浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

日本の現状

2018-07-27 15:28:37 | 政治
 私はもう日本は全体主義国家へと変質していると思う。というのも、下記の記事を読んだからだ。

「五輪ボランティア徴用のために授業や試験をずらせ」スポーツ庁と文部科学省が全国の大学・高専に要求

 そもそも私はオリンピックなんて招致すべきではないと思っているし、猛暑の8月に実施するなんて狂気の沙汰ではないかと疑問を抱いている。

 そしてこのニュース。国立競技場その他、土建関係には多額のカネをつかい、選手や観光客相手のスタッフにはカネも出さず、スタッフは凡て自費で仕事をさせるというのだ。

 ひょっとして人が集まらないかもしれないからと、大学生を「動員」しようとしている。何ということだ。国策に無償で大学生を動員するというのは、戦時動員と同じである。

 モウ日本は全体主義国家。
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知識

2018-07-27 07:50:14 | 政治
 バザップに、次の記事が載った。

「義務を果たしていれば権利を主張して良い」自民・小野田議員の自然権否定という闇

 信じられない無知蒙昧ぶりだ。国会議員は、当たり前のことだが、高校の教科書程度の知識を持つべきである。しかし国会議員は、国民の代表である。残念ながら、国民の多くも、自然権なんて知らない。

 歴史講座で、私はいろいろ話しているが、高校の教科書レベルの知識を、多くの人が持っていないということを実感している。その意味では、教育は無力であったのかと思う。

 
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終身刑という選択

2018-07-27 07:29:36 | その他
 私は、人間は如何なる理由でも殺されてはならないと考える。刑事事件でも、戦争に於いても、死刑という処刑でも、である。刑事事件は、民間人が人を殺す。オウムに関わる数々の事件がそれである。当然、人間を殺した人は罰を受け、罪を背負う。

 戦争と死刑は、国家権力が人間の命を奪う。前者においては、善人であろうと悪人であろうと女であろうと子どもであろうと、人を殺すことは合法となって、たくさん殺せば殺すほど国家権力から顕彰される。後者は、国家権力が、人間を殺した人を罰として殺す。

 国家権力は、ある時は人間を殺すことを推奨し、ある時は人間を殺すことはいけないことだとする。自衛隊は、災害救助で活躍しているが、戦争が起きた時には人間を殺すことをみずからの仕事としている。

 人間を殺してはいけないとする国家権力、人間を殺せと命令する国家権力、まったく正反対の命令を下す国家権力。

 私は、人間を殺してはならない、という理念で一貫させるべきだと思う。戦争をしないこと、死刑ではなく終身刑を導入すること。

 国家権力の「悪」は、なくさなければならないと思う。

 
 上川陽子という法務大臣は、ある意味、すごい人だ。国家権力の中枢にいる人間として、10人以上の死刑囚の死刑執行を命じた。私にはできないことだ。安倍政権や法務官僚の方針であったのであろう。

 人間を殺した人間を殺す。因果応報?「目には目を歯には歯を」?私には、わからない。

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