以前このブログでも「ぐるっとパス」について紹介しましたが、かなりお得な「ぐるっとパス」を利用して追加料金不要で、JR吉祥寺駅と三鷹駅の間にあり三鷹駅から徒歩約12分の「三鷹市 山本有三記念館」へ行ってきました!
開館時間は9:30~17:00で、休館日が原則月曜日及び年末年始(12/29~1/4)となります♪
入館料は原則300円で中学生以下等は無料ですね。
↑入口
この山本有三記念館の建物は、大正末期に建てられた当時は珍しかった本格的な洋風建築で、その希少さから1994年(平成6年)に三鷹市有形文化財に指定されたとのことです。
敷地はかなり広く入口からとても綺麗に整備されていました♪
素晴らしいです♪
門の前の駐車場には企画展の「「日本少国民文庫」が灯したもの-若い編集者たちとの交流-」という大きな看板もあり、これは2020/9/12~2021/3/7まで開催とのことです♪
↑企画展の説明
前庭も綺麗に整備されていて、少し散策も楽しみました♪
開館時間の9:30に訪れたので館員が掃除をしていましたね♪
掃除がかなり行き届いています♪
↑前庭
そして玄関から入ります♪
玄関もなかなか素敵です♪
↑玄関
そして受付をして、建物の歴史の説明を見ます♪
この建物は大正末期に大学教授や商社役員も務めた清田龍之助が建てたもので、それを作家の山本有三が購入し1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで家族と共に過ごしたとのことです。
この家では、有名な「路傍の石」や戯曲「米百俵」が執筆されたとのことです。
確かに良い気が充満していて、この家では良い作品が生まれそうです。
↑建物の歴史
この家は戦後1946年に進駐軍に接収されたとのことで、1951年の接収解除後は国立国語研究所三鷹分室となり、そして1953年に山本有三に返還されたようですが、1956年には青少年の育成に寄与するため土地と建物を東京都に寄贈し、子ども図書館になったとは素晴らしいと思います。
そして館内案内図があり1階と2階に展示がありました♪
1階で山本有三の生涯が分かり、2階では企画展や山本有三ゆかりの品々等を見ることができます♪
↑館内案内図
その1階にまず行きますが、さすが洋風建築らしく暖炉がありましたね♪
ここは当時は食堂だったようです。
↑暖炉
そして「この家のものがたり」が書かれていました。
この建物は、大学教授や商社役員も務めた清田龍之助が建てたものですが、1923(大正12年)年の関東大震災を経験したことから、喧噪な都心部を離れたこの郊外に火事に強い鉄筋コンクリート構造の住宅を造ろうと思い、1926年(大正15年)に竣工したようです。
そんな時代背景があったのですね。
↑三鷹の家のものがたり
そしてその後、山本有三がこの家を購入し1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで山本有三は家族と共にここで過ごしたとのことです。
それから山本有三の生涯の説明や略年譜がありました♪
↑山本有三の生涯の説明
↑山本有三のや略年譜
山本有三は1887年(明治20年)栃木市生まれで、浅草へ丁稚奉公に出されたこともありますが逃げ出して郷里に戻り家業の呉服商を手伝います。
しかし家業は性に合わなかったようで進学を望み、予備校に通い、中学の5年級へ編入でき、第六高等学校に合格するものも父死去に伴い家業を継ぎ、そして再度第一高等学校に合格して2年で卒業し、東京帝国大学に入学したとは苦労しつつ秀才だったことが分かります。
そしてこの辺りの苦労は「路傍の石」に描かれているようで、この小説に書かれていたことは自分自身のことだったんですね。
28歳で東京帝国大学を卒業し、その後は座付作者やドイツ語講師となり、35歳の時に発の小説を発表しています。
それから三鷹の思い出なども書かれていましたね♪
ここでの生活は忘れがたいものだったようです。
↑三鷹の思い出
そして、「路傍の石」の原稿もあったのは感動ですね♪
実際に原稿用紙にこのように書いたのかとなかなか興味深いです♪
↑「路傍の石」の原稿など
それから階段を上がって2階へ行きます♪
