ツアー報告が続いていましたが、今回は表題の勉強会2日目の報告です。午前中は講演が中心でした。

ジオパークネットワークのMLに投稿されたJGC委員・中川氏のメモから、ご本人の承諾を得て、私が印象に残った言葉を、まとめました。
JGN・杉本氏
「本日の研修会は、ジオパークと自然災害をテーマに開催する。テーマに基づいて論議をするだけでなく、この場で顔の見える関係を築いて頂き、悩んだ時に、このネットワークを活用していただきたい。」
この研修会開催への杉本氏の『思い』が、感じられました。
山本宮古市長
「三陸は5億年前から、現在に至る連続的な地層が観察でき、繰り返された津波災害の遺産がたくさん残されている地域。ジオパークと自然災害、我々の地域が自然と共に共存しながら暮らしてきた。それを見て、参考にしていただければ。」
大島とは異なる『長い歴史』を感じました。
三陸ジオパーク・松本氏
「ジオパークと復興のプロセスが近い。『新たな交流による地域づくりプロジェクト』としてジオパーク推進を位置づけている。ジオパークは、各部局にまたがる施策なので、保全管理、教育普及、観光振興、情報発信、地域振興、復興防災の6つに分けて、19の部局の連絡調整会議を県庁内に設置している。」
「JRがまだ全線復旧していない。復興住宅への転居がまだ。なりわいの主力である水産業の、施設や漁船は9割ほど復旧したが、販路や売り上げは震災前の6~7割。被災地でも進む震災の風化。」「県の復興教育プログラムでジオパークを進める。ジオパーク活動に合わせて、復興をどう進めていくかが課題。」
「多くの人が体験して、考えて、自分の地域に持って帰って、自分の地域での災害を考えることができるジオパークでありたい。」
ジオパークが各部局にまたがる施策として、既に進められているところがうらやましいです。
陸前高田・実吉氏

「陸前高田には過去何度も津波があった。近世では、明治29年、昭和8年、昭和35年。津波を覚えている人も多いのに、なぜ犠牲になった人がいるのか? 高3の頃に町だったのは、山の際だけ。35年の津波の後に6mの防潮堤が作られ、住宅がどんどん前に出てきた。」というお話で始まり…避難場所が低いところに作られるようになったこと、津波が多くの建物を流し20mまで階段を駆け上がったこと。地元消防団が34人も殉職し、残った団員が仲間の捜索をしなければならなかったこと…などなどを話してくれました。
「津浪災害の特徴は、行方不明者が圧倒的に多い。残された心の傷を引きずる。」
「避難所の設定は何なのか? 今までの避難所は、単に人がいっぱい入るだけの建物。第1中の体育館に1500人が避難、3カ月から5カ月生活をした。だれも想定していない。厨房がなく、たき出しに頼らざるを得ない。バリアフリーもなく、用を足すのに人の手を借りる必要がある。いくら歳を取っても、人の手を借りて用を足す恥ずかしさを高齢の女性が語る。最初のうちは励まし合っているが、10日経ち、20日経ち、フラストレーション。夜中の赤ちゃんの泣き声に、うるせえ、出て行けと…なんで、ここが避難所なのか、と言うことが初めて露呈された。福祉避難所のあり方が、今議論されている。皆さんの地域でも多かれ少なかれ必要なこと。」
「時の経過と人の心の移ろい、いろんな課題を投げかける。想定外の被害は間違いないが、未だに続いている、残された人の中に出てくる想定外の繰り返し。それが想定外だと思う。」
「家族や友人を失う悲しみ、心身の健康、財産や仕事を失う。無念、自責、怒り、孤独などの長期化。悲しみは、時薬でも薄れはしても消え去ることはない。自分にも支えが必要だと自らが思わないと、前に進まない。悲しみの受容がなければならない。」
「昔の言葉を語り継がねばならないと活動をしている。『津波の二度逃げ』『津波の避難は距離ではなく、高さで逃げる。』『津波てんでんこ(自分の命は自分で守ると言うこと。庭や職場で、避難のあり方、防災について、話し合いが行われ、信頼関係が気付かれないと生きてこない。)』『一度逃げたら戻るな。』など。」
「被災地ツアーを行っているが、観光協会で7人やっている。23年度は、事務所も壊されて何もなくなったが、個人的につきあいのある人が見てくれて、案内した団体が35,717人、24年から正式に観光協会として対応、25402人、25年度はm1682団体、30975人。」
「復興計画が進んでいて、災害に強いまちづくりを目指している。必要なことだが、もう一つ大事なのは、災害に強い人を作っていかねばならない。これなら俺ら前に向かっていけるという心の復興がないと、町の復興はない。ジオパークは、世界に向かってふるさとを誇れる要因。」
