月:右はさつま芋の天麩羅 火:厚揚げとエリンギ・キャベツの
味噌炒め
水:中華飯(ニチレイの中華飯の具を使用) 木
金曜日は写真撮り忘れたけど、焼きそば。
私たちの昼はオムそばにした。
火曜日と水曜日に我が家で採れた
生姜の甘酢漬けが入れてある。
私もせっかちだけど、夫はもっとせっかちで、
親生姜よりずいぶん小さいのに、
全部生姜抜いてきた。
まだまだこれから大きくなるのに。(・_・;)
そこで、サッと茹でて、甘酢に浸けておいた。
一事が万事そんな調子で
今年は、とっくの昔にさつまいもの収穫も終わった。
よそ様にあげるにあげられず、
仕事休みの日は野菜と格闘した夏だった。
野菜作り手伝いもしないのに、
我が家の食費節約に大いに助かっているのに、
旦那様、文句ばかり言って、すみません
一生に一度は食べに行きたい・・・・お店なのに残念!!
で、食べれなかった了息庵へ、
数か月前に予約をしておいて、
水曜日に行ってきた。
ピンポイントでナビ設定できず、
また、通行止めになっていたりで、
※林道大滝から大沢線(三郷町から山岡町)の
寿老の滝から山岡側へ400m付近路側崩壊)
若者(といっても、私と20違って、もう若者ではないけど、
学生や昔一緒に働いていた時のイメージが抜けきれず(*´ω`*))
二人が携帯で検索してナビしてくれ、
しかし、山ん中で、電波が途切れ途切れ、
私の記憶とで、予約時間を大幅に過ぎて
やっとたどり着いた。(・_・;)
写真撮り忘れたけど、厚揚げをくずしてご飯にかけていただいた。
デザート
豆腐(薬味やだし汁)以外何も出てこないけど、( ^-^; )
豆腐が作られる過程の総てを
余すことなく、味わい尽くす。
豆腐に感動したのは初めて。
豆腐でお腹いっぱになったのも初めて。
衝撃的な豆腐料理との出会いでした。
久しぶりに出勤。
スクールバス降りて、歩数稼ぐために、少し遠回りして職場に。
途中2か所に大きな栗の木があって、
栗が沢山落ちてた。
イガを靴で割って
こんなに拾った。
我が職場、自然の恵みでいっぱいだなぁ。
今日は秋分の日。
土曜日で祭日だけど娘出勤。
火曜日:ロールキャベツ・コンニャクとしし唐の甘辛煮
娘、コンニャク大好物。
水曜日:オムライス・しし唐の肉巻きすき焼き風
キュウリとマクワウリの酢の物
木曜日:茄子と豆腐のミートソースグラタン・酢の物(蛸・胡瓜・千切り生姜・ワカメ)
賞味期限切れ山菜の水煮の炊き込みご飯
金曜日
今日
炊飯ジャーの釜のフッ素被膜が剥がれて、
新調した。
七分づきのお米を使っているので
水の量は多めにしているのだけど、
何だかモサモサして硬め。
浸水時間も長くしないといけないらしいけど、
前のお釜の時も白米と同じ浸水時間で、
炊きあがり気にならなかった。
調べてみたら、七分づきで2時間以上は
浸水が必要だったらしい。
20分しか浸水していなかった。
エコ炊飯にもなってた。
説明書を読むと七分づきは
「白米やわらかめ」に
セットしなければいけなかったらしい。
お釜によって、色々くせはあるだろうけど、
モサモサで硬いはずだなぁ。(・_・;)
1923年9月1日、関東大震災が発生した5日後に
香川から訪れた薬売りの行商団15人の内
幼児や妊婦を含む10人(もうすぐ生まれる胎児を入れ)が
讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ
村人によって殺害された事件。
関東大震災のとき朝鮮人に対するデマが
飛び交ったことは知っていたが、
この事件のことは知らなかった。
生存への不安や恐怖にかられたとき、
集団心理に煽られ、人々が暴走する。
怖いなと思った。
倉蔵(渡し守)
「ホントにあの人たちが日本人だったらどうするんだよ!
おめえら、日本人殺すことになんだぞ!」
新助(行商団のリーダー)
「・・・・鮮人なら殺してええんか」
映画のなかのこの台詞が印象に残った。
パンフレットの中で、
美術作家の飯山由貴さんが、
「殺されてもよい人はいない、
忘れられてもよい人はいない」。
このことを当たり前とする社会を、
それを当たり前のこととする文化を、
作れているのだろうかと。
前記の台詞に、
「日本人なのにと」思った自分がいて、
新助の台詞に、「ハッ」とさせられた。
中川五郎「1923年 福田村の虐殺」2022年8月5日 岡山LIVE