大仏を見損ねた、
新大仏寺。
奈良の東大寺を再興した重源上人が、
東大寺別所を全国に7ヶ所作ったその一つ。
そのため、東大寺に敬意をはらって寺の名前に「新」と付けたらしい。
1202年(鎌倉時代)、源頼朝が後鳥羽上皇の勅願寺として開いたのだそう。
大仏を見れなくて残念だったけど、
本堂内、自由に入れて、
楽器を持った飛天の絵を堪能できた。
片道40分770円かけて行ったのに、
新大仏寺の大仏さん、奈良国立博物館にお出ましで、
いなかった。ショック(/_・、)
大仏殿、もぬけの殻。
調べたら、8日から奈良国立博物館で快慶展があるようだ。
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2017toku/kaikei/kaikei_index.html
そういえば、この大仏様、頭部だけが当時(鎌倉時代)のもので、快慶作。
その他は江戸時代の補作なんだそうだけど。
それで、出展要請があったんだろうね。
ちなみに像高は約4m、蓮華座から光背までの総高は6mらしい。
見たかったなぁ。
仏像は↓
http://chuplus.jp/blog/article/detail.php?comment_id=3993&comment_sub_id=0&category_id=288
今回の青春18きっぷの三重の旅は、
まごの店が本命だったけど、
これだけではもったいないと、
周辺にお寺や有名な仏像がないかと探したら・・・・・・・
三寺とも駅から遠く、タクシーで巡った。
まず、一番遠い近長谷寺へ。
最近、こんなとこ行く旅多い
やぶ蚊を扇子で払いながら
あえぎながら登って、
伊勢神宮内宮に近いということで、近長谷寺と名前が付けられたらしい。
本尊の十一面観音立像は、奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺とともに
日本三観音像の一つ。
この三観音像は一本の樟から造られたという伝え。
錫杖を持つ姿は奈良の長谷寺の観音像と同じで、
これを大和長谷型観音と言うらしい。
近長谷寺の観音像は錫杖を手に持たずに添えていて、
これは日本唯一だそう。
十一面観音の両脇の壁画
次に佛土山普賢寺へ。
本尊の普賢菩薩坐像の他に沢山の仏像を所蔵していて、
こちらhttp://hitabutsu.jp/blog-entry-113.htmlで観ることができる。
普賢菩薩は辰年と巳年の守り本尊らしく、
辰年の私、
いただきました。
先代の住職様が描かれたのだそう。
ありがとうございました
大切にお守りにします。
タクシーの運転手さんから、
「まごの店、早く行かんと完売になるよ」と。
そこで、先に腹ごしらえして
金剛座寺へ。
藤原家の四国霊場86番札の讃岐支度寺の別当だったらしいが、
693年頃に、藤原不比等が内妻の菩提寺として、
支度寺から行基の刻んだ如意輪観音を遷座させて、
本尊としたそう。
如意輪観音坐像(金剛座寺の画像一覧より)
とてもスリム。
不比等から400年後、16代末裔と言われる
西行がここに立ち寄った時、
「昔より菩提の樹それながら いでし仏の影ぞ残れる」と、
この寺に植えられていた桜を詠んでいるのだそう。
金剛座寺、拝観予約時間より随分早く伺ったのだけど、
快く対応してくださり、
おかげで、早い時間の電車に乗れて帰宅することができた。
年取ると、遊ぶなら土曜日。日曜日なら早く帰宅して、
ゆっくり休養して次の日の仕事に備える。
段々体力の衰えを感じる私はつくづくそう思う今日この頃
しかし、京都や奈良のお寺じゃなくても、
地方の山里の小さなお寺でも
素敵な仏像に沢山会うことができる。
そんな仏像のほうが親しみを覚えて、ホッとする。
最後におまけ。
帰りの電車の中からの風景。