静岡県浜松市のJR浜松駅バスターミナル2番のりば「蜆塚・佐鳴台」方面行から、バスに乗って約15分の、浜松市博物館へ行って来ました♪
↑入口
この浜松市博物館は蜆塚(しじみづか)公園の一部に建てられていましたね。
↑案内図
ここは蜆塚遺跡で、当時の貝塚が残っているようです。
↑入口
観覧料は大人310円で、paypayや各種クレジットカードで支払え、現金不要で支払いが楽で良かったです♪
100円を入れて、後で100円が戻って来るコインロッカーに荷物を預けて身軽になって博物館見学を楽しみました♪
↑館内入口
浜松市博物館の常設展では特に以下が興味深く良かったですね♪
・ナウマン象の実物大の巨大な展示
・旧石器時代(1.4万年前)の浜北人や貝塚の解説
・銅鐸を鳴らす!
・戦国時代の武田信玄の遠江への侵攻ルート
・軍都浜松の変遷
・太平洋戦争時の浜松空襲
順に写真で紹介したいと思います。
↑ナウマン象の骨格
改めてナウマンゾウは、体高は3まり巨大ですね。
約4.3万年前〜約3万年前に日本にも生息していたとは信じられませんね。
浜名湖近くでも化石が多くみつかるようです。
そしてアフリカで誕生した新人の日本へのルートの説明がありましたね。
新人到着と共にナウマンゾウが絶滅したとも考えられます。
↑日本人の成り立ち
そして、約1.4万年前の旧石器時代には浜北人が住んでいたようです。
↑浜北人の骨格
またこの蜆塚からは縄文人の墓地が見つかり、当時の人骨がそのまま残っていました。
貝塚の貝殻が人骨が溶けるのを防ぐとはなるほどえす。
↑縄文人の人骨
↑蜆塚遺跡の人骨の説明等
また貝塚の断面の説明もありましたね。
大量の貝を食べ、この辺りに捨てられたようです。
↑貝塚
それから銅鐸(どうたく)の説明もありましたね。
これも数多く発掘されるようです。
↑銅鐸の説明
実際に銅鐸を優しく叩いて鳴らすことができたのは秀逸でした♪
↑銅鐸を鳴らす
そして、この蜆塚公園の森は、縄文時代と同じ種類の木が生えているとは素晴らしかったですね。
↑縄文時代の森
それからこの辺りは古墳も多いようです。
↑西遠江の古墳
そして古代の地形と街道の説明もあり興味深かったですね。
奈良時代と江戸時代では東海道のルートが違ったようです。
↑古代の地形と街道
それから中世のフロアに行きました♪
↑中世のフロア
浜松市内には、120箇所を超える城跡や砦、居館跡が確認されているようです。
そんなにたくさんあったんですね。
↑浜松市内の城館
そして、武田信玄の遠江侵攻の2ルートの解説がありましたね。
近年、行軍経路に新設が示されているとは興味深いです。
↑武田信玄の遠江侵攻
それから浜松は軍都だったんですね。軍事施設だけでなく軍需工場も多かったようです。
↑軍都・浜松の変遷
そのため、戦争中には空襲が多かったようです。
艦砲射撃もあったとは驚きです。
↑浜松への空襲
↑焼け野原の浜松駅周辺等
なお、特別展は、近代の学校の姿でした。
↑特別展入口
↑説明やご挨拶
明治時代から、各初等教育の年数に変化があり興味深かったですね。
↑初等教育の修業年数
↑特別展の様子
浜松市博物館は、浜松の歴史を分かりやすく学べとてもオススメです!
最新の画像[もっと見る]