台風8号が通過した、元町の海岸へ行ってみました。

波はまだ高く、白い飛沫がひっきりなしに海岸に打ち寄せ、海の水も茶色く濁っていました。
海岸では作業服を着た人たちが働いていて、なにやら整然とした片付きようでした。

妙にキレイだなぁ…と思ったら…プールがなくなっていました!(気づくの遅!)
海側からの眺め。

こちらは昨年の11月7日、ほぼ同じ場所からの眺めです。

プールそのものを、丸ごと撤去したようです。
…で、台風8号の影響はというと?

溶岩や流木がゴロゴロ打ち上げられていました。
ボランテイィアの人たちが、あんなにキレイにしたのになぁ…。
弘法浜は本日“海開き”の予定でしたが、とりあえず中止になったようです。
でも7月15日の、海の安全祈願の儀式は行うとのこと。
不思議だったのは、海が荒れるといつも打ち上げられる魚が全く見当たらず、流木やゴミ、海藻ばかりが打ち上っていたことです。

台風のあとはいつも海岸に群がって食べ物を探しているカラスも、1羽もいませんでした。
魚が打ち上るほどは、海が荒れなかったのでしょうか?
それともカラス達が、食べられる物は全て、朝のうちに漁ってしまったとか??
魚はいませんでしたが、カツオノエボシが打ち上げられていました。

刺されると大変なことになる、毒をもったクラゲです。
危ない、危ない…。
今日は、弘法浜のずっと奥、縄文人の遺跡がある下高洞遺跡まで歩いてみました。
途中には、赤や黒の溶岩が混ざるシマシマの壁が、100m以上続いています。

この「赤や黒の溶岩が混ざったシマシマ」は、大島の他の海岸では見られません。(私の知る限りで…ですが)
そして昨年の台風26号の土砂災害では、山腹の火口付近から、同じような赤や黒の溶岩が流されて来ました。…と言うことは、これは「元町にはその昔、割れ目噴火口付近を崩しながら土石流が流れてきた」という証拠だったのでしょうか?
かなり高さもあり何層かになっていますが、これは1回の土石流で積ったものなのでしょか?

それとも年月をおいて、何度か小さな土石流が流れたのでしょうか?
以前からこの壁の存在は知っていても、それが自分の身に降り掛かる災害の危険とは、直接結びついてはいませんでした。
ニュースで長野県、南木曽町の土石流の画像を見て、川岸の壁に大きな石がゴロゴロと積っているのを見て呆然としました。地面の下に大きな石があるということは、この地域は過去にも土石流が流れたという証拠では?…なぜ犠牲になった方達は、逃げられなかったのでしょう?
「人の記憶は薄れていく…そして人は経験しないと、なかなか実感として危険を感じられない。たとえ地域に“言い伝え”が残っていても…。」そのことを見せつけられてたような気がして、テレビに釘付けになりました。
この海岸には、大小さまざまな白い石がはさまった壁もあります。

これは1700年ほど前に、山の上が吹き飛ぶような激しい噴火が起きて「カルデラ」とよばれる大きな凹地ができた時に、山から流れ下ってきたものだと聞いています。人の頭よりも大きな石がこんなにたくさん、海まで流れてきた時って、いったいどんな光景だったのでしょう?
これと同じことが再び起きるかもしれない…そのことを実感として持ちながら暮らしていくことが大事なのだと、南木曽町のニュースを見て思いました。
ところで、今日予定されていた静岡大学の小山真人先生の講演会およびフィールドワークが、台風による高速船の欠航で明日に順延となりました。
フィールドワークは多人数では行えないため公募はせず、元町在住の方、ジオパーク関係の方を中心に声をかけさせていただいていましたが、日程の変更により少し空きができました。
明日の午後から3時間ほど、御神火スカイラインを歩きます。
直近ではありますが参加を希望される方は西谷(090-1533-1903)まで、ご連絡ください。
(カナ)

波はまだ高く、白い飛沫がひっきりなしに海岸に打ち寄せ、海の水も茶色く濁っていました。
海岸では作業服を着た人たちが働いていて、なにやら整然とした片付きようでした。

妙にキレイだなぁ…と思ったら…プールがなくなっていました!(気づくの遅!)
海側からの眺め。

こちらは昨年の11月7日、ほぼ同じ場所からの眺めです。

プールそのものを、丸ごと撤去したようです。
…で、台風8号の影響はというと?

