喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

多景島

2024-09-28 | 滋賀県の寺・神社・仏像

琵琶湖にこのような島があるのを知らなかった。




かっては竹で覆われ竹島と呼ばれていて、
江戸時代に土を運んで植林されたことで、
眺める方向によって多様な景色を見せるようになり
多景島という名前に変わったそう。

島全体が日蓮宗見塔寺の境内で、
島そのものがご神体となっている。

彦根港から赤備えの「直政」号という
一日一便のフェリーで約20分。
島での滞在時間は30分。
周囲約600mの小さな島で、
30分あれば島を十分見てまわれる。



日蓮上人像の横に題目岩という大きな岩があって、
今は崩落して無くなっているが、
上の写真のように「南無妙法蓮華経」と
字が彫られていたそう。

また、釈迦堂には悟りを開かれ、
断食苦行を終え、今、まさに山を出ようと
片膝を立てている姿の出山釈迦牟尼佛が
祀られているそう。
やせ細って骨皮筋衛門のお釈迦様の像は初めて。

この島、当然人は住んでいないが、
社務所にはお世話する人がいて、
発電機や冷蔵庫はガス式を使っているそう。
ガス式の冷蔵庫、初めて聞いた。



琵琶湖にはいくつ島があるんだろうと調べてみた。


有人の島があるのは知っていたけど、
沖島という名前は知らなかった。
竹生島は有名で、多景島と同じ島全体がご神体。
沖の白石は上陸できない4つの岩からなっていて、
一番大きい岩で高さが14メートル。

ツアーの添乗員さん、バスの中で
色々興味深い話をしてくれ、そのひとつ、
約400万年前に現在の三重県伊賀市付近に浅くて狭い湖ができ
その後、断層運動によって形状を変えて移動し
現在の琵琶湖になったと。
ひょっとしたら琵琶湖は三重県にあったかもと。

そういえば、先日ミステリーツアーで行った
草津市の琵琶湖湖岸にある琵琶湖博物館は
琵琶湖の生き物だけでなく、
かって象やワニもいたと、展示してあった。
時間が短くて、見切れなかったけど、
400万年の歴史を誇る、琵琶湖だけあって
なかなか、面白い。
もう一度、ゆっくり行きたい所。

滋賀県は私の好奇心をそそる場所が
いっぱいあって好きだ。




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木之本地蔵院

2024-08-13 | 滋賀県の寺・神社・仏像

ここは2回目。

手水舎の蛇口、竜の口といって、
龍の蛇口が一般的ですがここの蛇口は蛙。
いわれはこちら→木之本地蔵

22日~25日には木之本地蔵大縁日、
25日には大花火大会があるようです。
静かな北国街道が賑わうんでしょうね。
木之本地蔵大縁日・木之本大花火大会 | 長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイト (kitabiwako.jp)

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牟禮山観音禅寺

2023-03-24 | 滋賀県の寺・神社・仏像

今週は代休消化で休みだけど、
何やかやで忙しい。

21日は日泰寺にお参り。
久し振りに市も出て賑わっていた。

昨日は、この日しかないと、
雨が降りそうで、帰路は大雨になったけど、











創建は853年。
臨済宗妙心寺派のお寺。


本尊の、今回御開帳の十一面観音菩薩像。

創建より古い601年、聖徳太子が28歳の時、

一刀三礼して彫ったと伝えられているそう。

60年に一度の大開帳と、30年に一度の中開帳のみに
拝むことができるという秘仏。

最近は平成十二年(2000年)に大開張が行われ、
本来なら2030年の中開帳だけど、
今年、聖徳太子没1400年の遠諱(50年毎に)法要が行われ、
それに伴って特別に大開帳されたようだ。
次回の大開帳は2060年だそう・・・生きてないな。


地蔵菩薩のように錫杖と宝珠を持つ
珍しい姿の聖徳太子像は
唯一ここだけだそう。





このお寺、観音霊籖(かんのんれいせん)という
みくじ占いの秘法が伝わっていて、
住職と面談して具体的に占う内容を定めた上で、
住職が読経しておみくじを引き、
住職がその結果を説明するという
古式に基づく伝統的方法で行われるのだそう。

興味ある方はいかがですか。

 









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橘堂

2022-12-11 | 滋賀県の寺・神社・仏像

先日の秘仏とまみえる旅2日目のお寺
野洲市小南にある来迎寺の見学が橘堂に変更になる。



元々は天武天皇の勅願により、
近くにある宝光寺を創建した際、
同時に建立されたのだそう。

その時、天皇より髻(頭上に集めて束ねた
)の一部を拝受し、
本尊と一緒に安置したところから、
髻堂(きつどう又はもとどりどう)と称し、
「きつどう」が橘堂になったようだ。
結堂とも称されている。

1509年に兵火で堂は消失し、
本尊は救出され、近隣の吉田、白井両家が
元の位置にお堂を建て、仏像をもどしたという所以で
現在も両家が管理されている。







中央の本面の左右に忿怒相と慈悲相の脇面があり、
頭上の髻の上に一面、それを囲むように
菩薩面が五面、憤怒面が三面、笑み面が二面の計十一面、
合わせて十四面、六本の脇手(六臂)の変わった作りの像で、
千手観音として作られたのではないかと。

東近江市観光協会のツアー、中々良かった。
要チェックだな。




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桑實寺

2022-12-05 | 滋賀県の寺・神社・仏像

杖にピッタリの木の枝を拾って、
650段の参道を。




山門




地藏堂


地蔵堂前の休憩所








本堂

白鳳6年(677年)に
天智天皇の勅願で創建され、
開山は藤原鎌足の長男の定恵。

定恵は中国から桑の木を持ち帰り
この地で初めて養蚕を広めたことから
桑實寺と名前が付けられたらしい。

桑の木は成長が早く、寿命も長く
樹齢 1000年以上、樹高 25m 以上の巨木になることもあるそうだ。

しかし、この辺り、桑の木見ないなぁ。
巨木あってもよさそうだけど・・・・・・。







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