「アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉」の購入はコチラ
アドラー心理学によると我々は常に「進歩し」「成長し」「変わり続ける」ことがより良い人生のために大切ですが、この「アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉」という本では、そのためにはまず自らの性格形成の誤りに気づき、自分を変える勇気を持ち、共同体感覚について学び、そして実際に変わることが大切で、それらについて100項目に分け、それぞれエピソードを交えながら分かりやすく説明したものとなります♪
具体的には以下の構成となっています♪
第1章:劣等感と優越性追求について
第2章;優越コンプレックスについて
第3章:劣等コンプレックスについて
第4章:勇気について
第5章:共同体感覚について
第6章:感情について
第7章:勇気づけについて
第8章:自己変革について
私はアドラー心理学については色々と本を読み感銘を受け、私のブログでも「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」を紹介してきましたが、改めて本書はそれらの復習にもなり、今後も仲間をつくり、楽観主義で勇気をもって立ち向かい、普通であることを恐れず、自分が得意なことで社会の役に立ち、相手を喜ばせ、相手の喜びに喜び、そして感謝し、そして友人たちを大切にして生きたいと思いましたね♪
「アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉」という本は、より良い人生へのヒントとなりとてもオススメです!
以下はこの本のポイント等です♪
・アドラーは勇気がくじかれる原因のひとつとして、「甘やかし」の弊害を繰り返し語りました。「甘やかされた子どもは他者に貢献させようと常に努力するパラサイトである」。「子どもを甘やかすこととそれに伴う結果よりも大きな悪はない」。「甘やかされた子どもは皆、憎まれた子どもになる」と言うのです。甘やかされた子どもは、自分で課題を解決するトレーニングを積まないまま、大人になります。何か困ったことが起こると親が解決を肩代わりしてくれたため、自分で解決できなくなってしまうのです。しかも自分では何もしないのに、親から注目され、賞賛され続けます。すると、それが当たり前になってしまうのです。しかし社会へ出ると、誰も子どもを甘やかしてはくれません。子どもはとまどいます。そして「なぜ、周囲は自分を助けてくれないのか」と逆恨みし、結果として周囲から憎まれます。まさに「甘やかし以上の悪はない」のです。
・派手な服、奇抜な髪型、目立つブランド、大声で笑い泣く、目をそらす、話に割り込む・・・。すべて、強い劣等感が引き起こす。
・人の輪に入らずポツンと孤立する人は、「自分は他者と違い、特別高級な人間だ」と主張している。喜びを分かち合うのが、怖くてできないのだ。
・「私はこんなにも不幸で、みじめなんです」「恥ずかしながら、大失敗を告白します」騙されるな。ただの不幸自慢、失敗自慢である。
・「霊が見える」「未来を予言できる」「波動を感じる」。特別な能力を持つ人間だとアピールすることで、現実逃避をして、敗北感、劣等感から逃げるのだ。
・「継続は力なり」という言葉があります。逆を言うならば「力がなければ継続できない」とも言えるでしょう。ここでいう「力」をアドラー心理学の言葉に置き換えるとするならば「勇気」と言えるでしょう。「勇気があれば継続できる」「勇気がないと継続できない」。まさに劣等コンプレックスの典型的な症状です。
・勇気がある人は「リラックスして、くつろいでいる」と言いました。周囲の人は仲間であり、自分には困難を克服できる、と思っているからです。このことからわかる通り、勇気がある人は単なる能天気でお気楽な人ではありません。「困難なこと」「不快なこと」もあるときちんとわかった上で、その困難を受け容れています。そしてその上で、それに立ち向かうという「覚悟」をし、意志を持ってリラックスしているのです。勇気がある人のもうひとつの特徴として「自然体」があげられます。「話し方は不自然ではなく、態度にも歩き方にも気取りがない」とアドラーは言います。そして「勇気があり、自信があり、リラックスしている人だけが、人生の有利な面からだけでなく、困難からも益を受けることができる。そのような人は、決して恐れたりしない」と言っています。私たちも勇気を持ち、人生をリラックスして楽しみたいものです。