大島にも来ていただいた実吉氏に、お目にかかれてとても嬉しかったです。そして今回も実吉さんの“画像がなくても情景が想像できるような語り”に引き込まれ、色々考えさせられました。特に『想定外の繰り返しが想定外』という言葉が、心に残りました。
岩手県立大・伊藤氏
「小学生にはワークショップやキッチン火山学実験など。自然と災害が共存することを伝える。中学校では、災害を理解する、地域を理解する、自助と共助を理解する。小学校に出前授業に生かせる。3年生が2年生に教えるなど。地域で発表させるサイクルも作っている。」
「2010年に土砂災害が遭った岩手町。盛岡市の昼間の人口と夜間の人口を見せ、日中、大人が減るのであなた方が地域を守らねばならないというと、まじめに聞いてくれる。クロスロードというゲームをする。災害対応は基本的にジレンマ。それをカードゲームにまとめたもの。「あなたは市民、大きな噴火で小学校の体育館に避難しないと行けない。家族同然のモモ(犬)を一緒に連れて行く?」などを聞く。 」
「中学校では、ハンディキャップを前提に、町を歩くとか、男子に妊娠してもらって、歩くと辛いと言うことも体験してもらい、地域安全マップにまとめる。立体ハザードマップを実際に作ってもらう。地形を切って、自分たちのハザードマップを作らせる。3年生は、炊き出した意見をしてもらおうと思っている。大学生に全部、進行させている。」
「岩手山の実り、恵み、お楽しみ、災害を、小学生に知っている事を書き出してもらう。しばらくすると飽和状態になるが、岩手山のハザードマップをテーブルに置くと、自分で情報を探し始める。溶岩流、火砕流、火砕サージなどの言葉を災害の所に書き始める。マップを見せるだけで効果がある。キッチン火山実験で、泥流を起こしたりする。クイズを出して、探して書かせる。実験は喜ばれ、探検は効果があるデジタルより、カードのようなアナログの方がいいことも分かった。」
子ども達の防災教育で「持続可能で、大学教員が絡まず出来ることを模索」しているという伊藤氏。「模索」そして「検証」を、常に続けることが大切なのだなぁと思いました。
阿蘇・石松氏
「阿蘇のカルデラは、日本へのかなりの影響を伝えられる場所。九州の地図、9万年前の爆発の火砕流、北部九州はほぼ全滅。山口まで行っているという。最近、火山の元気がよくなって、1キロ範囲は立ち入り禁止。警戒レベル2。平時は湯だまりがみられる。いまはない状態。もうそろそろやるんじゃないか、どう体制と取るのかと言う議論をジオパークでもしている。」
2年前の豪雨災害。数年に1度、災害を繰り返している。自分の所の特徴を理解しておく必要がある。阿蘇は、梅雨に雨がすごく降るところ。斜面があり、地質/火山灰土壌が原因。土石流が発生している。
この災害での阿蘇ジオパークの取り組みとして最初にやったのは、博物館のお客さんに報道内容などをまとめて情報を出したこと。学芸員による独自調査結果も発信。Webを使って、旅行者への交通情報とかも出した。
災害は忘れがちになる。噴火災害は、阿蘇では20年以上遭っていない。平成3年が最後。地元の人は意識が希薄。専門家委員会に防災の専門家を追加。ガイドにも安全の認識に加え、豪雨災害の説明も取り入れている。例えば、カルデラがずっと昔からこの形ではない。常に災害を繰り返しながら、徐々に広がった可能性もあることをガイドの中で来訪者に伝えている。学校教育では、地元小学校で災害をテーマにした出前事業を開催。高校生の講座もまとめてパンフにした。
火山博と連携して、防災のシンポを年に1回やっている。小中学生、昨年は防災をテーマに開催をした。ジオパークとして、防災マップを作ってみようと、中はハザードマップ。災害を整理して伝えている。
今後の計画として災害を伝えるジオサイトを整備したい。慎重にやっていたが、世界認定で地域から声かけがあり、整備が進むと思う。」
「活火山で、静穏時は火口まで行ける」という条件が、大島と同じ阿蘇ジオパーク。どうしたら、リスクを減らして火山とつきあえるのか、情報交換をしていきたいです。
JGC中川氏
最後に「ジオパークと自然災害」について全国のジオパークに対して行ったアンケート結果の説明がありました。

6割近くが物語作りや語り部ガイドがいるという結果が印象的でした。変わり続けるジオパークですが、すでに「災害を忘れないように、みんなで伝える」ということも始まっているように感じました。
