社会学者の北田氏が、時評めいた文をまとめたものだ。
私にとっては、上野千鶴子に対する批評については、あまり興味関心をもつことができなかった。あまり上野の本を読んでいないからである。上野が「移民」問題を発言し、それに違和感を持った北田が批判しているのであるが、やはりきちんとした学びを経た後でのみ時局について発言すべきであると思った。きちんとした学びを経た後でないと、その意見は社会的な風潮をなぞっただけのものになりがちである。
面白かったのは、『現代思想』などの編集者であった三浦雅士氏との対話、ブレイディみかこ氏との往復書簡、「日本型リベラルとは何であり、何でないのか」である。『現代思想』は私がしばしば購読する雑誌であるが、知的刺戟に満ちたこの雑誌の周辺を知ることができた。ブレイディみかこ氏との対話は、次の「リベラル」をめぐる論考と相まって、最近多用される「リベラル」と自称する政治勢力についての吟味を促すものであった。
この往復書簡と論考をもとに、「保守・革新・リベラル」について、某紙のコラム欄に寄稿したばかりである。
「リベラル」など、政治的な場で使用される語についても、厳密な検討をくわえておかないと、実体が伴わないままに使用してしまうおそれがあり、それは謹まなければならない。
何ごとも、語を明確にすることは必要である。
私にとっては、上野千鶴子に対する批評については、あまり興味関心をもつことができなかった。あまり上野の本を読んでいないからである。上野が「移民」問題を発言し、それに違和感を持った北田が批判しているのであるが、やはりきちんとした学びを経た後でのみ時局について発言すべきであると思った。きちんとした学びを経た後でないと、その意見は社会的な風潮をなぞっただけのものになりがちである。
面白かったのは、『現代思想』などの編集者であった三浦雅士氏との対話、ブレイディみかこ氏との往復書簡、「日本型リベラルとは何であり、何でないのか」である。『現代思想』は私がしばしば購読する雑誌であるが、知的刺戟に満ちたこの雑誌の周辺を知ることができた。ブレイディみかこ氏との対話は、次の「リベラル」をめぐる論考と相まって、最近多用される「リベラル」と自称する政治勢力についての吟味を促すものであった。
この往復書簡と論考をもとに、「保守・革新・リベラル」について、某紙のコラム欄に寄稿したばかりである。
「リベラル」など、政治的な場で使用される語についても、厳密な検討をくわえておかないと、実体が伴わないままに使用してしまうおそれがあり、それは謹まなければならない。
何ごとも、語を明確にすることは必要である。