・勇気がある人とない人の見分け方として「他の人と容易に結びつくことができるかどうか」があげられます。具体的には「容易に友人を作る」かどうかです。勇気がある人は、周囲の人を仲間だと思います。だから気軽に友人を作ります。そして職場やプライベートでの隣人ともうまくやっていきます。一方で勇気がない人は、周囲の人を敵だと思いますから、友人を作ることができません。職場やプライベートでの隣人ともうまくやっていくことができません。
・勇気がない人は悲観主義。勇気がある人は楽観主義。リスクをわかった上で、楽観主義を選んでいるのだ。
・人生に失敗はつきものです。一度も失敗をしたことがない人などいません。問題は「失敗するかどうか」ではなく、「失敗した後、どうするか」なのです。勇気がない人は、失敗しそうになると、すぐにコンプレックスへと逃げ出します。そして実際に失敗した後は、次のチャレンジを拒否します。「もう失敗したくない。傷つきたくない」と最初から困難を避けるのです。勇気がある人は、失敗しそうになっても逃げ出しません。そして実際に失敗した後も逃げません。「たとえ失敗しても、それほど傷つくということはない」からです。傷つかない理由は、たとえ今はできなくても、いつか必ず「自分の困難は克服できると知っている」からです。未来の可能性を信じているのです。同様に周囲の人を仲間と考えるか敵とかんがえるかの違いも大きいでしょう。勇気がない人は、他者を仲間ではなく敵だと思い、失敗をしたら責められると考えています。バカにされ、つまはじきにされると怖れているのです。一方で勇気がある人は、他者を敵ではなく仲間だと考えています。たとえ失敗しても仲間は許し、見守ってくれると信じているのです。勇気がある人にとって失敗は怖れるべきことではないのです。
・勇気がある人は「普通」であることを怖れません。「特別」な何かを持っていなくても、今のままの自分で十分、仲間から受け容れられる(価値がある)と思っているからです。「普通である勇気」を持っているのです。それは、欠点や不足がある自分をありのままで受け容れているということです。そして周囲の人を仲間だと信じているということです。それが勇気がある人の特徴です。だからこそ、「規律を敬い、普通の生徒になろうとする」のです。
・自分らしく、自分が好きなこと、自分が得意なことをして、社会の役に立つ。それが勇気がある人の姿であり、勇気を長続きさせる秘訣なのだと。好きなこと、得意なことは何でもいいのです。事務能力でもいいし、機械いじりでもいいし、人づきあいや愛想がいいことでもいい。それを活かして社会に貢献する。そんな道を見つけたいものです。
・犯罪者は警察や法律の網をかいくぐって裏をかき、犯罪に成功することで、社会に対して指をパチンと鳴らしてみせるのです。それは強さではなく弱さです。「勇気の欠如、臆病さ」の証です。弱さや臆病さを隠すために強いふりをする。まさに優越コンプレックスなのです。それは犯罪だけに限りません。その予備軍と言える非行少年や、大人になってからも常習的に規則を破る人、他者に迷惑をかけることをいとわない人も同じです。人生において最も困難であり、だからこそ価値がある「努力」や「協力」「貢献」から逃げだし、強いふりをしてごまかしているだけなのです。アドラーは言いました。「犯罪を防ぐ最善の方法は、あらゆる人に、犯罪は臆病さの表現に他ならないということを確信させることである」と。犯罪や問題行動を起こす人が勘違いしないよう、周囲の私たちが気をつけなければならないのです。