(カナ)

ジオパークネットワークのMLに投稿されたJGC委員・中川氏のメモから、ご本人の承諾を得て、私が印象に残った言葉を、まとめました。
JGN・杉本氏
「本日の研修会は、ジオパークと自然災害をテーマに開催する。テーマに基づいて論議をするだけでなく、この場で顔の見える関係を築いて頂き、悩んだ時に、このネットワークを活用していただきたい。」
この研修会開催への杉本氏の『思い』が、感じられました。
山本宮古市長
「三陸は5億年前から、現在に至る連続的な地層が観察でき、繰り返された津波災害の遺産がたくさん残されている地域。ジオパークと自然災害、我々の地域が自然と共に共存しながら暮らしてきた。それを見て、参考にしていただければ。」
大島とは異なる『長い歴史』を感じました。
三陸ジオパーク・松本氏
「ジオパークと復興のプロセスが近い。『新たな交流による地域づくりプロジェクト』としてジオパーク推進を位置づけている。ジオパークは、各部局にまたがる施策なので、保全管理、教育普及、観光振興、情報発信、地域振興、復興防災の6つに分けて、19の部局の連絡調整会議を県庁内に設置している。」
「JRがまだ全線復旧していない。復興住宅への転居がまだ。なりわいの主力である水産業の、施設や漁船は9割ほど復旧したが、販路や売り上げは震災前の6~7割。被災地でも進む震災の風化。」「県の復興教育プログラムでジオパークを進める。ジオパーク活動に合わせて、復興をどう進めていくかが課題。」
「多くの人が体験して、考えて、自分の地域に持って帰って、自分の地域での災害を考えることができるジオパークでありたい。」
ジオパークが各部局にまたがる施策として、既に進められているところがうらやましいです。
陸前高田・実吉氏

「陸前高田には過去何度も津波があった。近世では、明治29年、昭和8年、昭和35年。津波を覚えている人も多いのに、なぜ犠牲になった人がいるのか? 高3の頃に町だったのは、山の際だけ。35年の津波の後に6mの防潮堤が作られ、住宅がどんどん前に出てきた。」というお話で始まり…避難場所が低いところに作られるようになったこと、津波が多くの建物を流し20mまで階段を駆け上がったこと。地元消防団が34人も殉職し、残った団員が仲間の捜索をしなければならなかったこと…などなどを話してくれました。
「津浪災害の特徴は、行方不明者が圧倒的に多い。残された心の傷を引きずる。」
「避難所の設定は何なのか? 今までの避難所は、単に人がいっぱい入るだけの建物。第1中の体育館に1500人が避難、3カ月から5カ月生活をした。だれも想定していない。厨房がなく、たき出しに頼らざるを得ない。バリアフリーもなく、用を足すのに人の手を借りる必要がある。いくら歳を取っても、人の手を借りて用を足す恥ずかしさを高齢の女性が語る。最初のうちは励まし合っているが、10日経ち、20日経ち、フラストレーション。夜中の赤ちゃんの泣き声に、うるせえ、出て行けと…なんで、ここが避難所なのか、と言うことが初めて露呈された。福祉避難所のあり方が、今議論されている。皆さんの地域でも多かれ少なかれ必要なこと。」
「時の経過と人の心の移ろい、いろんな課題を投げかける。想定外の被害は間違いないが、未だに続いている、残された人の中に出てくる想定外の繰り返し。それが想定外だと思う。」
「家族や友人を失う悲しみ、心身の健康、財産や仕事を失う。無念、自責、怒り、孤独などの長期化。悲しみは、時薬でも薄れはしても消え去ることはない。自分にも支えが必要だと自らが思わないと、前に進まない。悲しみの受容がなければならない。」
「昔の言葉を語り継がねばならないと活動をしている。『津波の二度逃げ』『津波の避難は距離ではなく、高さで逃げる。』『津波てんでんこ(自分の命は自分で守ると言うこと。庭や職場で、避難のあり方、防災について、話し合いが行われ、信頼関係が気付かれないと生きてこない。)』『一度逃げたら戻るな。』など。」
「被災地ツアーを行っているが、観光協会で7人やっている。23年度は、事務所も壊されて何もなくなったが、個人的につきあいのある人が見てくれて、案内した団体が35,717人、24年から正式に観光協会として対応、25402人、25年度はm1682団体、30975人。」
「復興計画が進んでいて、災害に強いまちづくりを目指している。必要なことだが、もう一つ大事なのは、災害に強い人を作っていかねばならない。これなら俺ら前に向かっていけるという心の復興がないと、町の復興はない。ジオパークは、世界に向かってふるさとを誇れる要因。」
