前ブログのクラブツーリズムさんのお客様は熱海航路でご来島でした。
この時季、熱海のウメ(梅園)と、大島のツバキ観賞を
組み合わせていらして下さる方も多いようです。
見出し写真は、私用を済ませて26日(火)、
熱海経由で帰島した際の熱海港の様子です。
JR新幹線駅のある熱海は、
港にもヨットなどのプレジャーボートがたくさん係留されていたり、
大島とは、また違った魅力のある街です。
港に隣接した公園の桜が早くも満開でした。
ここは、「サンレモ公園」といい、熱海市とイタリア共和国サンレモ市が、
国際的観光文化都市としての発展のため1976年(昭和51年)に国際姉妹都市となったことを記念して、
1982年に両市相互に相手国の様式の庭園を建造したそうです。
この公園内には、
坪内逍遥作詞の熱海市歌の碑や、
ヘレンケラーの言葉を刻んだ石碑なども建てられています。
「あなたのランプの灯を
もう少し高く掲げてください!
見えない人々の行く手を
照らすために!
ヘレンケラー 」
( 熱海ライオンズクラブ創立50周年記念石碑 )
ヘレンケラーさんが、熱海にいらしたのでしょうか?
逍遥先生、省略してすみません。(汗)
東側に海が広がり、山を背にして温暖な気候の熱海。
すぐ近くには温泉ホテルが建ち並んで、
何種類ものヤシの木が 南国情緒を演出しています。
サクラ並木の中には、「早咲大島」という品種もありましたが、
花はまだ5分咲きくらいでした。
熱海駅との間にある糸川沿いでも、この桜並木が満開でした。
いま満開の桜、その名も「アタミザクラ」なのですね。
この時季の大島では、ツバキの花に集まる多くのメジロを見ますが、
熱海では同じようにサクラの花に、たくさんのメジロが集まっていました。
熱海の駅から港までは、徒歩で30分程だと思います。
下り坂なので、とても楽です(笑い)
途中には、多くの・・・おみやげ屋さん、飲食店、ホテルや旅館・・・
こんな記念碑もありました。
「豆相人車鉄道」
「豆」は、豆州…伊豆の国ことで、「相」は、相州…相模の国。
伊豆の熱海と、相模の小田原を結んだ鉄道の意味だそうです。
1896年(明治29年)3月、熱海と小田原を結ぶ鉄道25キロメートルが全線開通。
所要時間は4時間だったそうです。(現在はJRの在来線でも30分かからない位?)
6人~8人乗りの客車を3名の人夫が押して動かす。
「人車」とは、人力車のことなのですね!!!
明治29年当時の運賃は、熱海~小田原間で、
下等40銭、中等60銭、上等1円。
10才未満は半額、3才未満は無料。
1907年(明治40年)12月、軽便鉄道に替わるまでの12年間、
貴重な交通として利用されたそうです。
(軽便鉄道:一般の鉄道より簡便な規格で建設された鉄道)
駅から港までの間にも、いろいろ見所はありますが、やはり湯の街なので、
源泉「七湯めぐり」の内の、ここは「小沢の湯」。
こんな場所が街の所々にあって、
温泉を飲んだり、
蒸気を利用して温泉卵を茹でたり出来るようになっています。
ちなみに、タマゴの茹で時間は8~15分で、
その日の天候や源泉の機嫌次第で所要時間は違うそうです!?
おとなりの街を、ゆっくり歩いてみるのも良いですね。
(なるせ)
この時季、熱海のウメ(梅園)と、大島のツバキ観賞を
組み合わせていらして下さる方も多いようです。
見出し写真は、私用を済ませて26日(火)、
熱海経由で帰島した際の熱海港の様子です。
JR新幹線駅のある熱海は、
港にもヨットなどのプレジャーボートがたくさん係留されていたり、
大島とは、また違った魅力のある街です。
港に隣接した公園の桜が早くも満開でした。
ここは、「サンレモ公園」といい、熱海市とイタリア共和国サンレモ市が、
国際的観光文化都市としての発展のため1976年(昭和51年)に国際姉妹都市となったことを記念して、
1982年に両市相互に相手国の様式の庭園を建造したそうです。
この公園内には、
坪内逍遥作詞の熱海市歌の碑や、
ヘレンケラーの言葉を刻んだ石碑なども建てられています。
「あなたのランプの灯を
もう少し高く掲げてください!
見えない人々の行く手を
照らすために!
ヘレンケラー 」
( 熱海ライオンズクラブ創立50周年記念石碑 )
ヘレンケラーさんが、熱海にいらしたのでしょうか?
逍遥先生、省略してすみません。(汗)
東側に海が広がり、山を背にして温暖な気候の熱海。
すぐ近くには温泉ホテルが建ち並んで、
何種類ものヤシの木が 南国情緒を演出しています。
サクラ並木の中には、「早咲大島」という品種もありましたが、
花はまだ5分咲きくらいでした。
熱海駅との間にある糸川沿いでも、この桜並木が満開でした。
いま満開の桜、その名も「アタミザクラ」なのですね。
この時季の大島では、ツバキの花に集まる多くのメジロを見ますが、
熱海では同じようにサクラの花に、たくさんのメジロが集まっていました。
熱海の駅から港までは、徒歩で30分程だと思います。
下り坂なので、とても楽です(笑い)
途中には、多くの・・・おみやげ屋さん、飲食店、ホテルや旅館・・・
こんな記念碑もありました。
「豆相人車鉄道」
「豆」は、豆州…伊豆の国ことで、「相」は、相州…相模の国。
伊豆の熱海と、相模の小田原を結んだ鉄道の意味だそうです。
1896年(明治29年)3月、熱海と小田原を結ぶ鉄道25キロメートルが全線開通。
所要時間は4時間だったそうです。(現在はJRの在来線でも30分かからない位?)
6人~8人乗りの客車を3名の人夫が押して動かす。
「人車」とは、人力車のことなのですね!!!
明治29年当時の運賃は、熱海~小田原間で、
下等40銭、中等60銭、上等1円。
10才未満は半額、3才未満は無料。
1907年(明治40年)12月、軽便鉄道に替わるまでの12年間、
貴重な交通として利用されたそうです。
(軽便鉄道:一般の鉄道より簡便な規格で建設された鉄道)
駅から港までの間にも、いろいろ見所はありますが、やはり湯の街なので、
源泉「七湯めぐり」の内の、ここは「小沢の湯」。
こんな場所が街の所々にあって、
温泉を飲んだり、
蒸気を利用して温泉卵を茹でたり出来るようになっています。
ちなみに、タマゴの茹で時間は8~15分で、
その日の天候や源泉の機嫌次第で所要時間は違うそうです!?
おとなりの街を、ゆっくり歩いてみるのも良いですね。
(なるせ)