・儒教の祖の一人である荀子もしくは孟子の言葉として知られ、百貨店の大丸ほか多くの企業理念にも採用されている「先義後利」という言葉があります。「義を先にして利を後にする者は栄える」という意味です。アドラーの教えもこれに近いでしょう。まずは顧客や同僚を疑わずに仲間だと思い、彼らが喜ぶことを先払いするのです。すると後から必ずや利がついてくる。勇気がある人は、自分の課題を他者や社会と調和するように解決する人です。仕事の関係者が仲間であると信じて接する人なのです。
・長い夫婦生活を幸せに過ごすには、互いを思いやり、自分のこと以上に相手のことを大切にするしかありません。まさに、通常の対人関係における成功の秘訣と同じです。アドラーは「夫は妻にとっての仲間でなければならない。そして妻を喜ばせることを喜びにしなければならない。それぞれのパートナーは自分自身よりも相手により関心を持たなければならない」と言いました。これはアドラーが対人関係の基本においている「交友の課題」そのものです。仕事の課題も愛の課題も突き詰めれば相手を信頼できる仲間であると考える交友の課題が基本となります。恋愛も結婚もごく普通の人間関係なのです。
・他者の善意を信じて、他者を仲間と信じて、自らの喜びを表現したいものです。そして他者の喜びを自分のことのように喜びたいものです。人と人とを結びつける喜びという感情を恥ずかしがらずに表すことが幸せの第一歩なのですから。
・勇気とは「自分には貢献する能力があり、価値がある」と思える感覚であり「困難を克服する活力」です。勇気さえあれば、人は人生の有益な側面に踏みとどまり、努力し、協力します。しかし勇気が欠乏すると、人は「これ以上失敗して傷つきたくない」と課題から逃げ出すのです。では勇気が欠乏した人に対してどのように接すればいいのでしょうか。欠乏したら補充すればいい。勇気づけるのです。勇気づけの代表的な行動は、相手の「貢献」に「感謝」を伝えること。「ありがとう」「助かったよ」と言うことです。言葉をかけられた相手は「貢献できた」「必要とされている」と感じるでしょう。それは勇気づけの行動に他なりません。しかし勇気づけは、単なる「言葉がけ」だけではありません。仮にあなたが何も言葉を発しなくても、あなたの表情や視線、さらには存在そのものが相手の可能性や能力を信じ見守っていることが伝われば、それは十分に勇気づけになります。その逆にもしあなたが「ありがとう、助かったよ」と伝えたとしても相手を操作しようという意図が見えたらそれは勇気くじきになるのです。勇気づけとは、相手が「自分には能力があり価値がある」と思える働きかけのすべて。単なるテクニックではないのです。
・失敗という「体験」が問題なのではない。できないという「思い込み」が問題なのだ。勇気がくじかれたことこそが問題なのである。
・チャレンジにはリスクを伴います。失敗すれば信用や金銭、時間、エネルギーを奪われます。ときには恐ろしさに尻込みをすることもあります。そんなときにすることは計画の練り直し以上に、自己への勇気づけをすることです。「きっとできる」「不完全でいい」「失敗してもいい」。そう自分へ言い聞かせるのです。勇気があれば何でもできる。そう信じているからです。
・最初から難しいことに挑戦する必要はありません。自分の苦手なことをやる必要もありません。人それぞれ、誰もが持っている、興味がある好きなことにチャレンジすればいいのです。そこで自信を身につける。それが一番大切です。教師、親、上司は、相手に「何に関心があるか」とたずねて、それを伸ばすことに注力することが重要です。そこで得させた成功体験、自信を他へと広げるのです。いきなり広げてはいけません。まずはひとつから。そうすれば他のことでもうまくいくようになるでしょう。「できると思うがゆえにできる」その第一歩を作るのです。
・私はかつて先輩から「仕事がうまくいかないときは墓参りへ行け」と助言を頂いたことがあります。まだ若かった私は「神頼みかよ。そんなことでうまくいくなら苦労しないよ」と思っていました。今ならばわかります。墓参りを大切にできていないということは共同体感覚が低い証拠です。今、自分の命があるのは祖先のおかげです。忙しさにかまけて祖先を敬うこともできない人に顧客や会社の同僚を大切にできるわけがない。一事が万事。目の前の人を喜ばせる習慣を築けば、あらゆる問題は解決するのです。
良かった本まとめ(2017年下半期)
<今日の独り言>
