喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

広兼邸

2022-09-13 | 岡山県 旅

吹屋ふるさと村から約4㎞離れたところにある。









城郭と見まがうばかりの石垣。



二階建ての楼門まであり、二階は「不寝番部屋」。
ここに24時間常駐して、不審者をチェックしてたようだ。


広兼邸からの眺望




銅山とローハ(ベンガラの
原料)製造で巨大な富を築き、
1810年(文化7年)の建築で、
敷地2,581㎡
2階建ての母屋323㎡、大正の建築の離れ座敷117㎡。
他長屋、土蔵3棟、楼門で約260㎡。

昭和52年と平成8年に
映画「八つ墓村」のロケに使われたようだ。
見たんだけど記憶にないなぁ。

広兼邸は既に持ち主が手放して、
現在は地方自治体が管理運営しているが、
吹屋観光案内所から広兼邸と反対方向へ
同じくらい行ったところに、
同様に江戸時代に銅とべンガラで財を成した西江邸がある。
ここは現在も子孫の方が居住されていて、
一般に公開されているが、事前に予約が必要なので、
行かれる方はご注意を。

往復8㎞の舗装されているとはいえ、上り下りの道を
最近はこんなに歩くこともなく、
久しぶりに歩いて、股関節が痛くなった。
しかし、寝たら、すっかり治った・・・・若い。(*´ω`*)

見逃したところも沢山あって、
吹屋、また、是非、行きたい。
今回、歩いて回ったことは
地域をよく知れてよかったけど、
素通りしたところも沢山あった。
次回は車青色の車で。











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笹畝坑道

2022-09-12 | 岡山県 旅



吉岡(吹屋)銅山の笹畝坑道の坑口。



大きなコウモリに悲鳴を上げたり、
突然現れた人形(写真右上)に驚いたり。
どこまで続くんだと、不安になったり。
当時機械もなく、よく人の手で掘ったもんだと感心したり。



鍾乳洞と見まがうほどだ。

元々銅山で栄えていた吹屋の銅鉱石は

ベンガラの製造に欠かせない磁硫化鉄鉱石と
隣接して産出し、
鉄鉱石の中に含まれる
微量の銅成分が美しい色を作り、

吹屋のベンガラはジャパンレッドとして
世界で最も美しいと言われたのだそう。

吹屋の地下には坑道が
蜘蛛の巣のように縦横無尽に張り巡らされ、
総延長でおよそ80㎞も掘り抜かれているそう。

地震の際などは崩れているのか、
「ドーン、ドーン」と地鳴りのような
音がすることがあるそう。



下の丸の部位が竪坑。



右下の丸が笹畝坑道で、左上の丸が吹屋小学校。
真中の丸が観光案内所で、
そこから笹畝坑道までは1.2㎞ある。

余談ですが、
吹屋のベンガラ製造には、
長門国大津郡(現下関市長府)の住人、
原弥八の功績があったと、
吹屋で買った、臼井洋輔さんの
『吹屋ベンガラ』という本に書かれ、
同じ山口県人として、誇らしかった。

長門の銅が東大寺の大仏に
使われたことは知っていたけど、
日本で最も早く銅が造られたのが
長門であり、
和同開珎などが708年(和銅元年)に
鋳造されたところでもあるというのは
この本を読んで初めて知った。

ベンガラの製造工程が復元されている
ベンガラ館は休館(開館日土日月祝)で、
見学することができず残念。

1872年(昭和47年)の閉山とともに、
化学工業の発展と相まって、
安価に短時間で造られるようになり、
手間暇かけて造られる吹屋の
高品質なジャパンレッドして
世界を数百年間席巻した吹屋ベンガラは
幕を閉じたのだそう。






