<金曜は本の紹介>
「画商の「眼」力 真贋をいかにして見抜くのか(長谷川徳七)」の購入はコチラ
この本は、日動画廊の社長が書いた本ですが、その父の創業当時からの歴史や画廊と画商、画家の説明、画家である藤田嗣治との関わり、鑑定方法、色々な贋作等について書かれた本です。
画家である藤田嗣治との関わりや絵の真贋等については、とても興味深く読めました。
特に、藤田嗣治は話しているときも絶えず絵を描いていたこと、藤田嗣治が特別に見せてくれた戦争時の絵、贋作されやすい作家の傾向、贋作のパターン、ピカソ本人も偽物を買ったことがあること、具体的なそれぞれの贋作、科学鑑定などは面白かったです。
絵が好きな方、絵に興味を持つ方、絵を持っていてその真贋に不安を持っている方等にとてもオススメな本です。
以下はこの本のポイントなどです。
・作家は水と人工肥料をほどこせばいいといったような、促成栽培のようには育ちません。作家の個性によって花開く時期は異なるものです。その開花にあわせて力添えするのが、画商の役目ではないかと考えています。
・作家が「この画商に任せていれば、短期的な付き合いだけでなく、長い目で見てくれる」という深いつながりができてこそ、創作意欲に火をつけられることもあるからです。特に若手であれば、常に自分の能力への期待と不安を抱いています。少し名が売れてくると、周囲がちやほやしてくれますが、作家がスランプに陥ったとき、そういう人たちは、潮がひくようにいなくなるものです。いいときも悪いときも、それも作家の創作活動の起伏だと思って付き合うのが、本当の関係というものではないでしょうか。良心的な画商であれば、「これは」と見込んだ作家とは2、3年周期で展覧会を行う約束をするものです。そして作家はそれに向けて構想を練り上げ、創作していく。
・藤田嗣治の成功の源は、あの乳白色の下地ですが、その製法は独特で、弟子たちにも最後まで明かしませんでした。現代になって科学的に検査したところ、卵の白身などを使っていることがわかったと言われてもいますが、結局それ以上のことはわかっていません。魅力の源泉がいつまでも謎であるのは、それはそれで魅惑的ですが、問題もあります。修復が難しいのです。たとえば、藤田は墨の線でぼかしを行っています。そのため、絵が汚れてクリーニングするとき、墨を知らないヨーロッパの人は、てっきり油だと思って拭いてしまうようです。すると墨が消えて、絵が台無しになったおいうケースがずいぶんありました。
・「これは君たちだけに特別に見せるのだからね」と言うと、藤田は2枚続きの絵を見せました。それは聖戦美術展に出品した「ハルハ河畔之戦闘」と同じく、ノモンハン事件をモチーフにした絵でしたが、まったく違う内容でした。絶賛された絵のような勇壮な様子は皆無で、赤黒く燃える炎がキャンパス全面を覆い、兵士の死骸が累々と横たわっていました。ハエがとまり、蛆がわいた屍をソ連軍の戦車が踏みにじりながら進む。そうした様子が克明に描かれていました。「君たちには、今はわからないかもしれないが、これから50年も経てば、絶対にわかるときがくる。長谷川君、これはね、間違いなく博物館ものだよ」そう断言する藤田の真意が、そのときにはどうにも測りかねるものがあったと、父が後年私に話しました。
・鑑定は、本物を高く売り付けるためのビジネスとして行うものではありません。画家の価値を守る。本物の絵を後世に伝える。それが画商の生命線であり、鑑定の正しいあり方です。
・真贋の見極め方については、本物か偽物かを見極める大きな決め手のひとつに絵の具の分析があります。たとえば、その画家の時代には使われていなかった成分を含んだ絵の具で絵が描かれていたら、誰がどう思い込もうと、それは確実に贋作です。
・まず贋作されやすい作家に共通しているのは、市場価値の高い作家であることとポピュラー性です。当然の話です。売れない作家の贋作では買い手がありません。また、売れやすい図柄でないとどうしようもありません。値段が高く、いい図柄の絵が狙われやすいと言えます。売れやすい図柄とは、どういうものかというと、たとえば東郷青児さんみたいにパターン化された女性像だったり、田崎広助さんみたいに富士山か阿蘇山が描かれているようなパターンです。「林武も同じ富士山を描いているじゃないか」という人もいるかもしれません。ところが、おもしろいことに、贋作者にとって林武さんの富士山の絵は真似しにくいようで、あまり出回らないのです。というのも、表面的に林さんの絵の真似をすると妙に漫画っぽくなってしまって、その独特の雰囲気が出ないからです。
・贋作のパターンについては、ひとつは弟子の模写が本人の絵だということで出回ってしまう場合です。やっかいな贋作の例もります。作家の死亡後、遺族がアトリエに残された描きかけの絵を見つけて、なまじっか絵心があるがために”加筆”して、完成させてしまうケースです。
