浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

今日はチャイコフスキー

2018-07-14 21:16:57 | その他
 ロシアという国家は、専制的な権力により支配される時代が長かった。今も、プーチンにより、同じような専制的な政治体制が存続している。ロシア国民には、そうした政治風土があっているのかも。

 もちろん専制的な政治体制は、非難されることはあっても称賛はされない。

 ところがそうした体制下であっても(あるからこそ?)、文学や音楽にはすごい人物が誕生する。

 ドストエーフスキーは、私の青春時代に大きな影響を与えた文豪であり、大学時代は、この人の文学作品に覆われていたといってもよい。それ以前から、プーシキン、ツルゲーネフ、ゴーリキー、ゴーゴリ、チェーホフなど、高校時代はロシア文学に耽ってもいた。ただ私は、トルストイを読む機会を持ってこなかった。本は持っているが、読まなかった。

 音楽では、チャイコフスキーとラフマニノフ。どうしてかくも美しいメロディを生み出すことができたのだろうかと、聴きながらいつも思う。チャイコフスキーのバレエ曲や、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番。

 今日は、猛暑。夕方畑に行き、汗まみれになった。いつもは2時間近く作業をするのだが、さすがに今日は1時間あまりでやめる。
 帰宅してエアコンを稼働させ、涼しい環境の中で聴きたくなったのがチャイコフスキーであった。まずはヴァイオリン協奏曲、そしてピアノ協奏曲第一番。そして序曲1812年。

 ロシアは、だからすごい国だ。啄木も、同じような気持ちを持っていたようだ。それはこの後紹介する。



 
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啄木(19)

2018-07-14 20:51:12 | その他
「貧」をみつめる

 借金に追われ続けた啄木。貧困が、啄木一家にまとわりついていた。借金地獄への入口を探し当てたのは、啄木であった。盛岡中学校を中退した直後の上京で、啄木は多額の借金をした。それをカバーするために、僧侶である父親が納めなければならなかった金を、その借金返済に充てた。それが原因で、啄木の父は住職の地位を失い、それ以後啄木は一家を経済的に支えていかなければならなくなった。

 借金がないと、啄木一家の経済生活は立ちゆかない。啄木が稼いでも、その金は消えていく。啄木がより大きな収入を得るための投資的な金は、実を結ばない。

 まさに「はたらけど はたらけどわが暮らし楽にならざり ジッと手を見る」である。

【その後私は思想上でも実行上でも色々とその「生活改善」といふことに努力しました。併しやがて私は、その革命が実は革命の第一歩に過ぎなかつたことを知らねばなりませんでした。現在の社会組織、経済組織、家族制度・・・・それらをその儘にしておいて自分だけ一人合理的生活を建設しようといふ事は、実験の結果、遂ひに失敗に終らざるを得ませんでした。その時から私は、一人で知らず知らずの間に、Social Revolutionist となり、色々の事に対してひそかにSocialisticな考へ方をするやうになつてゐました。恰度そこへ伝へられたのが今度の大事件の発覚でした。】
(大島経男宛書簡、1911年2月6日)

 借金地獄に一度入りこむと、そこから脱出することができない。働いても、働いても、である。啄木は、みずからの「貧」を突き詰める中で、自分自身の「貧」が、自分だけのことではなく、社会全体の構造にその原因があるということに気付く(小説「足跡」、「葉書」、「二筋の血」など)。

 社会主義的な思考は、啄木の近いところにあった。しかし、1910年、大逆事件が起きる。啄木にとって、それはとても大きな衝撃であった。

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高校野球

2018-07-14 07:25:08 | その他
 今日は、静岡県でも38度を超える猛暑ということである。

 夏の高校野球の大会、静岡県でも試合が行われる。静岡県では、私が高校生の時でも、一年生は全員が高校野球の応援に行かされた。強制である。学校から球場までの交通費、球場の入場料も、生徒負担である。私は、これがイヤであった。

 私が高校3年の頃、春の甲子園大会に出場したことがあった。その前年の秋季大会は次々と勝っていったので、私も自主的に応援に行ったことがある。
 
 さて今日は猛暑、野球の試合が行われ、おそらく高校一年生は応援に駆り出されることだろう。だが、この殺人的な猛暑のさなか、強制的に応援させるというのはいかがなものであろうか。

 事故があってから検討する、ということであってはならない。
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