○で囲ってある那智ねぼけ堂で、
胡麻豆腐の右横のお菓子の下に当たりくじがあって、
写真の「那智の鈴」のカステラをいただいた。
まぐろ釜飯のお昼を食べて。
那智勝浦港は延縄漁の生まぐろの水揚げ量が日本一なのだそう。
まぐろ釜飯、美味しかった。
食べ終わったら、歩いて、
俗界と霊界の境目の橋、振ヶ瀬橋。
夫婦杉。
樹齢800年の痛々しい楠木。
木に扉 どんな治療が施されているんだろう。
石畳、苔むし、濡れてて、滑る、滑る。
貸し杖があったので借りればよかったと。
結構、高齢者が多かったけど、
私より歩くの早い
息を切らして、大汗拭いながら、
途中、那智の滝が見えたけど、まだ半分
やっと、45分くらいかかって熊野古道を抜けて、
表参道の入り口へ。
写真は二つ目の熊野那智大社の鳥居。
熊野那智大社の右手に、第一番 那智山 青岸渡寺。
神武天皇が熊野で道に迷ったときに
大和へ道案内をしたとされる
三本足の八咫烏の印が。
熊野三山ではカラスは神の使いとされ、
八咫烏は熊野大神に仕える存在として信仰され、
熊野のシンボルともされているのだそう。
日本サッカー協会のシンボルマークにもなってるよね。
http://www.hongutaisha.jp/%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F/
高野山の奥の院へ行く前に、
この赤松院の宿坊で
この精進料理をいただいて、
集合まで30分ぐらい時間があったので、
金剛峰寺へ。
○で囲ってあるところが金剛峰寺で、
矢印の辺りが赤松院。
早足で15分くらい。
金剛峰寺のホームページから借用
〇は天水桶といって、火事から類焼を守るための物
とっても中まで拝観する時間がなかったので、
右は先月友達と行った浄土寺のもの
「時間がなくて拝観できなくて、ごめんなさい」
「またゆっくり来ます」と言って、ご朱印だけいただいて、
このばちあたりめが!
「すみません、近いんですが」とこれまた誤って、
タクシーに乗って、食事をした赤松院の
バスが停まっている駐車場まで戻りセーフ!
気持ちよく乗せてくれた運転手さん、
ありがとうございました
高野山は町になっていて、1000m近い山の中あり、
よくもまあ、1000年以上も前に
弘法大師はよく創られたなと・・・・
平成27年は
開創1200年だそうです。
日帰りで出かけて来ました。
東根院の12年に1度、卯年に特別公開される
文殊菩薩(卯年守り本尊)はちと期待外れだったけど、
奥の院と、そこへ行くまでのお墓がよかった。
奥の院↓
邪馬台国大研究・ホームページ より借用
戦国時代の武将や大名、企業、芸能人などのお墓が
所狭しと並んでいる。
詳しくはこちら↓のホームページを
http://inoues.net/club/okunoin.htm
お江の墓(「はすの会」さんのホームページから借用)
その中でも一番大きいのが
今話題のNHKの大河ドラマの主人公、
お江(崇源院)のお墓。
奥の院への入り口御廟橋 この先は撮影禁止
奥の院には弘法大師の御廟があり、
入定というらしいけど、今尚生き続けて、即身仏として、
私たちを救ってくださっていると。
生きているということで、
生身供(しょうじんく)と言って日に2回食事が供され、
http://www.lococom.jp/article/view/2312085/
生身供の様子はこちらのブログから↑
年に一度、着替えのための布も供されるそうです。
あまり知られていないようですが、
燈籠堂から地下へ下り、
大師のより近くで御参りすることもできます。
現在、30万近くお墓があるそうです。
「大師のおそばで眠りたい!」と・・・・
人びとにそのように思わせる、
弘法大師という人はすごい人だったんだろうな。
とにかく、異様な、神秘的な、不思議な空間だった。
「南無大師遍照金剛」♪「南無大師遍照金剛」♪