浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2013-03-04 22:02:50 | 日記
 この冬は寒かったと過去形で書いてよいのかどうかわからないが、ここ数日は春を感じられるようになった。庭の草花をみると、彼らは春の到来を確信しているらしく、茎を伸ばし、葉を広げ、つぼみをふくらませてきている。中には花をつけているものもある。

 もう3月である。いったい何をしてきたのかと、振り返ってみると、あまり成果を出していないことに気づく。

 ボク自身の仕事としては農作業と読書があるが、それ以外の仕事は他人のためのものだ。地域福祉のために自転車や徒歩で歩き回り、歴史研究会の中枢メンバーであった方が亡くなられて、その遺稿集編纂に多くの時間を割き、議員の視察や調査などに同行していろいろ意見したり・・・そうしているうちに時間はどんどん過ぎていく。

 それに、今取りかからなければならない大事な事業がひとつあるし、歴史講座の準備もしなければならない。

 忙しい日々が続く。

 『なつかしい時間』のなかに、長田弘さんの詩があった。

 人は死ぬ。

 赤ん坊が生まれる。

 ひとの歴史は、それだけだ。

 そうやって、この百年が過ぎてゆくのだ。

 何事もなかったように。



 ボクが生まれてきて、そして生きて、さいごに死を迎える。こうしてボクの時間が過ぎていく。ボクの時間が終わっても、時間は時を刻んでゆく、何事もなかったように。だからこそ、チェーホフのことば(『三人姉妹』)が沁みる。

 こうして生きていながら、何を目あてに鶴が飛ぶのか、何のために子供は生まれるのか、どうして星は空にあるのかーということを知らないなんて。・・・何のために生きるのか、それを知ることーさもないと、何もかもくだらない、根なし草になってしまうわ

 ボクの書棚には、チェーホフ全集がある。ボクを待っているはずだけど、なかなかそこに行けない。


 
コメント
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