Twitterをご覧ください!フォローをよろしくお願いします。
アドラー心理学によると我々は常に「進歩し」「成長し」「変わり続ける」ことがより良い人生のために大切ですが、この「アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉」という本では、そのためにはまず自らの性格形成の誤りに気づき、自分を変える勇気を持ち、共同体感覚について学び、そして実際に変わることが大切で、それらについて100項目に分け、それぞれエピソードを交えながら分かりやすく説明したものとなります♪
具体的には以下の構成となっています♪
第1章:劣等感と優越性追求について
第2章;優越コンプレックスについて
第3章:劣等コンプレックスについて
第4章:勇気について
第5章:共同体感覚について
第6章:感情について
第7章:勇気づけについて
第8章:自己変革について
私はアドラー心理学については色々と本を読み感銘を受け、私のブログでも「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」を紹介してきましたが、改めて本書はそれらの復習にもなり、今後も仲間をつくり、楽観主義で勇気をもって立ち向かい、普通であることを恐れず、自分が得意なことで社会の役に立ち、相手を喜ばせ、相手の喜びに喜び、そして感謝し、そして友人たちを大切にして生きたいと思いましたね♪
「アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉」という本は、より良い人生へのヒントとなりとてもオススメです!
以下はこの本のポイント等です♪
・アドラーは勇気がくじかれる原因のひとつとして、「甘やかし」の弊害を繰り返し語りました。「甘やかされた子どもは他者に貢献させようと常に努力するパラサイトである」。「子どもを甘やかすこととそれに伴う結果よりも大きな悪はない」。「甘やかされた子どもは皆、憎まれた子どもになる」と言うのです。甘やかされた子どもは、自分で課題を解決するトレーニングを積まないまま、大人になります。何か困ったことが起こると親が解決を肩代わりしてくれたため、自分で解決できなくなってしまうのです。しかも自分では何もしないのに、親から注目され、賞賛され続けます。すると、それが当たり前になってしまうのです。しかし社会へ出ると、誰も子どもを甘やかしてはくれません。子どもはとまどいます。そして「なぜ、周囲は自分を助けてくれないのか」と逆恨みし、結果として周囲から憎まれます。まさに「甘やかし以上の悪はない」のです。
・派手な服、奇抜な髪型、目立つブランド、大声で笑い泣く、目をそらす、話に割り込む・・・。すべて、強い劣等感が引き起こす。
・人の輪に入らずポツンと孤立する人は、「自分は他者と違い、特別高級な人間だ」と主張している。喜びを分かち合うのが、怖くてできないのだ。
・「私はこんなにも不幸で、みじめなんです」「恥ずかしながら、大失敗を告白します」騙されるな。ただの不幸自慢、失敗自慢である。
・「霊が見える」「未来を予言できる」「波動を感じる」。特別な能力を持つ人間だとアピールすることで、現実逃避をして、敗北感、劣等感から逃げるのだ。
・「継続は力なり」という言葉があります。逆を言うならば「力がなければ継続できない」とも言えるでしょう。ここでいう「力」をアドラー心理学の言葉に置き換えるとするならば「勇気」と言えるでしょう。「勇気があれば継続できる」「勇気がないと継続できない」。まさに劣等コンプレックスの典型的な症状です。
・勇気がある人は「リラックスして、くつろいでいる」と言いました。周囲の人は仲間であり、自分には困難を克服できる、と思っているからです。このことからわかる通り、勇気がある人は単なる能天気でお気楽な人ではありません。「困難なこと」「不快なこと」もあるときちんとわかった上で、その困難を受け容れています。そしてその上で、それに立ち向かうという「覚悟」をし、意志を持ってリラックスしているのです。勇気がある人のもうひとつの特徴として「自然体」があげられます。「話し方は不自然ではなく、態度にも歩き方にも気取りがない」とアドラーは言います。そして「勇気があり、自信があり、リラックスしている人だけが、人生の有利な面からだけでなく、困難からも益を受けることができる。そのような人は、決して恐れたりしない」と言っています。私たちも勇気を持ち、人生をリラックスして楽しみたいものです。