・贋作者も絵描きのはしくれです。そうであれば、形を真似ることくらい簡単なことです。まして、きれいな絵だからといって、本物の証拠にはならない。きれいに描くことくらいプロなら誰でもできることなのです。「なるほど。確かにうまくできているな」と思えてしまう絵は、だからこそ本物ではないことが明らかなのです。そこに、本物との間の埋められない差が絶対的にあります。何がその差を生むのでしょう。まずひとつわかるのは、画集を見て、そっくりそのまま描いている絵には、まるで魂がこもっていないことです。本物の活き活きした躍動がありません。それがあるからこそ、人は感動するのです。手本を見て、その通り描くのと、まっさらなキャンバスに挑みかかって描くのとでは、線の強さ、筆圧が違うのです。
・ルノアールはこういう言葉を残しています。「色彩はその人の持っている固有のものだ」確かにそうです。デッサンは勉強すれば上達するし、うまく形を真似て描けるようになるでしょう。しかし、色彩感覚は、そうはいきません。描き手の「今どういうゆうに世界を感じているか」が色遣いに表れるわけですから、これは意識して変えようとか、努力して「違うように感じよう」とできるものではないでしょう。色彩は、その人そのものと切り離せないものなのです。
・ところで、おもしろいのは、一流の作家でもときどき贋作を買ってしまったり、誤った鑑定をしてしまうことです。たとえば、ピカソです。彼のコレクションした絵が多数あるのですが、ときどき偽物をつかんでしまったようです。「本物か偽物か」に興味がなく、絵描きの見方でその絵の何かに引かれたからかもしれません。ですから、ピカソ美術館はコレクションを全部引き受けていいかどうか、かなりチェックしたと聞いています。
・私の場合、鑑定には2種類のルーペを用いています。特注品でもなく、何か特殊な素材を使っているものでもありません。ごく一般的に販売されているものです。特にルーペを必要とするのは、藤田の鑑定です。藤田の鑑定でルーペを必要とするのは、墨で描いている作品の中に、印刷か墨かを肉眼で見分けるのがなかなか難しいことがあるからです。小さいルーペは30倍に拡大され、線を見るのに最適です。拡大すれば、その線が印刷なのか、直筆なのかが歴然とします。
<目次>
はじめに
第1章 画廊と画家
初めて買ったルノアール
画商の家に生まれた私
終戦、汽車で父と銀座へ
GHQから入った「絵画300枚」の注文
風呂敷画商から始めた父
画家のアトリエに通って
運命の出会い
よきパートナー、ライバルとして
画廊の仕事
画家を育てるのも画商の役目
作家の人生を請け負うような付き合い
鴨居玲さんとブラディメリー
「最後の傑作」に見たもの
「あなたに任せたい」と言われる画商になるために
画廊は入りにくいもの?
「ただ絵があること」に価値がある
第2章 藤田嗣治の鑑定
日動画廊にやってきた藤田
話しているときも絶えず絵を描いていた
足を運んでくれた救世主
ティールームで切り出した話
「長谷川さん、うまく売ってくださいよ」
藤田との交渉で出た答え
説明できないからこその「新しい」魅力
乳白色にまつわる謎
藤田がくれた「黄金色のタクアン」
画家・藤田にとっての戦争という現実
絶賛された「ハルハ河畔之戦闘」
「これは君たちだけに特別に見せるのだからね」
藤田へのやっかみ
日本へ帰らなかった藤田
誰にも売ることのできない肖像画
主亡きアトリエに立って
版画に彩色をほどこした偽物を見破る
藤田嗣治の鑑定を任されて
第3章 画家のパレットが語るもの
パレットのコレクション
鑑定とは画商たる「生命線」
鑑定が必要になるとき
贋作されやすい作家の傾向とは
贋作にもパターンがある
本物は見た瞬間わかる
作家性をみごとに押さえた絵は”あやしい”
色彩を真似ることはできない
作家性をどう見抜くか
”まずい絵”だからといって、偽物とは限らない
本当に絵と向き合うとはどういうことか
真剣勝負を前にして思うこと
藤島武二の贋作を見破った例
父が教えてくれた「絵の品」
梅原龍三郎の贋作に感じた”匂い”の違い
鑑定を行わないと決めることも大事
ピカソ本人も偽物を買ったことがある
贋作をつかまされた美術館もある
正しい鑑定に必要な条件とは
遺族の期待が胸につきささるとき
第4章 私が見抜いた贋作
サインが偽造されていた
似ても似つかぬ「赤富士」
佐伯裕三の贋作を目にして
一歩も引けない「思い」
大量の「ニセモノ物証」
科学鑑定の結果は・・・・・・
おいしい話に感じた”きな臭さ”
関西弁で書かれた「証拠の手紙」
日動画廊にかかってきた、詐欺師「ルグロ」からの電話
心のアラームには忠実に
私も騙されたことがある
第5章 画商としての目が問われるとき
鑑定書を欲しがっているのは誰か?
