浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

猛暑の夜

2018-07-15 23:33:24 | その他
 エアコンを稼働させないと眠れない時期になった。快適な温度にした状態で、私はAmazonMusic、あるいはクラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Labelで、クラシック音楽を流し、本を読んだりしている。

 今は、フジ子ヘミングのピアノ。彼女の演奏は、手編みのようだ。編み棒がピアノ、毛糸が楽譜。どういうものができるか、色は?かたちは?それらはすべて彼女の手にかかっている。

 以前、「クラシック音楽へのおさそい」の楽曲の解説を読んでいた時、ある演奏家の「楽譜通りにひかないようにしている」という文言を読んだ記憶があるのだが、はてそれが誰であったのかを思い出せない。

 フジ子ヘミングのピアノは、楽譜に即して弾いているのだろうが、どうも彼女の手が自由に自己を語るように動いているようにきこえる。

 政治、社会のことを考えずに、このような音楽を聴いたり、小説を読んだりする生活を待っていたのだが、それはできそうもない。頭の隅に、しなければならない仕事のことがいつもこびりついている。

 それは講演の準備だけではない。書くこと、そのために読むこと。

 それ以外に、今日やったように、実家の障子を張り替えることなどである。汗まみれになって障子を張り替えた。8月中旬には、離ればなれに生活している家族が帰ってくる。少しでも快適な環境を、という気持ちからだ。

 こう暑いと、何もしたくなくなる。明日も映画を見に行くつもりだ。「タクシー運転手」。韓国映画だ。韓国を、私はいつも見つめている。もう10回以上行っている。韓国では、老人に道を聞かれる。しかしわからないから、チョヌンイルボニン。나는 일본인
 おそらく私の先祖は朝鮮半島から渡ってきたのだろう。朝鮮半島のことが、気にかかるのだ。

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何のための児童相談所

2018-07-15 20:40:01 | その他
 香川の病院が、品川の児相に殺された女の子のことを連絡していたそうだ。いったい品川の児童相談所は何をしていたのか。浜松市のように、やる気のない公務員を配置していたのか。

虐待継続、診療情報を児相に伝達 香川の病院、5歳児死亡1週間前

 この家庭にとっては、この女の子は邪魔者であったのだろう。ひょっとして、品川の児相にとっても。

 愛情によってつくられたシェルターが必要だ。
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【映画】「万引き家族」

2018-07-15 20:00:19 | 映画
 ヨーロッパで受賞する映画。外国映画の中でも、アメリカ映画はハッピーエンドで終わり、完全なエンターテインメント。考えることもなく、ただその時間を楽しめばよい、というのがアメリカ映画。ヨーロッパ映画は、思想や思考が背景にあることを示唆する。

 「万引き家族」は、ヨーロッパ映画の範疇に入る。

 出演している樹木希林をはじめ、子役まで、みごとな演技。子役の二人のうまさに、とりわけて賞賛したい。

 映画のテーマは、これだっという決定的なものはないような気がした。家族のあり方というものにフォーカスしようとしていたのか。そういう面もある。親による子どもに対する虐待。「愛情があるから叩くなんとことはあり得ない」といいながら、子どもをぎゅっと抱きしめる。「愛情ってこれだよ」。その通りだと思う。好きな人を、子どもであれ、おとなであれ、抱きしめ、頬をあわせるのが愛情だ。
 自分の子どもでない子どもを愛せるか・・・という問いがなされた場合、私はおそらく無理だと応えるだろう。そういう経験がないからだが、しかし愛情というのは、血縁関係とは関係なくわき上がるものだ。愛情とは、対象となる人をいとおしく、大切に思う心情だ。

 この映画には、そうした愛情が描かれていたような気がする。血縁関係のない人々が集まり、家族を構成する。血縁関係がないから、家族となる必然性はもともとあるわけがない。偶然性の中で、その家族の一員になっていく。そこでそれぞれが、たすけあい、いとおしく大切に思いあう。しかし、必然性がないから、偶然性の中でその家族から離れていく者もでてくる。

 家族とは、一定の時間、人々が溜まる場であるといえるかもしれない。その人々が血縁関係があってもなくても、である。いずれ、年月が、確実に、その家族をばらばらにしていく。その溜まっているあいだ、そこにいる人々は、お互いを信じ合い、たすけあい、いとおしく思う。

 血縁関係があっても、現代の家族には、それぞれをいとおしく大切に思うという関係の不在が指摘される。

 「万引き家族」の家族が住むあの家は、ある種の溜まり場であったのではないか。血縁関係をもったふつうの家族から離れざるを得ない人々が、現代社会にはたくさんいる。そういう人々が集まってくる溜まり場。そこは決して経済的に豊かではない。家族はもはやシェルターの機能をもたなくなっている。
 しかし人間には、シェルターは必要だ。愛情でつくられているシェルターが・・・・・

 この映画は、その姿を描いたのではないか。

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