・勇気がある人とない人の見分け方として「他の人と容易に結びつくことができるかどうか」があげられます。具体的には「容易に友人を作る」かどうかです。勇気がある人は、周囲の人を仲間だと思います。だから気軽に友人を作ります。そして職場やプライベートでの隣人ともうまくやっていきます。一方で勇気がない人は、周囲の人を敵だと思いますから、友人を作ることができません。職場やプライベートでの隣人ともうまくやっていくことができません。
・勇気がない人は悲観主義。勇気がある人は楽観主義。リスクをわかった上で、楽観主義を選んでいるのだ。
・人生に失敗はつきものです。一度も失敗をしたことがない人などいません。問題は「失敗するかどうか」ではなく、「失敗した後、どうするか」なのです。勇気がない人は、失敗しそうになると、すぐにコンプレックスへと逃げ出します。そして実際に失敗した後は、次のチャレンジを拒否します。「もう失敗したくない。傷つきたくない」と最初から困難を避けるのです。勇気がある人は、失敗しそうになっても逃げ出しません。そして実際に失敗した後も逃げません。「たとえ失敗しても、それほど傷つくということはない」からです。傷つかない理由は、たとえ今はできなくても、いつか必ず「自分の困難は克服できると知っている」からです。未来の可能性を信じているのです。同様に周囲の人を仲間と考えるか敵とかんがえるかの違いも大きいでしょう。勇気がない人は、他者を仲間ではなく敵だと思い、失敗をしたら責められると考えています。バカにされ、つまはじきにされると怖れているのです。一方で勇気がある人は、他者を敵ではなく仲間だと考えています。たとえ失敗しても仲間は許し、見守ってくれると信じているのです。勇気がある人にとって失敗は怖れるべきことではないのです。
・勇気がある人は「普通」であることを怖れません。「特別」な何かを持っていなくても、今のままの自分で十分、仲間から受け容れられる(価値がある)と思っているからです。「普通である勇気」を持っているのです。それは、欠点や不足がある自分をありのままで受け容れているということです。そして周囲の人を仲間だと信じているということです。それが勇気がある人の特徴です。だからこそ、「規律を敬い、普通の生徒になろうとする」のです。
・自分らしく、自分が好きなこと、自分が得意なことをして、社会の役に立つ。それが勇気がある人の姿であり、勇気を長続きさせる秘訣なのだと。好きなこと、得意なことは何でもいいのです。事務能力でもいいし、機械いじりでもいいし、人づきあいや愛想がいいことでもいい。それを活かして社会に貢献する。そんな道を見つけたいものです。
・犯罪者は警察や法律の網をかいくぐって裏をかき、犯罪に成功することで、社会に対して指をパチンと鳴らしてみせるのです。それは強さではなく弱さです。「勇気の欠如、臆病さ」の証です。弱さや臆病さを隠すために強いふりをする。まさに優越コンプレックスなのです。それは犯罪だけに限りません。その予備軍と言える非行少年や、大人になってからも常習的に規則を破る人、他者に迷惑をかけることをいとわない人も同じです。人生において最も困難であり、だからこそ価値がある「努力」や「協力」「貢献」から逃げだし、強いふりをしてごまかしているだけなのです。アドラーは言いました。「犯罪を防ぐ最善の方法は、あらゆる人に、犯罪は臆病さの表現に他ならないということを確信させることである」と。犯罪や問題行動を起こす人が勘違いしないよう、周囲の私たちが気をつけなければならないのです。
・儒教の祖の一人である荀子もしくは孟子の言葉として知られ、百貨店の大丸ほか多くの企業理念にも採用されている「先義後利」という言葉があります。「義を先にして利を後にする者は栄える」という意味です。アドラーの教えもこれに近いでしょう。まずは顧客や同僚を疑わずに仲間だと思い、彼らが喜ぶことを先払いするのです。すると後から必ずや利がついてくる。勇気がある人は、自分の課題を他者や社会と調和するように解決する人です。仕事の関係者が仲間であると信じて接する人なのです。