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高梁紅茶

2022-09-11 | 岡山県 旅

宿で朝食を摂り、町を散策していたら、
町並みの外れに、cafe燈が。

「高梁紅茶」のメニューが目に入って、
お店に入ったら、まだ、開店前だった。

「お食事ですか」と聞かれ、
「高梁紅茶が飲みたくて」と言ったら、






飲み物ぐらいだったらと、出していただけた。

開店の準備で忙しくされていたのに、
ありがとうございました。



旅行をすると、その土地のお茶、
特に和紅茶やその土地ならではの
変わったお茶に目がいって、味わて見たくなる。

お茶って、生活に密着していて、
育つ北限はあるにしても、
日本のいたるところでお茶の木は育てられ、
土地土地のお茶があるのだと、
つくづく思った。




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ベンガラ色の町並み

2022-09-11 | 岡山県 旅

吹屋を知るきっかけは多治見るこみち・その1
すごく興味が湧いて、
青春18きっぷを使って、
即、吹屋行きを決行した。(*´ω`*)











立つ日の朝、バスを待つ間に。
まだ静まり返っている。


ベンガラ屋

このお店で、帽子を持ってこなかった夫が
珍しく自分の小遣いで



ベンガラ染めの防止を買ってた。

私は、



ベンガラの染料を買った。

ベンガラは赤だけと思ったら、
黒と黄があるのに驚いた。




郷土館の2階から



診療所があるというので入ってみた。







ベンガラ屋さんで
広兼邸までは食事するところがないから、
ここで食べて行った方がいいと教えていただき、
お昼を摂った松栄館(昔旅館だったらしい)の店内。

小腹が空いたときにと、ここで買った山菜おにぎりが、
民家の軒先で売ってた1パック100円のプチトマトと共に
翌日の朝食になり助かった。

杉の木の茂る細い山道を真っ暗な中、
ネットに出てくるような町並みがあるのかしら、
いや、銅山やベンガラで栄えた町だから
豪商が贅を尽くした町があってもおかしくない。
と、頭の中で不安を払拭しながら。( ^-^; )

翌日明るくなって、



タイムスリップしたような別世界に来たような、
標高550mの山間とは思えないような町並みに感動。

1972年(昭和47年)に閉山し、
銅山とベンガラ製造で栄えた吹屋の町並みに、
残った住民たちが歴史的・文化的価値があることに気づき、
町並みの保存活動が積極的に行われ、
1977年(昭和52年)に
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

町の人たちはとてもフレンドリーで、
この町をとても愛していることが伝わってきた。

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ラ・フォーレ吹屋

2022-09-09 | 岡山県 旅

備中高梁駅からバスに乗った時は
まだ明るかった。

そのうち日も沈んで、暗い細い山道を、
乗客は私たち2人と
高校生らしき男女2人、年配の女性の5人だけ。

途中泊まる宿の道案内が出ていて、
運転手さんにここで降りたほうが良いのかたずねると、
終点でよいとのこと。

その会話を聞いていたのか、
男の子が下車する時、わざわざ、
宿までの行き方わかりますかと声をかけてくれ、
行き方を教えてくれた。

こんな山の中(標高約550メートル)に、
ネットで見たあんな町並みがあるのかしら、
暗闇の中で、宿の行き方わかるかなと、
そんな不安な気配を感じてくれたのか・・・・
なんて優しい男の子なんだ。
どうもありがとう。

バスを降りると、
宿の人が車で迎えに来てくれていた。

みんな優しいなぁ。



宿の、ラ・フォーレ吹屋。

1873年(明治6年)に開校し、
2012年(平成24年)に廃校になった、



宿の前にある旧吹屋小学校、
現役時は日本最古の小学校校舎だったそう。
その校舎を真似て、
ラ・フォーレ吹屋は建てられたのだそう。


宿の中庭


宿に飾ってあったリース

手作り満載の、素朴な宿だ。

「紅」つながりで、
吹屋ふるさと村をもっとアピールしようと
「紅辛(べんがら)唐辛子プロジェクト」を立ち上げ、
町並みのあちこちに、プランターで唐辛子が育てられていた。

入った建物ごとに、色々な唐辛子のリースが飾ってあった。

吹屋は唐辛子の赤(紅)が本当に似合うな。



追記
「吹屋」の名前の由来は
金属精錬をする事を吹くと呼び、
『吹く職人』(=鋳物師)が集まっている集落
ということから、「吹屋」となったのだそう。

昭和52年(1977年)に
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。











 

 

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