nikkurei社長のひとこと**ケアマネは希望の星だ**

ケアマネジャーに笑顔をもたらす会社です
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業務改善の成果が実感できるようにしたい

2007-09-28 15:02:07 | 雑感
介護業界はつくづく脆弱だと思う。

いままで福祉を担ってきた社会福祉法人に混じって他分野から参入する法人があり、それは結構なことだが、その法人にとって介護事業における経営のモデルがない現実に直面する。

たとえば労務、介護事業における収支改善の近道は、その原価割合から人件費の抑制である。
人件費は介護の質に結びつく要素であるからむやみに人件費の抑制を行なうとCSに跳ね返り、時としてお客様に損害をもたらす原因となる。
このことから人件費と介護のバランスをどうように取るかが収支改善の鍵であることが伺わせる。
人件費を適正化する工夫はいくつかあるだろうが、それでも収支改善に大きく反映されることはなく、それが故に業務改善の成果が実感として感じられないという事業体質になっている。
おそらく社会福祉法人の世界ではこれでいいのかもしれない、他産業の法人にしては業務改善の成果が実感されない業務は、そこに携わる人間に疲弊感を与える結果となる。
なんとか業務遂行が成果として実感できるものにしたい。

まづは、そうのような事業の体質でることを認識することから始まるのだろう、次にその分析、原因の究明、そして対応策の検討に入り実現可能かどうかの検証という、すでに稼動している事業体にとってはつらい現実に直面するわけである。

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更新サボりすぎ

2007-09-27 15:46:17 | 雑感
最近、更新をしていませんでした。
約1ヶ月ほどの休眠。これからまた更新をしていきます。で、再開の話題が・・・

最近、叔母が死亡した。85歳タバコやを長年経営していた。
腰椎ヘルニアから始まり胸骨骨折、内臓機能低下最後は腎不全から急性心不全が死因という。
一昨年は義理の母が死亡している。新潟中越地震の影響か心労が原因だった。
その時と同じくして私の事業も節目を迎えている。義母のときは事業計画策定中で計画がまとまる時期であった。
今回は法人設立・事業所開設という作業の真っ最中。
人は何かと出来事に意味を見出そうする、それがいいえているかどうか、おそらく何かを感じようとする心の動きがあるのかもしれない。
いずれにしても私の場合は事業の節目節目に近親者の死亡があるようだ。

再開の話題がこのようなことで、申し訳ない。
さぁ、はじめよう!

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商売冥利は継続からか

2007-09-27 14:56:54 | 経営
今朝のニュースで博多の老舗ラーメン店長浜屋が休業、ファンが心配。というのがあった。
商売ここまで客がついてくれたら本当に商売冥利だと思う。最近ラーメンを食べていないし、博多のこのラーメンも口にしたことがない。どんな味かわからないが、ここまでになるまでには地道な継続があったんだと思う。この地道なことをこつこつとやり続けることが最近できない。このラーメン屋は50年やっている。
昔有名で私も時々食べにいったラーメン屋は多店舗戦略をして味がおち、結局客が遠のいた。
やはり地道に続けることだなぁと感じた話でした。
当社もやはり地元に支持されるような商売、ケアマネジメントをしないといけないと痛感したニュースでした。
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身体ケアによるコミュニケーション

2007-09-06 14:43:01 | ケアマネジメント
「身体知と言語」から
専門職とクライアントの間の情報の非対称性を埋めることが重要でありその方法は言語によるわけだが、身体ケアの専門職にとってはケアの有効性がよりコミュニケーションに寄与する。
例としてドクターの治療効果を挙げている、特段言語による情報の非対称性を埋める努力をさほどしないドクターがそのクライアントに対して有効な治療効果をもたらした場合、言語に勝るコミュニケーションをとっている。これは身体ケアを行なうヘルパーや理学療法士なども同様だという。

私見、ヘルパーが排泄介助や清拭などでクライアントが安心ししかも気持ちよいと実感するケアであった場合、言語以上のコミュニケーションであろう、そのクライアントにとってそのヘルパーはかけがいのない存在といえる。

たとえば体位変換、横臥位に移行するとき、声をかける「○○さん、向きを変えますよ」といってから、動作。正しいです。
他に「○○さん、だいぶ上向きの姿勢だけど疲れない?」「そろそろ横向きになりたくないですか?」「じゃ、ゆっくり横向きになりましょうね」という言語のステップがあり、移動の速度が速からずゆっくりからず、そして膝のあてものの厚みが薄くなく厚くなく、角度も適当な角度を保っている体位に変換したら、まさに言語を上回る身体ケアによるコミュニケーションであり、クライアントはこのヘルパーと継続的友好な関係を維持することになる。