・長い夫婦生活を幸せに過ごすには、互いを思いやり、自分のこと以上に相手のことを大切にするしかありません。まさに、通常の対人関係における成功の秘訣と同じです。アドラーは「夫は妻にとっての仲間でなければならない。そして妻を喜ばせることを喜びにしなければならない。それぞれのパートナーは自分自身よりも相手により関心を持たなければならない」と言いました。これはアドラーが対人関係の基本においている「交友の課題」そのものです。仕事の課題も愛の課題も突き詰めれば相手を信頼できる仲間であると考える交友の課題が基本となります。恋愛も結婚もごく普通の人間関係なのです。
・他者の善意を信じて、他者を仲間と信じて、自らの喜びを表現したいものです。そして他者の喜びを自分のことのように喜びたいものです。人と人とを結びつける喜びという感情を恥ずかしがらずに表すことが幸せの第一歩なのですから。
・勇気とは「自分には貢献する能力があり、価値がある」と思える感覚であり「困難を克服する活力」です。勇気さえあれば、人は人生の有益な側面に踏みとどまり、努力し、協力します。しかし勇気が欠乏すると、人は「これ以上失敗して傷つきたくない」と課題から逃げ出すのです。では勇気が欠乏した人に対してどのように接すればいいのでしょうか。欠乏したら補充すればいい。勇気づけるのです。勇気づけの代表的な行動は、相手の「貢献」に「感謝」を伝えること。「ありがとう」「助かったよ」と言うことです。言葉をかけられた相手は「貢献できた」「必要とされている」と感じるでしょう。それは勇気づけの行動に他なりません。しかし勇気づけは、単なる「言葉がけ」だけではありません。仮にあなたが何も言葉を発しなくても、あなたの表情や視線、さらには存在そのものが相手の可能性や能力を信じ見守っていることが伝われば、それは十分に勇気づけになります。その逆にもしあなたが「ありがとう、助かったよ」と伝えたとしても相手を操作しようという意図が見えたらそれは勇気くじきになるのです。勇気づけとは、相手が「自分には能力があり価値がある」と思える働きかけのすべて。単なるテクニックではないのです。
・失敗という「体験」が問題なのではない。できないという「思い込み」が問題なのだ。勇気がくじかれたことこそが問題なのである。
・チャレンジにはリスクを伴います。失敗すれば信用や金銭、時間、エネルギーを奪われます。ときには恐ろしさに尻込みをすることもあります。そんなときにすることは計画の練り直し以上に、自己への勇気づけをすることです。「きっとできる」「不完全でいい」「失敗してもいい」。そう自分へ言い聞かせるのです。勇気があれば何でもできる。そう信じているからです。
・最初から難しいことに挑戦する必要はありません。自分の苦手なことをやる必要もありません。人それぞれ、誰もが持っている、興味がある好きなことにチャレンジすればいいのです。そこで自信を身につける。それが一番大切です。教師、親、上司は、相手に「何に関心があるか」とたずねて、それを伸ばすことに注力することが重要です。そこで得させた成功体験、自信を他へと広げるのです。いきなり広げてはいけません。まずはひとつから。そうすれば他のことでもうまくいくようになるでしょう。「できると思うがゆえにできる」その第一歩を作るのです。
・私はかつて先輩から「仕事がうまくいかないときは墓参りへ行け」と助言を頂いたことがあります。まだ若かった私は「神頼みかよ。そんなことでうまくいくなら苦労しないよ」と思っていました。今ならばわかります。墓参りを大切にできていないということは共同体感覚が低い証拠です。今、自分の命があるのは祖先のおかげです。忙しさにかまけて祖先を敬うこともできない人に顧客や会社の同僚を大切にできるわけがない。一事が万事。目の前の人を喜ばせる習慣を築けば、あらゆる問題は解決するのです。
良かった本まとめ(2017年下半期)
<今日の独り言>
Twitterをご覧ください!フォローをよろしくお願いします。