浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

豪雨

2018-07-08 23:05:22 | その他
 過去にない豪雨が頻発している。ネットで被災地の被害状況を見ていると、山崩れや洪水など被災された方々のくるしみや絶望を思うとやりきれない。

 最近、気候が大きく変動していることを感じる。こんなことはなかった、ということが増えている。温暖化のせいだろうか。スコールのような雨が降るようになっている。

 人間は、生きている限り、どのような環境でも生きていかざるを得ない。それは自然環境だけではない。社会環境もである。

 自然的・社会的災害に囲まれながら生きていくことに、希望をもてるのか。

 子どもや、これから生まれてくる者が、生まれてこなければよかった、と思わないように、私たちがすべきことはたくさんある。

 被災地の皆さんが、苦難を乗り越えていけるように祈るばかりだ。
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オウムの「真相究明」

2018-07-08 19:43:53 | その他
 森達也氏らが「オウム事件真相究明の会 麻原彰晃にほんとうのことを喋らせよう」を結成した。しかしこの会は、松本こと「麻原彰晃」の死刑が行われたことにより、「ほんとうのことを」聞くことはできなくなった。その目的がかなわないわけであるから、解散するか名称を変えるべきではないか。

 私は、この会が「麻原彰晃」という名称を使っていることに疑問を持つ。もし使うとするなら「」で使うべきではないか。すでに彼の本名が松本某であることは報じられているし、「オウム真理教」という宗教組織が、カルト集団であったことも明らかになっている。松本という男が教祖となったこと、そのカルト教団に普通の人々が吸い寄せられていったことなどを客観的に点検するという目的ならば、「」もなしに麻原彰晃を使うべきではないと考える。

 またこの会に関わった人達は、オウムが関わった事件をどう捉えているのか。たくさんの被害者を生み出したこの事件、問題は、このような事件の再来を防ぐためにはどうしたらよいか、事件のなかから教訓を得ることこそが重要ではないか。

 そもそもオウムに関わる裁判の途中から、事件に関する責任を放棄して、口をつぐんでしまった松本。それはなぜかというと、自分を教祖と崇めていた信者達の多くが、裁判でみずからを教祖と認識することがなくなったこと、下手なことをしゃべればみずからに対する非難が大きくなると思った松本が、みずからの意思で話さなくなったのである。

 裁判資料、東京地裁の判決その他を読めば、松本は病気になったのではなく、みずから語ることをやめたことがわかる。きわめて無責任な俗物であることが、裁判の経過の中で明らかになってきていたのである。

 江川紹子さんが、「真相」はあんがい明らかになっていること、を指摘している。またオウムに殺されそうになった滝本弁護士も同じ立場である。

 私は、江川さんの所説に賛成である。

 たとえ生きていたとしても、松本は語らなかっただろう。それを求めるよりも、信者となった人々がなぜこういう俗物を教祖として崇め、カルト教団に入り、数々の蛮行を行ってしまったのか、そういうことを追求すべきではないか。

 松本等の死刑が実行されたあと、私はオウムの判決などを読んだ。たしかに、江川さんが主張する如く、犯罪に関わっての教祖としての松本の関わりなどは明らかになっている。私は死刑廃止論者ではあるが、現行の刑法においては、松本は死刑に値する。いずれ死刑が実行されるとは思っていたが、「麻原」に「ほんとうのことを喋らせ」て、いったい何を「究明」しようとしているのだろうか。
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これは事実です

2018-07-08 15:01:59 | その他
 私も、現在住んでいる方に確認しました。

https://toyokeizai.net/articles/-/228325

 私が住んでいるところは、こんなことはありません。山梨県ってすごいところです。
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