何でも鑑定はできるのか?
鑑定ができる作家と、できない作家
よくできた贋作!?
画集から贋作を作ることもある
なぜ疑いを持っていても買ってしまうのか
絵から感じるテレパシー
規制緩和してはならないものもある
「こうすれば鑑定ができるようになる」という答え
本当の鑑定は、ビジネスにはなり得ない
科学鑑定でわかること、わからないこと
X線で絵の下にある「別の絵」が見えたりするが・・・・・・
本物に出会うために必要なこと
第6章 カタログ・レゾネに込める画商の魂
「これが藤田だなんて」と思った絵
ただ「f」とだけ書かれたサイン
知られざる藤田の経歴を裏付ける飼料
鑑定が難しい本当の理由
年月と根気がいる作業
幻の2枚の絵、ニューヨークで見つかる
行方不明の作品をどうやって探すのか
骨が折れる作業だからこそ財産になる
ときには偽物に出くわすことも・・・・・
私が使っているふたつのルーペ
おわりに
面白かった本まとめ(2008年)
<今日の独り言>
5歳の息子はひさしぶりに「ばあば」と会って大喜びです。得意のピアノを弾いたり、野球をやったりと良いところを見せます^_^;) しかも夜に、ばあばと一緒に寝たのには驚きました^_^;)
「画商の「眼」力 真贋をいかにして見抜くのか(長谷川徳七)」の購入はコチラ
この本は、日動画廊の社長が書いた本ですが、その父の創業当時からの歴史や画廊と画商、画家の説明、画家である藤田嗣治との関わり、鑑定方法、色々な贋作等について書かれた本です。
画家である藤田嗣治との関わりや絵の真贋等については、とても興味深く読めました。
特に、藤田嗣治は話しているときも絶えず絵を描いていたこと、藤田嗣治が特別に見せてくれた戦争時の絵、贋作されやすい作家の傾向、贋作のパターン、ピカソ本人も偽物を買ったことがあること、具体的なそれぞれの贋作、科学鑑定などは面白かったです。
絵が好きな方、絵に興味を持つ方、絵を持っていてその真贋に不安を持っている方等にとてもオススメな本です。
以下はこの本のポイントなどです。
・作家は水と人工肥料をほどこせばいいといったような、促成栽培のようには育ちません。作家の個性によって花開く時期は異なるものです。その開花にあわせて力添えするのが、画商の役目ではないかと考えています。
・作家が「この画商に任せていれば、短期的な付き合いだけでなく、長い目で見てくれる」という深いつながりができてこそ、創作意欲に火をつけられることもあるからです。特に若手であれば、常に自分の能力への期待と不安を抱いています。少し名が売れてくると、周囲がちやほやしてくれますが、作家がスランプに陥ったとき、そういう人たちは、潮がひくようにいなくなるものです。いいときも悪いときも、それも作家の創作活動の起伏だと思って付き合うのが、本当の関係というものではないでしょうか。良心的な画商であれば、「これは」と見込んだ作家とは2、3年周期で展覧会を行う約束をするものです。そして作家はそれに向けて構想を練り上げ、創作していく。
・藤田嗣治の成功の源は、あの乳白色の下地ですが、その製法は独特で、弟子たちにも最後まで明かしませんでした。現代になって科学的に検査したところ、卵の白身などを使っていることがわかったと言われてもいますが、結局それ以上のことはわかっていません。魅力の源泉がいつまでも謎であるのは、それはそれで魅惑的ですが、問題もあります。修復が難しいのです。たとえば、藤田は墨の線でぼかしを行っています。そのため、絵が汚れてクリーニングするとき、墨を知らないヨーロッパの人は、てっきり油だと思って拭いてしまうようです。すると墨が消えて、絵が台無しになったおいうケースがずいぶんありました。
・「これは君たちだけに特別に見せるのだからね」と言うと、藤田は2枚続きの絵を見せました。それは聖戦美術展に出品した「ハルハ河畔之戦闘」と同じく、ノモンハン事件をモチーフにした絵でしたが、まったく違う内容でした。絶賛された絵のような勇壮な様子は皆無で、赤黒く燃える炎がキャンパス全面を覆い、兵士の死骸が累々と横たわっていました。ハエがとまり、蛆がわいた屍をソ連軍の戦車が踏みにじりながら進む。そうした様子が克明に描かれていました。「君たちには、今はわからないかもしれないが、これから50年も経てば、絶対にわかるときがくる。長谷川君、これはね、間違いなく博物館ものだよ」そう断言する藤田の真意が、そのときにはどうにも測りかねるものがあったと、父が後年私に話しました。
