午前6時を過ぎたところ。
晴れのお天気で、気温はプラス5度と今朝も寒い。
日中の最高気温は今日も18度に止まるそうだ。
写真はつい先ほどのニセコアンヌプリ。
朝焼けに染まっておりました。
そんなこんな、
世間では「親ガチャ」なる言葉が流行っております。
親を、カプセルおもちゃの販売機「ガチャガチャ」に例えた言葉だそうな。
ようするに、自分の親はガチャガチャのように「選ぶことができない」ってこと。
親が金持ちか、貧乏か、「親次第で人生が決まってしまう」ということを指す。
おぢも若い頃はそんな考え方をしたことがある。
いわゆる「ひとり親」家庭で、以前は「片親」などと呼ばれた貧乏な家庭に育ったためだ。
札幌の中心部で生まれ育ちましたから、親が会社の経営者や幹部、老舗のお店の経営者だったりと、周りにはいわゆるお金持ちがゴロゴロいた。
一方我が家は、極めて貧しかった。
もっとも下を見たらきりがなく、街の中心部を流れる豊平川の河川敷には「乞食(こじき)」と呼ばれたホームレスも多数いた。
子どものころは、何を食べていたかほぼ記憶がない。
親を恨んだことがなかったとは言えませんし、小中学校では虐められもした。
母親は爪に火を点すように倹約して、おぢを育ててくれたのも事実だ。
立志伝中の人物にも、お金持ちにもなれませんでしたが、70歳を過ぎたいまも、仕事をしながらそれも楽しく生きておる。
だから「どんな親の元に生まれても、自分で人生を切り開くことは不可能ではない」と、じーさんは経験から言える。
クソったれの親を嘆いても、こぼれたミルクを嘆いても、せんないことなのだ。
また、親がクソだったとしても、人生そこで終わりなはずはない。
「信念さえあれば、道は開ける」のだと、「親ガチャ」を嘆く若い皆さんに申しておきましょう。
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