宝蔵寺からバス停に向う途中に、
で、帰って調べてみたら、
山脇東洋とは
杉田玄白の解剖(1771年)に先立って、
1754年にわが国初の医学的解剖を行った人で
漢方医による五臓六腑説など、
身体機能認識の誤診を指摘し、
蘭書の正確性を照明し、
実証的な科学精神を医学にとり入れ、
日本の近代医学が芽生えるきっかけとなった人物だそう。
http://www.takedahp.or.jp/publicity/health/entries/post6004.html
その後も解剖を重ね、その遺体14柱の供養を行い、
その碑がここ誓願寺の墓地にあるのだそう。
杉田玄白は有名だけど、山脇東洋は知らなかったなぁ。
しかし、実際に人体解剖をして内臓の説明をしていたのは
山脇東洋でも杉田玄白でもなく、
被差別部落の人たちだったのだそう。
http://www.jinken-net.com/gozonji/step/0308.html
すぐれた解剖技術と知識だったそう・・・・・・すごいね!。
近くには六盛や平安神宮があるのに、
今回初めて知った。
実業家・日本美術コレクターの細見古香庵(1901−79)が始め
細見家三代の蒐集品を基礎として、
1998年に開館したのだそう。
京都の町家をモチーフにした
「和」がコンセプトだそう。
普通の美術館をイメージしたらとても狭い建物だけど、
地上3階、地下2階の吹き抜けになっていて、
中庭や屋上庭園、茶室、半オープンスタイルのカフェ、
ショップも揃ってる。
若冲生誕300年を記念しての催しだそう。
これだけの作品を一堂に観られるのはないかも。
9月4日までですが、
しかし、平日なのに、車や人で混雑してた。
外人の観光客も多くて、
京都のバスの運転手さん、大変だなぁと。
私ならイライラするだろうけど、
口調もやさしく、親切で感心した。
迷いに迷って・・・・方向音痴の私
一般拝観はしていないので予約が必要。
若冲の誕生日の2月8日前後には寺宝の特別公開があり、
彼や弟子の作品が観られるようだ。
寺所有の若冲の髑髏図のデザイン(今年だけだそう)の
この御朱印いただいて、
急いで細見美術館へ。
大護摩祈願祭のあと京都へ。
若冲ゆかりのお寺「宝蔵寺」と
細見美術館へ「伊藤若冲展」を見に行くのが目的。
宝蔵時へ行くのに、
川原町三条で下車したら、目の前に本能寺の表札。
「えっ?あの本能寺」と、
狭い参道路地入ったら・・・・・ここも境内の一部?
こんな場所にと
赤い場所から、黒丸の所へ
秀吉の命令で移らされたらしい。
山門は寺町通りに本堂の裏は
私が下車した川原町通りに面している。
五度も火災にあって、
現在は匕(火)を嫌って、
「能」の字が「」の字に変わってる。
それにしても、
京都の街中、ビルの谷間にあって違和感を覚えるけど、
信長には似合ってるかも・・・・・・・。