溶岩や流木がゴロゴロ打ち上げられていました。
ボランテイィアの人たちが、あんなにキレイにしたのになぁ…。
弘法浜は本日“海開き”の予定でしたが、とりあえず中止になったようです。
でも7月15日の、海の安全祈願の儀式は行うとのこと。
不思議だったのは、海が荒れるといつも打ち上げられる魚が全く見当たらず、流木やゴミ、海藻ばかりが打ち上っていたことです。

台風のあとはいつも海岸に群がって食べ物を探しているカラスも、1羽もいませんでした。
魚が打ち上るほどは、海が荒れなかったのでしょうか?
それともカラス達が、食べられる物は全て、朝のうちに漁ってしまったとか??
魚はいませんでしたが、カツオノエボシが打ち上げられていました。

刺されると大変なことになる、毒をもったクラゲです。
危ない、危ない…。
今日は、弘法浜のずっと奥、縄文人の遺跡がある下高洞遺跡まで歩いてみました。
途中には、赤や黒の溶岩が混ざるシマシマの壁が、100m以上続いています。

この「赤や黒の溶岩が混ざったシマシマ」は、大島の他の海岸では見られません。(私の知る限りで…ですが)
そして昨年の台風26号の土砂災害では、山腹の火口付近から、同じような赤や黒の溶岩が流されて来ました。…と言うことは、これは「元町にはその昔、割れ目噴火口付近を崩しながら土石流が流れてきた」という証拠だったのでしょうか?
かなり高さもあり何層かになっていますが、これは1回の土石流で積ったものなのでしょか?

それとも年月をおいて、何度か小さな土石流が流れたのでしょうか?
以前からこの壁の存在は知っていても、それが自分の身に降り掛かる災害の危険とは、直接結びついてはいませんでした。
ニュースで長野県、南木曽町の土石流の画像を見て、川岸の壁に大きな石がゴロゴロと積っているのを見て呆然としました。地面の下に大きな石があるということは、この地域は過去にも土石流が流れたという証拠では?…なぜ犠牲になった方達は、逃げられなかったのでしょう?
「人の記憶は薄れていく…そして人は経験しないと、なかなか実感として危険を感じられない。たとえ地域に“言い伝え”が残っていても…。」そのことを見せつけられてたような気がして、テレビに釘付けになりました。
この海岸には、大小さまざまな白い石がはさまった壁もあります。

これは1700年ほど前に、山の上が吹き飛ぶような激しい噴火が起きて「カルデラ」とよばれる大きな凹地ができた時に、山から流れ下ってきたものだと聞いています。人の頭よりも大きな石がこんなにたくさん、海まで流れてきた時って、いったいどんな光景だったのでしょう?
これと同じことが再び起きるかもしれない…そのことを実感として持ちながら暮らしていくことが大事なのだと、南木曽町のニュースを見て思いました。
ところで、今日予定されていた静岡大学の小山真人先生の講演会およびフィールドワークが、台風による高速船の欠航で明日に順延となりました。
フィールドワークは多人数では行えないため公募はせず、元町在住の方、ジオパーク関係の方を中心に声をかけさせていただいていましたが、日程の変更により少し空きができました。
明日の午後から3時間ほど、御神火スカイラインを歩きます。
直近ではありますが参加を希望される方は西谷(090-1533-1903)まで、ご連絡ください。
(カナ)