蒲郡クラシックホテルでランチして、
竹島へ。
先日ツアーで行った多景島のように
島全体が神の島のよう。
また、島全体が天然記念物になっているそうだ。
四つの神社をお参りして、
島の反対側に下りると遊歩道があり、
海岸沿いを歩いて橋まで戻ることができる。
小雨が降ったり、曇り空だったので、
天気のいい日にお弁当持参で、
もう一度、竹島水族館と竹島に来たいな。
開創1300年で記念御開帳ということで、
豊川市にある財賀寺に行って来た。
724年(神亀元年)聖武天皇の勅願で
行基が開創したお寺。
724年は聖武天皇即位の年で、
即位後、地震、凶作、疫病、貴族の反乱、
自分の子どもも1歳で亡くすなど
多くの災いが起こり、仏教に救いを求め、
国分寺や国分尼寺、東大寺の大仏等を作ったのだそう。
さてさて、財賀寺は
どのようなことを祈願して建立されたのやら。
仁王門と阿吽の金剛力士像。
いずれも国指定の重要文化財だそう。
本堂のご本尊の千手観音菩薩像。
行基が一刀三礼で彫った像らしい。
一刀三礼で彫ったって、どうしてわかるんだろう????
しかし、写真と実物は随分雰囲気が違うなぁ。
日泰寺の盂蘭盆会に。
山門にお釈迦様の弟子で、
左は最長老で、お釈迦様の後継者と言われた迦葉尊者。
右は多聞第一と言われ、仏典編纂の立役者の阿難尊者が。
光背には鹿の透かし彫りがしてあった。
最近はお参りする人が少ないように思う。
静かにお参りできていい。
余談ですが、山門の像の作者は
尾道出身の圓鍔勝三(故人)という人で
越前市の紫式部公園の
美術展ナビより拝借「紫式部のまち、越前市」ルポ㊤ 紫式部の日常をリアルに感じる魅惑の風土と文化 – 美術展ナビ (artexhibition.jp)
今、NHKの大河ドラマで話題の
紫式部の像も彼の制作だそう。
何度も日泰寺にはお参りに来るけど、
車で来ることが多く、
山門の像をまじまじと見たことがなかった。
今日は公共交通機関を利用してお参りした。
参道を歩いて、山門をくぐって・・・・・・。
光背の鹿の透かし彫りが珍しく、
普通は仁王さまだがな、はて?と不思議に思って、
調べていたら、圓鍔勝三さんに行き当たり、
どんな人かと調べていたら、
紫式部像に行きついたというわけ。( ^-^; )
わからないことを調べると、
限りなくいろいろなことに繋がって、面白い。
西尾市の浄名寺に円空仏を見に行った。
この小さなお堂に祀られていて、
自由に開けてお参りすることができる。
像高270㎝で国内最大級だそうで、
生えている木に直接彫られた立木仏。
阿弥陀如来の化仏を配した宝冠を被り、
胸に装身具(瓔珞ようらく)があることから観音像。
もともとは伊勢に祀られていたのが、
明治時代に廃仏毀釈で
数多くの仏像が難を逃れるために
船で対岸の三河などへ移され
この円空仏もその一つではないかと。
円空は、延宝2年(1674)夏に
伊勢志摩地方を訪れて多くの造像を行なっていて、
この頃の作ではないかと。
とても癒されるほっこりした仏像でした。
境内には
こんなアフロヘアの阿弥陀仏も。
駐車場には
近くには、
常福寺の刈宿の大仏(おおぼとけ)や
常楽院閻魔堂の閻魔さんも。
閻魔堂は見落としそうですが、
刈宿の交差点を右折すると直ぐに
反対車線の道路沿いにあります。
左折すると大仏のある常福寺へ。
浄名寺に行かれたら、
是非お寄りになるといいですよ。
日泰寺にお参り。
お盆は先祖の霊が帰ってくるのは知っていても、
お彼岸は日泰寺からハガキが届くので、
それに双方の親の戒名を書いて、
持参しお経をあげてもらう。
ということで、何故お参りするのか
よく知らないまま慣習になっている。
そこで調べてみたら、
仏教では、あの世は西に、この世は東にあるとされ、
そのため、太陽が真東から昇って、真西に沈む春分や秋分の日は、
あの世とこの世が最も通じやすいと考えられ、
お墓参りを行うようになったのだそう。
なるほどねぇ。
知らないまま、慣習としてやってること多いね。