崎宮へ進みました♪
 次回、時間がある時には、750m先の天筒展望広場へぜひ行きたいと思いましたね。

↑道しるべ

↑山道を下る

 福井県敦賀市の金ヶ崎城跡は、戦国時代の織田信長の撤退戦の解説を学べ、また緑あふれる山道を気持ち良く進むと、敦賀湾の絶景が広がる展海広場(月見御殿跡)があり、とてもオススメです!
 ぜひ春の桜の季節も伺ってみたいですね。 


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