私は今、Amazonprimeで 韓国版の「のだめカンタービレ」をみている(「のだめ」の役は、あの「新聞記者」の映画に出演しているシム・ウンギョン)。日本のそれも見たけれども、韓国版もおもしろい。そして、出演者のファッションには驚くほどである。
私が最初に韓国を訪問したときは、ダサいデザインのものを着ている人が多かったように記憶している。しかし今は、韓国ファッションはなかなか「カッコイイ」のである。
私は日朝関係の歴史を勉強してきたから、最初に訪韓したときには、日本人として「謝罪」の気持ちをもっていた。しかし、釜山でも、Seoulでも、親切にしていただき、パゴダ公園では実際に日本に強制動員された方とも知り合いとなり、連絡を取り合う関係ともなったし、最初に釜山に行ったときに案内してくれたガイドさんとも仲良くなった。
隣国であり、日本の歴史と密接な関係をもった国の人とは、仲よくするのがよいのである。みずからの隣人と仲が悪いと、生活していくのに支障が生じることと同じことだ。隣国同士、仲よく、である。
しかしメディアあげての「反韓」、「嫌韓」の報道は、もう反社会的な段階にまできている。政府がそうだからといって、メディアや日本人がそれに同調する必要はない。そもそも森友加計問題で噓をつき続ける安倍政権が、韓国問題で真実を語るわけがない。ウソをつくことが平気な人びとは、どんな問題でも同じである。
最近ある「通信」に書いた原稿を貼り付けておく。
韓国は「敵」なのか ~安倍晋三の罠~
日本と韓国の対立は、韓国のもと徴用工による日本企業への個人賠償請求訴訟で、韓国の裁判所がそれを認めたところからスタートする。1945年に終わった戦争の後始末(戦後責任)を日本政府がサボり続けたことが背景にあり、さらに安倍政権こそがそれにもっとも否定的な対応をしているからである。
日本の司法の現状
『東京新聞』の今年8月21日の「私説・論説室から」に「「反戦」を狙うのか?」という記事が載せられた。まずその全文を紹介する。
公衆トイレに「反戦」と落書きした男性が罪に問われた。軽犯罪法違反(拘留または科料)ではなくて、五年以下の懲役と定める建造物損壊罪-。最高裁はそれを認め、初ケースとなった。二〇〇六年のことだ。
「反戦ビラ」を東京・立川で配布した団体メンバーが逮捕される事件もあった。一審は無罪。形式的には住居侵入罪に当たるが、「法秩序全体の見地からして、刑事罰に処するほどの違法性はない」との判断だった。だが、二審で逆転し、最高裁で罰金刑が確定した。〇八年のことだ。
いずれも当時の自衛隊のイラク派遣に反対する市民の意見の表明だった。そのころは微罪逮捕が相次いだ。四十年以上も政党ビラを配っていた僧侶が突然、住居侵入罪に問われたり、厚生労働省の職員が政党機関紙を配布したとして、国家公務員法違反で有罪判決を受けた。
まるで反戦思想、「左翼」と呼ばれる人々を狙い撃ちにしたかのような取り締まりだった。日弁連は当時、「表現の自由への重大な危機」を、国連も「懸念」を表明した。たとえ微罪であっても積み重なると、社会ではモノを言うこと自体が萎縮し始める。
今日では既に、首相の演説にやじを飛ばしただけで、警官に排除される時代である。こんな「表現の不自由」な社会を誰が望んだであろうか。 (桐山桂一)
この記事に見られるように、そして読者の方々がすでに常識としているように、日本という国では、「司法の独立」(三権分立)はないのである。ということは、すでに日本は民主主義国家ではないことを意味する。司法(裁判所)も立法(国会)も、行政(首相官邸)によってコントロールされているからである。
そのような日本から見ると、韓国の最高裁を含めた司法機関が、日本企業に対するもと徴用工の賠償請求を認める判決を下すことはあり得ないと思うのであろう。しかし民主主義国家では、司法と行政とが別々の判断を下すのは当たり前なのだ。その意味では、日本より現在の韓国の方が、ずっと民主主義的な国家なのである。
朝鮮植民地支配と強制的労務動員
以前、磐田郡龍山村(現在浜松市天竜区)に日本鉱業峰之沢鉱山があった。佐久間町にあった古河鉱業久根鉱山と同様に、銅山であった。
戦時下、日本の男たちは戦地へと派遣され、圧倒的に労働力の不足に悩んだ日本企業は、労働力をまず朝鮮半島に求めた。静岡県にも約1万人が、鉱山やダム建設などの土木建設現場、軍需関連工場に動員された。峰之沢にも、久根にも朝鮮人が動員された。
