nikkurei社長のひとこと**ケアマネは希望の星だ**

ケアマネジャーに笑顔をもたらす会社です
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今を考える

2018-12-30 23:10:11 | Weblog
日経2018年12月27日掲載のインタビューでのポール・コリア氏(オックスフォード大教授)の話は正確だ。
氏は今の世界で分断が広がったのは「資本主義が欲望にみを頼りにしているものだという間違った考えが広がった」ためだと分析した。経済学がモデルとしたのは怠け者で自己中心的で強欲な「経済人」だが、経済学者はこの限界を理解しているが「強欲は善」という考えが広まってしまい、極右や極左、大衆迎合主義者たちは人々の怒りにつけ込んだという。
いま直面している分断をもたらしている状況に対処するのは「お互いの義務を果たす道徳」を強調している。


20世紀は利益を追求する経済だったが、21世紀は価値を追求していくことが大事だ。人間にとっての価値、生命に係る価値を実現し追求し、それを評価する経済活動を実現する世紀でありたい。


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人生の最終段階に係るケアマネジメント

2018-12-24 16:15:53 | Weblog
終末期とも看取りとも言われる時期では、どのような治療を求めるかとか、どこで治療を受けるかということの話合いが中心になって、議論されている。
医療従事者からは治療が関心になるので、そうした終末期の医療にフォーカスされるのだろうが、介護特に介護支援専門員にとっては終末期であろうとなかろうと治療だけを考えているわけでないので、ケアマネジメントにおいては治療を中心にした終末期議論では充足しているといえない。
さらに本人にとってはどうなのか、家族にとっての受け止めはどうなのかも治療の議論だけでは解決の方向を見出すことに困難さを感じる。
本人や家族にとっての人生の最終段階におけるケアマネジメントを考えるとき、医療だけでなく、人生観や生死観を踏まえてのかかわりがケアマネジメントの基礎になる。

気管挿入や人工呼吸器を装着し経管栄養など積極な延命治療か消極的な延命治療にとどめるかそれとも食事も水分摂取も自然のままに任せるのかという治療の議論だけでなく、そのときときでどう生きたいか、どういう生き方を望むかという人生観からのかかわりをするケアマネジメントが介護支援専門員の行為となる。

医療の観点からの週末期のかかわりはそれこそ疾病にもよるが終末期に直面してからの話で十分に治療内容を決められる。したがってその時期でも終末期の治療の話が可能だ。
介護支援専門員にとって終末期になってから治療の内容を本人家族に決めるよう迫るのは治療を施す当事者ではないがゆえに、治療のことを説明し本人家族に決定を求めることは難しい。

終末期に直面してからどのような治療を受けたいかの選択を求めるには、時間的に余裕がなく、気持ちの整理をすることも難しいことから、終末期の治療を求めるという姿勢でなく、これからどのように生きたいか、どういう生き方をしたいのかという観点に介護支援専門員がたつといつでも話にだすことができる。

介護支援専門員にとって人生の最終段階の支援をどうするか、それはどう生きたいか、どのような生き方を望まれるかの確認とそのためになにを整えていくかということになる。

さすれば、終末期になってから確認せずとも担当を開始した直後から、「あなたはどういう生き方をしたいですか」「これからどのように生きたいですか」と確認することができ、そのために介護に係る関係者の間で共有しておき、それぞれの立場で準備をしておくことができる。この時から確認ができていれば、終末期に直面してから在宅でという希望を聞いたらある事業者では対応ができないといわれるかもしれない事態を回避できる。
もし、在宅での支援ができないという事業所であったらば事業者の変更もできる。その時点で対応ができないという事業者であっても準備を促すことで対応ができるようにもなる。

家族にとってもどう生きたいかという投げかけであれば本人に聞くことも、家族の間で話合いもでき、さらに遠方にいる親族にもその意向を伝えておくこともできる。
本人の意向にそぐわない治療を受けるようになるのは、本人の意向を理解する機会がなく本人の事情を理解することができなかった場合に発生する。
介護支援専門員は「どう生きたいか」を早期から確認し、遠方の親族が集まる機会である年間のイベント例えば誕生日や入退院にも参加させてもらい、親族に事情を説明させてもらう時間をもらうという支援も欠かせない。

これらの準備を整えても、常に本人や家族の気持ちは揺れることも知っておき、一端決めたことでも事態の変化に伴って決定が変わることもありえる。そのため、「どう生きたいか」を確認したことは決定したことではなく、常に変更がある決定であることを忘れることはできない。
いままで最後は自宅で、といっていたことを、やはり病院に行きたいということもあり、その時々の決定はそのときの最良の決定だと認識したい。介護支援専門員はその決定を全力で実現することがケアマネジメントといえる。

本人の意向に沿った最後を実現できたとしても、家族にとっては気持ちの揺らぎは常にある。あの時入院させなかったのは果たして良かったのか、本人はあれだけ在宅を希望していたが本当にそれでよかったのか、などなど、後々振り返ると後悔の思いになることも多い。
母親と同居していた娘が母親を見送り、お葬式など一連の行事から納骨までは多くの人が家に来ていて、気持ちも忙しさに追われることで落ち込むことがなかったが、納骨を境に一人の時間が多くなりあるとき母親の治療はあれで良かったのかと後悔するようになり、ついには精神的に不安定となり仕事にもいけないようになり退職、いまでは心療内科を受診してようやく放課後ディの手伝いができるまでに回復したということもありました。

また、ある病棟の看護師がガン末期の40代の専業主婦を夫と子供のいる家庭に退院の支援を行い、そこで亡くなったことについて、その退院は良かったのか悩んでいたとき医師を交えたデスカンファレンスを開き、その医師から「病院にいて何ができたの」という一声で救われたという話も聞きました。

この2つの挿話から、家族だけでなく専門職でも心の揺らぎ、そのやり方は正しかったのかという思い悩みが尽きないことが示されている。同時に解決のヒントもデスカンファレンスにあることも示唆されている。

介護支援専門員は看取り支援ではなく、人生の最終段階を「どう生きたいか」の確認と支援であり、そのかかわりはいつからでもできて、残された者への支援であるデスカンファレンスまでである。
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研修も看取り

2018-12-23 14:50:56 | Weblog


所属する神奈川県介護支援専門員協会の研修でも看取りだった。
知り合いも1月の催しでACPについて講演するという。
しばらくは続くテーマだろう。

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これからも続くテーマ

2018-12-22 16:23:23 | ケアマネ太郎日記


今度の日本介護支援専門員協会南関東ブロック研修会のテーマはACPだ。
人生の最終段階にどうかかわるか、これがしばらくは関心の的となりそうだ。

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人生会議

2018-12-21 13:51:57 | Weblog
ACP(アドバンスケアプランニング)を人生会議とよぶようだ。
介護側からの感触とちょっと違うなぁ。
「どう生きたい」ことの確認とその支援だと気持ちが落ち着く。


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金融老年学

2018-12-05 22:37:31 | Weblog

人生百年時代、平均寿命、健康寿命と並んで資産寿命も大切という視点のシンポジウムだった。
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日本の美術館名品展