グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

伊豆ジオパーク外周編パンフレット(火山災害)

2012年10月16日 | 火山・ジオパーク
伊豆大島ジオパーク外周編の印刷ができあがり、町役場、元町港、岡田港、竹芝桟橋、観光協会などに配られました。

このパンフレットを作る行程で、今まで知らなかった様々なことを知ることができました。
そしてそれとともに自分の知識の無さを痛感しました。

特にそれを感じたのが火山災害や防災に関わる部分です。
例えば、元町溶岩流「町に迫った溶岩の川」

ツアーでたびたび訪れる場所ですが、ここの文章は以下のようになっています。

「1986年、山腹の割れ目から沢を流れ下った溶岩が元町に迫りました。消防関係者は流れを止めようと、海水をミキサー車で運んで水槽にため、ポンプ車で先端部分に放水しました。」

この文章を作るまで私は「溶岩に海水をかけて止めようとした」ということぐらいしか知りませんでした。なので最初は何人かの人から聞いた「海からパイプラインを引いて水をかけた」という内容をそのまま使って文章を作っていました。

ところが「溶岩流国際シンポジウム2004」という文献には「6トンのコンクリートミキサー車5台で海水を運び、簡易水槽に貯めて、ポンプ車で放水した。」ということが詳しく書かれていました。
http://www.yies.pref.yamanashi.jp/kazan/report/h16shinpo.pdf

で、この文献をもとに樋口氏(「伊豆諸島を知る辞典」著者)に、当時実際に作業に携わっていた東京消防庁の人に確認をしていただきパンフレットの文章に落ち着きました。

時間と共に人の記憶は曖昧になってしまうから、できる限りきちんとした文献を探すようにしなければいけないのですね。文章を正確なものにしていくために「裏付け」の必要性を感じました。

そして「溶岩の流れを変える」溶岩導流堤

パンフレットの文章は以下のようです。

「大規模噴火の際、外輪山から流れ出した溶岩から集落を守るために、日本初の「溶岩導流堤」が作られています。有珠山には泥流対策の、雲仙普賢岳には土石流対策の導流堤があります。」

「導流堤」とは流れてくるものの方向を変えるための誘導路のようなものですが、実はこの文章の「日本初」の部分、最初は「世界初」だったのです。

ところが、その文章を読まれた火山防災の専門家から「溶岩流の導流堤は、世界初ではありません。イタリアのシシリー島で大規模な溶岩導流堤が造られています。」というメールが届いたのです。

既に印刷所にデータがまわっていた時でした。いろいろ調べたのですが、時間もなくて詳しい文献を見つけることができず、ドタバタで「日本初の溶岩導流堤」に変更しました。

その後さらに時間をかけて調べたら、「噴火をしている時に町を守るために短期間で溶岩導流堤を掘ることは過去に行われている。ただし、噴火をする前に噴火を想定して造られた溶岩導流堤は世界初。」ということだとわかりました。(先に紹介した「溶岩流国際シンポジウム2004」の17ページから、村を守るためにイタリア、シシリー島で、人々が何を考えどのような試みをしてきたかが書かれています)

で、「大規模噴火を想定して~」の書き出しで「世界初」に戻してもらおうとしたのですが、ちょうど3連休でに入ってしまい、変更はできませんでした…。

私が世界の火山災害や、その時の人々の行動などの歴史を知っていれば、最初からちゃんとした文章が書けたはずなのですが…知識不足でした。次回の再印刷の時はちゃんと直したいです。

ところで、今回のパンフレット作りに関わってから、火山がつくった島の景色の中に人の歴史が刻まれていることを、より意識するようになりました。

「知る」ということは、とても面白いです。
あまりにも知らないことの多さに呆然としますけれど(笑)


(カナ)


コメント (2)
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