・鑑定は、本物を高く売り付けるためのビジネスとして行うものではありません。画家の価値を守る。本物の絵を後世に伝える。それが画商の生命線であり、鑑定の正しいあり方です。
・真贋の見極め方については、本物か偽物かを見極める大きな決め手のひとつに絵の具の分析があります。たとえば、その画家の時代には使われていなかった成分を含んだ絵の具で絵が描かれていたら、誰がどう思い込もうと、それは確実に贋作です。
・まず贋作されやすい作家に共通しているのは、市場価値の高い作家であることとポピュラー性です。当然の話です。売れない作家の贋作では買い手がありません。また、売れやすい図柄でないとどうしようもありません。値段が高く、いい図柄の絵が狙われやすいと言えます。売れやすい図柄とは、どういうものかというと、たとえば東郷青児さんみたいにパターン化された女性像だったり、田崎広助さんみたいに富士山か阿蘇山が描かれているようなパターンです。「林武も同じ富士山を描いているじゃないか」という人もいるかもしれません。ところが、おもしろいことに、贋作者にとって林武さんの富士山の絵は真似しにくいようで、あまり出回らないのです。というのも、表面的に林さんの絵の真似をすると妙に漫画っぽくなってしまって、その独特の雰囲気が出ないからです。
・贋作のパターンについては、ひとつは弟子の模写が本人の絵だということで出回ってしまう場合です。やっかいな贋作の例もります。作家の死亡後、遺族がアトリエに残された描きかけの絵を見つけて、なまじっか絵心があるがために”加筆”して、完成させてしまうケースです。
・贋作者も絵描きのはしくれです。そうであれば、形を真似ることくらい簡単なことです。まして、きれいな絵だからといって、本物の証拠にはならない。きれいに描くことくらいプロなら誰でもできることなのです。「なるほど。確かにうまくできているな」と思えてしまう絵は、だからこそ本物ではないことが明らかなのです。そこに、本物との間の埋められない差が絶対的にあります。何がその差を生むのでしょう。まずひとつわかるのは、画集を見て、そっくりそのまま描いている絵には、まるで魂がこもっていないことです。本物の活き活きした躍動がありません。それがあるからこそ、人は感動するのです。手本を見て、その通り描くのと、まっさらなキャンバスに挑みかかって描くのとでは、線の強さ、筆圧が違うのです。
・ルノアールはこういう言葉を残しています。「色彩はその人の持っている固有のものだ」確かにそうです。デッサンは勉強すれば上達するし、うまく形を真似て描けるようになるでしょう。しかし、色彩感覚は、そうはいきません。描き手の「今どういうゆうに世界を感じているか」が色遣いに表れるわけですから、これは意識して変えようとか、努力して「違うように感じよう」とできるものではないでしょう。色彩は、その人そのものと切り離せないものなのです。
・ところで、おもしろいのは、一流の作家でもときどき贋作を買ってしまったり、誤った鑑定をしてしまうことです。たとえば、ピカソです。彼のコレクションした絵が多数あるのですが、ときどき偽物をつかんでしまったようです。「本物か偽物か」に興味がなく、絵描きの見方でその絵の何かに引かれたからかもしれません。ですから、ピカソ美術館はコレクションを全部引き受けていいかどうか、かなりチェックしたと聞いています。
・私の場合、鑑定には2種類のルーペを用いています。特注品でもなく、何か特殊な素材を使っているものでもありません。ごく一般的に販売されているものです。特にルーペを必要とするのは、藤田の鑑定です。藤田の鑑定でルーペを必要とするのは、墨で描いている作品の中に、印刷か墨かを肉眼で見分けるのがなかなか難しいことがあるからです。小さいルーペは30倍に拡大され、線を見るのに最適です。拡大すれば、その線が印刷なのか、直筆なのかが歴然とします。
<目次>
はじめに
第1章 画廊と画家
初めて買ったルノアール
画商の家に生まれた私
終戦、汽車で父と銀座へ
GHQから入った「絵画300枚」の注文
風呂敷画商から始めた父
画家のアトリエに通って
運命の出会い
よきパートナー、ライバルとして
画廊の仕事
画家を育てるのも画商の役目
作家の人生を請け負うような付き合い
鴨居玲さんとブラディメリー
「最後の傑作」に見たもの
「あなたに任せたい」と言われる画商になるために
画廊は入りにくいもの?