研究者は研究を通して実務を集約し普遍化しまとめる、実務者によって研究書は普遍的な観点から実務を検証し修正を行なうことに寄与する。
この奥川幸子氏の著書「身体知と言語」は研究レベルに止まらず実務遂行のヒントを含んでいる著書と位置づける。
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最後の砦・ケアマネジャー

2007-09-04 16:14:16 | ケアマネジメント
高齢者にとって最後の砦はやはりケアマネジャーで、それこそ生かすも殺すもケアマネジャーの立てたプランによる、ことをいまさらながらに実感している。

奥川幸子氏の著書「身体知と言語」を引き続き読んでいる。
氏による対人援助職者はクライアントの生命と安全を守ることが最低限のことという。

当社の理念によれば「食」の確保と社会との接点の維持、同じことと認識する、生命の維持を「食」という行為で確保し、安全の確保は社会とのつながりの問題であるから。

「対人援助」職者を中心とする事業所を行なう当社にとって、やはりケアマネジャーがその業務を遂行するポジションを確保するか、もしくは事業所の役割とは何かを考えさせられた。
居宅を専業とする以上、他の法人より突っ込んだ事業所、ケアマネジメント業務遂行に寄与する形態でありたい。
いま、できることはケアマネジャーの待遇で、専門職としての待遇整備と勤務に即した勤務体制の整備ぐらいしかない。
これでいいのかと思う、ほかにケアマネジャーを支える手立てはないものだろうか。
ケアマネジャーはやはり高齢者の最後の砦、文句を言われるものケアマネジャー、暴言を吐かれるものケアマネジャー、苦情をいわれるものケアマネジャー。
でも、それは最後の砦だから、どうしてもケアマネジャーにしかいえない、最後の砦だから。
そういう立場のケアマネジャーを事業所としてはどのように支えたらいいのか、ケアマネジャーだけの問題として扱っていいものではあるまい。
居宅を専業とする当社にとっては見過ごすことのできないこと、と思う。
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情報の非対称性

2007-09-03 15:44:53 | ケアマネジメント
奥川幸子氏の著書「身体知と言語」を読みだした。多いに参考になる。
たとえば、専門職とクライアントの間には「情報の非対称性」があることは周知の事実だが、氏は情報の非対称性を埋める言語を主張されている。

私見だが、ケアマネジャーの立案するケアプランのほとんどは正しいのだろう、しかし、それでもお客様からのケアへの協力が少ない、時として文句を言われる。
専門職として正しいことを行なっているのは間違いないのだが、その説明がお客様の気持ちに「寄り添った」かたちでコミュニケーションが取れていない場合、どんなにいい内容のケアプランを提案し実行してもうまくいかない。

このことを氏は専門職の陥り易いことと指摘されている。さらに専門職であるからクライアントの訴えを類型化してケアをパターン化することの危険性も指摘されている。

当社のことで言えば、いまケアマネジャーの採用を行なっているが、こちらの条件ばかりを主張していたような気がする。働く者の気持ち、働く側の将来の見通しというものが見えない条件ではなかったかと反省している。働く者としての将来はやはりその事業所の方向に左右されるわけで、会社の方針、事業の目的や事業展開なども説明しなければ働く者の生活が見えないし安心して身を会社に委ねるわけにはいかないです。

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高山樗牛の言葉

2007-09-01 10:08:00 | 経営
ある団体の指導者は組織論を展開する際に高山樗牛の言葉「凡そ如何なる偉業に於いても、個人の精神の籠らぬものには決して真の生命があり得るものではない」を引用いている。
その通りだと思う、居宅介護支援を専業で行うことに安住してその後なんらの手も施さないならば会社は死んだも同然の状態であろう。
組織ややり方を決めてそれで良しというわけには行かない、日々事業の内容を点検し足らぬものは補い、行き過ぎたるところには方針転換をと舵を取らねば事業の進捗は得られない。
仮に日々の活動に点検を加えないようになった場合、一方的な利益追求やコンプライヤンスからの逸脱を来たしお客様や社員、関係者に損害を与え、迷惑を与えかねないだろう。
日々すこいしでも前へ前へ、を意識して行きたい。
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