峰之沢鉱山に動員された全華寿(チヨンファス)(1922年生)は、慶尚南道固城(コソン)郡で農業をしていた。1942年5月、全は面(ミヨン)事務所(村役場)に呼ばれ日本に働きに行くことを命令された(当時は拒否なんかできなかった」と全は語る)。全は教育を受けていて日本語を話せたので、約50人の集団の班長にされた。働く場所は到着するまで知らされなかった。峰之沢では銅鉱を掘る坑夫として働いた。昼夜三交代の8時間労働、生活は飯場であった。飯場には逃亡を防ぐべく閂(かんぬき)がかけられた。それでも逃亡者が出て、逃亡に失敗した朝鮮人は大勢の見ている前で鶴嘴で半殺しにされた。日本人は何かと理由をつけては朝鮮人を殴り、暴力は日常茶飯事であった。全は1945年2月、鉱山が火災で操業不能となったために運良く帰還できた。なお全は、「創氏改名」により「玉山華寿」とされていた。
1995年の韓国調査で出会った全さんは、私に「戦後はじめて日本人と会った。何で日本人はあんなに暴力を振るうのかと思っていた。」と語った。
私たちは、韓国や北朝鮮のことを考えるとき、氏名を強制的に変えさせられるなどの過酷な植民地支配の実態、戦時下に強制的に労務動員された人びとの思い、「慰安婦」にされた女性たちの苦しみ、そういうものを想起しなければならない。被害者は決して忘れない、子々孫々伝えていく。朝鮮半島に住む人々には、苦痛に満ちた植民地支配下の歴史が蓄積されているのである。他方、加害者である日本(人)は忘れていく、あるいは過去の歴史を消し去ろうとする。
日韓請求権協定について
8月23日、安倍首相は「「(日韓関係悪化の端緒となった元徴用工問題を念頭に)日韓請求権協定に違反するなど、国と国との信頼関係を損なう対応が残念ながら続いている。約束をまずは守ってもらいたい。この基本的な方針は今後も変わらない」と語った(『朝日新聞』2019年8月23日)。韓国の司法が、もと徴用工の訴えを認めたことを、安倍首相は「約束」違反だというのである。
しかしそれはウソである。森友問題などで嘘をつき続ける安倍首相のこうした発言を、なぜかメディアは疑おうとしない。
日韓請求権協定について説明するための紙数がないので簡単に記すが、日本政府は日韓請求権協定により放棄されたのは国家の外交保護権であり、個人の賠償請求権はなくならないと言い(1991年の外務省条約局長の答弁)、日本の最高裁も個人の請求権は消滅していないという判決を書いているのである(2007年4月27日)。それだけでなく、国際的には、重大な人権侵害に起因する個人の損害賠償請求権を国家が一方的に消滅させることはできないという考え方が一般的になっている。
安倍首相とその政権は、そうしたことに頰被りをして、韓国に強硬姿勢を示している。
付け加えておくが、日韓請求権協定は、植民地支配をまったく反省しない日本政府と、日本の工場などに徴用された被害者の人権に無関心であった朴正熙(パクチヨンヒ)軍事独裁政権との間で、1965年に結ばれたものである。当時、日本でも韓国でも、日韓協定に対して大きな反対運動が展開されたことを覚えている人もいるであろう。
韓国は「敵」ではない
安倍首相の、韓国のもと徴用工問題への報復としての対韓輸出規制を契機に日韓関係が険悪になっている。日本による植民地支配の歴史をきちんと学び、朴正煕政権、全斗煥(チヨンドファン)政権などと闘いながら民主化を獲得してきた韓国市民は、安倍政権のやり方に不信感を抱いている。
フィギュアスケートで有名なキムヨナと人気バンドのハ・ヒョヌによる、「3456」という1919年3月1日の独立運動から100年を記念する歌がyou tubeにアップされている。3は1919年3月1日、4は1960年の「4・19学生革命」、5は1980年の「5・18光州事件」、6は1987年の「6月民主抗争」を示す。独裁的な権力に対する民衆の粘り強い闘いの歴史を経て現在の韓国がある。そうした韓国から、民衆運動や民衆美術など、私たちにとって学ぶことは多い。今、日本の若者も、安倍政権の敵視政策を超えて、K-POPのファンである。
韓国は、いつまでも、日本の隣国であり続ける。仲良くするしかないのである。