「ただ絵があること」に価値がある
第2章 藤田嗣治の鑑定
日動画廊にやってきた藤田
話しているときも絶えず絵を描いていた
足を運んでくれた救世主
ティールームで切り出した話
「長谷川さん、うまく売ってくださいよ」
藤田との交渉で出た答え
説明できないからこその「新しい」魅力
乳白色にまつわる謎
藤田がくれた「黄金色のタクアン」
画家・藤田にとっての戦争という現実
絶賛された「ハルハ河畔之戦闘」
「これは君たちだけに特別に見せるのだからね」
藤田へのやっかみ
日本へ帰らなかった藤田
誰にも売ることのできない肖像画
主亡きアトリエに立って
版画に彩色をほどこした偽物を見破る
藤田嗣治の鑑定を任されて
第3章 画家のパレットが語るもの
パレットのコレクション
鑑定とは画商たる「生命線」
鑑定が必要になるとき
贋作されやすい作家の傾向とは
贋作にもパターンがある
本物は見た瞬間わかる
作家性をみごとに押さえた絵は”あやしい”
色彩を真似ることはできない
作家性をどう見抜くか
”まずい絵”だからといって、偽物とは限らない
本当に絵と向き合うとはどういうことか
真剣勝負を前にして思うこと
藤島武二の贋作を見破った例
父が教えてくれた「絵の品」
梅原龍三郎の贋作に感じた”匂い”の違い
鑑定を行わないと決めることも大事
ピカソ本人も偽物を買ったことがある
贋作をつかまされた美術館もある
正しい鑑定に必要な条件とは
遺族の期待が胸につきささるとき
第4章 私が見抜いた贋作
サインが偽造されていた
似ても似つかぬ「赤富士」
佐伯裕三の贋作を目にして
一歩も引けない「思い」
大量の「ニセモノ物証」
科学鑑定の結果は・・・・・・
おいしい話に感じた”きな臭さ”
関西弁で書かれた「証拠の手紙」
日動画廊にかかってきた、詐欺師「ルグロ」からの電話
心のアラームには忠実に
私も騙されたことがある
第5章 画商としての目が問われるとき
鑑定書を欲しがっているのは誰か?
何でも鑑定はできるのか?
鑑定ができる作家と、できない作家
よくできた贋作!?
画集から贋作を作ることもある
なぜ疑いを持っていても買ってしまうのか
絵から感じるテレパシー
規制緩和してはならないものもある
「こうすれば鑑定ができるようになる」という答え
本当の鑑定は、ビジネスにはなり得ない
科学鑑定でわかること、わからないこと
X線で絵の下にある「別の絵」が見えたりするが・・・・・・
本物に出会うために必要なこと
第6章 カタログ・レゾネに込める画商の魂
「これが藤田だなんて」と思った絵
ただ「f」とだけ書かれたサイン
知られざる藤田の経歴を裏付ける飼料
鑑定が難しい本当の理由
年月と根気がいる作業
幻の2枚の絵、ニューヨークで見つかる
行方不明の作品をどうやって探すのか
骨が折れる作業だからこそ財産になる
ときには偽物に出くわすことも・・・・・
私が使っているふたつのルーペ
おわりに
面白かった本まとめ(2008年)
<今日の独り言>
5歳の息子はひさしぶりに「ばあば」と会って大喜びです。得意のピアノを弾いたり、野球をやったりと良いところを見せます^_^;) しかも夜に、ばあばと一緒に寝たのには驚きました^_^;)