今年初めてのジオガイドの会の定例会では、
岡田地区を守る八幡神社の踊りの先生でもあるKさんと、その生徒さんでもあるNさんが、
正月にされる歌と踊りを披露してくださいました。
八幡神社のご神体は、源為朝が大島に流された際奉じてきたと言われている
「九重の巻物」であったりと、源為朝と縁の深い神社です。
今回披露してくださった「きやり」という曲は、お祭りの一番最初に舞われるもので、
(たぶん為朝が弓の名手だったことからだと思いますが)弓の儀式で、
矢の当たった方向の一番若い者が躍ると決められているそうです。
若いころ、自分の家の方向に矢が当たったのに弟が抜擢され、
やりたかったのにやれなかった、思い入れのある曲だそうです。
先生と生徒のやり取りもほほえましく、
また想いのこもった踊りは見るものを魅了するものがありました。
伊豆大島データミュージアム
そしてもう一つ、源為朝にご縁のある話題が。
葦で作った船で長距離航海する、冒険家の石川仁さんが、やってきました!
仁さんは10年前に、黒潮の流れに乗って高知県から伊豆諸島にたどり着くというプロジェクトで、
葦船で伊豆大島にやってきて、その後、船の素材などで為朝神社を再建しました。
https://plaza.rakuten.co.jp/tutty/diary/?ctgy=1
日本初の葦船外洋航海”カムナ号”
そして、いまや有名人の仁さんですが、
為朝神社の茅葺屋根を木の屋根に葺き替える、
という話を聞いて、もう一度茅葺屋根をみんなで作ろうと、立ち上がってくれました。
そして、ススキの生えてる場所探し・刈り取りの協力を、ということで、
定例会に来てお話しいただきました。
(カヤというのは総称だそうで、大島の場合はススキのことです)
その後「萱場」と呼んでるススキ野原が、泉津地区にはまだ何か所か残っているのを、
ガイドの会Sさんが精力的に見つけ声をかけ、確保してくれました。
本当に感謝です!!
でもまだまだ募集中ですので、心当たりがありましたらご連絡ください。
↓この高さがベスト!でもベストじゃなくても大丈夫。
昔は「今年はこの家、来年はあの家」と、村の共同作業としてやっていた葺き替えですが、
いまや大島に現存する茅葺屋根はここだけになるそうです。
大島は地区のつながりが強いので、大島のというより「元町の神社」という感覚の方も多いと聞きましたが、
そんな中でも地区を超えて島の文化財のために、
また仁さんの夢に魅せられて動いている方たちがつながって動き出している今に、
10年前を知らない私もワクワクしています。
ススキの刈り取りは、3/17-18と3/24-25の2回、
葺き替え工事は4/1-8 (8日はお披露目式)
の予定です。ぜひ気軽に足をお運びください。
https://4travel.jp/travelogue/10251715
ちなみに昔大島で沢山牛を飼っていたころは、牛のエサにもしていたそうですが、
そのころもまだ島の家の屋根は茅葺だったのでしょうか??
それとも使わなくなった萱場が牛のえさ場に有効利用されたのかな??
神社なので、普通の家の屋根より重厚で多く必要な事を差し引いても、
一つの建物に直径20㎝×700束も必要なことを考えると、そんな気がします。
今は農家の人が、(稲わらの代わりに)霜や雨除けなどのために
地面にひくために使っているそうですが、それも使われなくなったところは、
2・3年放置されたところは、少し木が生えてきているとのこと。
ということは、今雑木林になっているところの多くも、ススキ平原だったのかも!
そう考えると、かつての大島の風景は、今とだいぶ違ったものになるのではないでしょうか?
噴火などの自然要因だけでなく、人間の生活も沢山島に影響を及ぼしていて、
重なり合って生きているという事を感じました。
そして元々は島に住む人間はみんな移住者、船に乗ってやってきた。
ロマンのある話ではありませんか!