大島にも来ていただいた実吉氏に、お目にかかれてとても嬉しかったです。そして今回も実吉さんの“画像がなくても情景が想像できるような語り”に引き込まれ、色々考えさせられました。特に『想定外の繰り返しが想定外』という言葉が、心に残りました。
岩手県立大・伊藤氏
「小学生にはワークショップやキッチン火山学実験など。自然と災害が共存することを伝える。中学校では、災害を理解する、地域を理解する、自助と共助を理解する。小学校に出前授業に生かせる。3年生が2年生に教えるなど。地域で発表させるサイクルも作っている。」
「2010年に土砂災害が遭った岩手町。盛岡市の昼間の人口と夜間の人口を見せ、日中、大人が減るのであなた方が地域を守らねばならないというと、まじめに聞いてくれる。クロスロードというゲームをする。災害対応は基本的にジレンマ。それをカードゲームにまとめたもの。「あなたは市民、大きな噴火で小学校の体育館に避難しないと行けない。家族同然のモモ(犬)を一緒に連れて行く?」などを聞く。 」
「中学校では、ハンディキャップを前提に、町を歩くとか、男子に妊娠してもらって、歩くと辛いと言うことも体験してもらい、地域安全マップにまとめる。立体ハザードマップを実際に作ってもらう。地形を切って、自分たちのハザードマップを作らせる。3年生は、炊き出した意見をしてもらおうと思っている。大学生に全部、進行させている。」
「岩手山の実り、恵み、お楽しみ、災害を、小学生に知っている事を書き出してもらう。しばらくすると飽和状態になるが、岩手山のハザードマップをテーブルに置くと、自分で情報を探し始める。溶岩流、火砕流、火砕サージなどの言葉を災害の所に書き始める。マップを見せるだけで効果がある。キッチン火山実験で、泥流を起こしたりする。クイズを出して、探して書かせる。実験は喜ばれ、探検は効果があるデジタルより、カードのようなアナログの方がいいことも分かった。」
子ども達の防災教育で「持続可能で、大学教員が絡まず出来ることを模索」しているという伊藤氏。「模索」そして「検証」を、常に続けることが大切なのだなぁと思いました。
阿蘇・石松氏
「阿蘇のカルデラは、日本へのかなりの影響を伝えられる場所。九州の地図、9万年前の爆発の火砕流、北部九州はほぼ全滅。山口まで行っているという。最近、火山の元気がよくなって、1キロ範囲は立ち入り禁止。警戒レベル2。平時は湯だまりがみられる。いまはない状態。もうそろそろやるんじゃないか、どう体制と取るのかと言う議論をジオパークでもしている。」
2年前の豪雨災害。数年に1度、災害を繰り返している。自分の所の特徴を理解しておく必要がある。阿蘇は、梅雨に雨がすごく降るところ。斜面があり、地質/火山灰土壌が原因。土石流が発生している。
この災害での阿蘇ジオパークの取り組みとして最初にやったのは、博物館のお客さんに報道内容などをまとめて情報を出したこと。学芸員による独自調査結果も発信。Webを使って、旅行者への交通情報とかも出した。
災害は忘れがちになる。噴火災害は、阿蘇では20年以上遭っていない。平成3年が最後。地元の人は意識が希薄。専門家委員会に防災の専門家を追加。ガイドにも安全の認識に加え、豪雨災害の説明も取り入れている。例えば、カルデラがずっと昔からこの形ではない。常に災害を繰り返しながら、徐々に広がった可能性もあることをガイドの中で来訪者に伝えている。学校教育では、地元小学校で災害をテーマにした出前事業を開催。高校生の講座もまとめてパンフにした。
火山博と連携して、防災のシンポを年に1回やっている。小中学生、昨年は防災をテーマに開催をした。ジオパークとして、防災マップを作ってみようと、中はハザードマップ。災害を整理して伝えている。
今後の計画として災害を伝えるジオサイトを整備したい。慎重にやっていたが、世界認定で地域から声かけがあり、整備が進むと思う。」
「活火山で、静穏時は火口まで行ける」という条件が、大島と同じ阿蘇ジオパーク。どうしたら、リスクを減らして火山とつきあえるのか、情報交換をしていきたいです。
JGC中川氏
最後に「ジオパークと自然災害」について全国のジオパークに対して行ったアンケート結果の説明がありました。

6割近くが物語作りや語り部ガイドがいるという結果が印象的でした。変わり続けるジオパークですが、すでに「災害を忘れないように、みんなで伝える」ということも始まっているように感じました。
(カナ)