浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【映画】焼肉ドラゴン

2018-07-05 19:36:41 | その他
 鄭義信の“焼肉ドラゴン”。

 熱い映画であった。それぞれがそれぞれに生きる。そのなかで、アボジが全員を抱擁する。あまり口には出さないが、静かに家族ひとりひとりの幸せを祈りながら生きる。家族愛。

 在日コリアンが日本で生きることは、様々な壁とぶち当たりながら生きることであった。壁に囲まれているなかで、壁にぶち当たり、壁を壊すためには、強く、みずからを主張しながら生きていくしかない。植民地支配を行い、朝鮮人を戦争に駆り出した憎き日本に住まなければならない矛盾。その矛盾を背負いながら、壁に立ち向かわなければならない。生きることは闘いでもある。

 壁に押し戻された長男は、自殺した。

 とてもよい映画であった。

 最後は、住んでいるところを追われるだけでなく、家族がばらばらになる場面であった。長女は北朝鮮へ、次女は韓国へ、三女は日本であるがすでに結婚して他所に住む。ばらばらになっても、つながっているんだ、明日はきっとよいことがある・・・・

 絶望しないで、家族のために働き、働いてきたアボジ。アボジ役の顔がいいなあ。オモニもよかった。家族のために懸命に生きる姿があった。
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テレビメディアの危機

2018-07-05 18:27:25 | その他
 TBSも、いやテレビはすべてダメ!!

「TBSは死んだ」再び。映像の押収を公表せず
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啄木(17)

2018-07-05 07:20:54 | その他
1910(明治43)年(24歳)・・・6月「大逆事件」。8月下旬、啄木「時代閉塞の現状」を書く。9月「朝日歌壇」設け、啄木が選者となる。10月9日、節子男児(真一)を産む。10月27日真一死亡。11月9日「大逆事件」公判期日決まる。啄木、「林中の鳥」、「所謂今度の事」を書く。12月1日『一握の砂』刊行。

※大逆事件に大きな衝撃を受けた啄木。事件に関する文は書くが、この年の日記、書簡には取り上げるような記述はない。個人的なことよりも、事件のことが啄木の精神を占領してしまっているようだ。

1911(明治44)年(25歳)・・・1月3日平出修弁護士を訪問(大逆事件関連)。1月5日幸徳の「陳弁書」を写しおわる。1月10日クロポトキン『青年に訴う』読む。1月13日土岐哀果と雑誌創刊を協議、雑誌名を「樹木と果実」とする。1月18日事件の判決を知る。

【僕は長い間,一院主義、普通選挙主義、国際平和主義の雑誌を出したいと空想してゐました。然しそれは僕の現在の学力、財力脱では遂に空想に過ぎないのです。
かくて今度の雑誌が企てられたのです。「時代進展の思想を今後我々が或は又他の人かゞ唱へる時、それをすぐ受け入れることの出来るやうな青年を、百人でも二百人養つて置く」これこの雑誌の目的です。我々は発売を禁ぜられない程度に於て、又文学といふ名に背かぬ程度に於て、極めて緩慢の方法を以て、現時の青年の境遇と国民生活の内部的活動とに関する意識を明らかにする事を、読者に要求しようと思ってます。さうして若し出来得ることならば、我々のこの雑誌を、一年二年なりの後には、文壇に表はれたる社会運動の曙光といふやうな意味に見て貰ふやうにしたいと思つてます。】
(平出修宛書簡、1月22日)

 土岐哀果と発刊しようという雑誌を、啄木は、「時代閉塞の」時代に抗する内容にしたいという意思をもっていたようだ。

1月23日事件関連の書類を整理。1月24日「日本無政府主義者陰謀事件経過及び附帯現象」をまとめる。1月26日平出修の自宅で裁判関係書類を読む。

 しかしこの直後、啄木は体に異変を感じる。

(つづく)
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