今日はこの辺にしておきます笑
また進捗おしらせします(あい)
岡田地区を守る八幡神社の踊りの先生でもあるKさんと、その生徒さんでもあるNさんが、
正月にされる歌と踊りを披露してくださいました。
八幡神社のご神体は、源為朝が大島に流された際奉じてきたと言われている
「九重の巻物」であったりと、源為朝と縁の深い神社です。
今回披露してくださった「きやり」という曲は、お祭りの一番最初に舞われるもので、
(たぶん為朝が弓の名手だったことからだと思いますが)弓の儀式で、
矢の当たった方向の一番若い者が躍ると決められているそうです。
若いころ、自分の家の方向に矢が当たったのに弟が抜擢され、
やりたかったのにやれなかった、思い入れのある曲だそうです。
先生と生徒のやり取りもほほえましく、
また想いのこもった踊りは見るものを魅了するものがありました。
伊豆大島データミュージアム
そしてもう一つ、源為朝にご縁のある話題が。
葦で作った船で長距離航海する、冒険家の石川仁さんが、やってきました!
仁さんは10年前に、黒潮の流れに乗って高知県から伊豆諸島にたどり着くというプロジェクトで、
葦船で伊豆大島にやってきて、その後、船の素材などで為朝神社を再建しました。
https://plaza.rakuten.co.jp/tutty/diary/?ctgy=1
日本初の葦船外洋航海”カムナ号”
そして、いまや有名人の仁さんですが、
為朝神社の茅葺屋根を木の屋根に葺き替える、
という話を聞いて、もう一度茅葺屋根をみんなで作ろうと、立ち上がってくれました。
そして、ススキの生えてる場所探し・刈り取りの協力を、ということで、
定例会に来てお話しいただきました。
(カヤというのは総称だそうで、大島の場合はススキのことです)
その後「萱場」と呼んでるススキ野原が、泉津地区にはまだ何か所か残っているのを、
ガイドの会Sさんが精力的に見つけ声をかけ、確保してくれました。
本当に感謝です!!
でもまだまだ募集中ですので、心当たりがありましたらご連絡ください。
↓この高さがベスト!でもベストじゃなくても大丈夫。
昔は「今年はこの家、来年はあの家」と、村の共同作業としてやっていた葺き替えですが、
いまや大島に現存する茅葺屋根はここだけになるそうです。
大島は地区のつながりが強いので、大島のというより「元町の神社」という感覚の方も多いと聞きましたが、
そんな中でも地区を超えて島の文化財のために、
また仁さんの夢に魅せられて動いている方たちがつながって動き出している今に、
10年前を知らない私もワクワクしています。
ススキの刈り取りは、3/17-18と3/24-25の2回、
葺き替え工事は4/1-8 (8日はお披露目式)
の予定です。ぜひ気軽に足をお運びください。
https://4travel.jp/travelogue/10251715
ちなみに昔大島で沢山牛を飼っていたころは、牛のエサにもしていたそうですが、
そのころもまだ島の家の屋根は茅葺だったのでしょうか??
それとも使わなくなった萱場が牛のえさ場に有効利用されたのかな??
神社なので、普通の家の屋根より重厚で多く必要な事を差し引いても、
一つの建物に直径20㎝×700束も必要なことを考えると、そんな気がします。
今は農家の人が、(稲わらの代わりに)霜や雨除けなどのために
地面にひくために使っているそうですが、それも使われなくなったところは、
2・3年放置されたところは、少し木が生えてきているとのこと。
ということは、今雑木林になっているところの多くも、ススキ平原だったのかも!
そう考えると、かつての大島の風景は、今とだいぶ違ったものになるのではないでしょうか?
噴火などの自然要因だけでなく、人間の生活も沢山島に影響を及ぼしていて、
重なり合って生きているという事を感じました。
そして元々は島に住む人間はみんな移住者、船に乗ってやってきた。
ロマンのある話ではありませんか!
今日はこの辺にしておきます笑
また進捗おしらせします(あい)