階段の窓はステンドグラスで素晴らしいです♪
↑階段
そして企画展の「日本少国民文庫」の「ごあいさつ」がありました♪
昭和10年(1935年)という世相の中、子ども向け教養書の全16巻の「日本少国民文庫」が刊行されたのですが、人類の進歩というテーマの中、次世代を担う子どもたちに「世界を見る大きな眼と、高遠な志」を培ってもらいたいという願いがあったとは素晴らしいです♪
↑「日本少国民文庫」の「ごあいさつ」
また当時は児童文学の出版状況が著しく停滞していたとは興味深いです。
↑児童文学における冬の季節
それを裏付けるように、山本有三が中学校へ進学した自分の息子に与える本がなかったということが「日本少国民文庫」発刊の動機となったようです。
↑父親としての危機感
それから当時の少年倶楽部という雑誌や本等があり興味深かったですね♪
国会議事堂は当時は最新建築物ですからね♪
↑当時の雑誌や本
↑少年倶楽部の目次
それから「世界名作選」もありましたが、装丁も美しく素晴らしいです♪
ケストナーやマーク・トウェインといった翻訳が収録されているようです♪
↑世界名作選
そして「日本少国民文庫」の一覧がありました♪
「人間はどれだけの事をして来たか」「君たちはどう生きるか」「人類の進歩につくした人々」「心に太陽を持て」などどれも読みたくなるものばかりで素晴らしいですね♪
↑「日本少国民文庫」の一覧
そして装丁も美しいのが素晴らしいです♪
↑「日本少国民文庫」の装丁
それから「日本少国民文庫」の執筆者一覧もありました♪
当時の各界の第一人者が執筆で、60回を超える綿密な編集会議が当時行われたようです。
菊池寛は小説家としても有名ですが、山本有三とは生涯を通じて交流を続けたようです。
↑「日本少国民文庫」の執筆者一覧
そして各執筆者の「日本少国民文庫」に対する思いや山本有三にまつわる話が書かれていて素晴らしいです♪
↑執筆者の言葉
それから「日本少国民文庫」は戦後も2度に渡って改訂版が出版され、平成15年(2003年)には世界名作選が新潮文庫で復刊し、平成29年には「君たちはどう生きるか」が漫画化されミリオンセラーとなっていて素晴らしいですね♪
素晴らしいものは80年以上経っても色あせないんですね。
↑日本少国民文庫が灯したもの
それから「日本少国民文庫」には若い編集者たちが登用され、たとえ著名人の原稿であっても子どもに分かりやすい内容となるよう原稿が真っ赤になるほど朱筆されたようです。
そして最終的には山本有三が目を通し、そこでも厳しい修正が入ったとは当時の熱意が感じられます。
素晴らしいです♪
↑山本有三と編集者たち
そして2階には畳の部屋などもありましたね♪
2階もかなり部屋数があり大邸宅です♪
↑2階の部屋
↑2階の部屋
それから山本有三は「いいものを少し」がモットーだったようです♪
呉服商だった山本有三の父親が失敗から得た商売上の信条で、品の良い京呉服を需要に応じて必要なだけ仕入れて納める手堅い商法が成功の秘訣だったためです。
これは商売だけでなく、生活信条としても大切なようです。
↑いいものを少し
そして山本有三のゆかりの品もあり、確かに質が良くてこだわりがあるものに感じました。
「いいものを少し」を大切にしていたようです。
↑いいものを少し
それから山本有三は「心に太陽を持て」とともに「自然は急がない」が座右の言葉の一つだったようです。
これも大切ですね♪
↑自然は急がない
それから1階には綺麗な花が生けられていました♪
素晴らしい♪
↑生け花
そして後庭もぜひと館員に言われたので行ってみると、こちらもかなり広くて驚きました♪
しかも奥には池もあります!
ここも清々しくてとても癒やされましたね♪
素晴らしい庭です♪
↑後庭
↑池
そして振り返ると山本有三記念館は、かなり立派な家だということがよく分かります♪
↑建物
山本有三記念館は、山本有三の生涯が分かるだけでなく、「日本少国民文庫」刊行に向けた熱い思い、「いいものを少し」「心に太陽を持て」「自然は急がない」といったモットーに勇気づけられ、そして庭は清々しく癒やされとても素晴らしかったです♪
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