浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

クラシック音楽

2019-09-09 21:10:21 | その他
 Amazon Prime で韓国ドラマの韓流「のだめカンタービレ」を見ることができる。私は時間の合間を見て、見続けた。面白い。あの映画「新聞記者」の女性記者役を演じたシム・ウンギョンが「のだめ」、ソル・ネイル役である。

 シム・ウンギョンは1994年生まれだから、「のだめカンタービレ」のときは20歳。「新聞記者」は25歳の時だが、もっと年齢が上のように見えた。

 「のだめカンタービレ」は、クラシック音楽への道を歩む若者たちの姿を描いたものだ。当然様々なクラシック音楽が演奏される。「のだめカンタービレ」はクラシック音楽を好きにさせるためのドラマのような気がする。演奏される曲についての解説もまたよかった。Verdiの「運命の力」の背景も教えてもらった。この曲は、Verdiが作曲を再開する契機となった曲だそうだ。じっくりと聴いてみなければ。

 ドラマのなかにはさみこまれるクラシック音楽が、耳に心地よい。

 クラシック音楽も芸術である。聴いてみなければどうしようもない。そして同じ曲を聴いても、人それぞれ受けとるものは異なるし、感想も異なる。それぞれの精神状況により、聞こえてくる音楽に差異をもたらす。

 芸術とはそういうものだ。

 美術も芸術、それぞれの作品をみてどう捉えるか、どういう感想を持つのかなど、それはまず見てみなければならない。

 あいちトリエンナーレの「表現の不自由展ーその後」の中止は、多くの人のそういう「場」を奪ったのだ。

 芸術なしの人生は考えられない。クラシック音楽も、演劇も、そして美術も芸術だ。それらは見る、聴くという「体験」を必須とする。

 芸術の世界で生きていこうと考える若者がいる。芸術に枠を設けること、そんなことをすれば芸術は死んでしまう。

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演劇をみること

2019-09-09 10:05:04 | その他
 子どもの頃から演劇を見させられていた。小学生の頃は、地元の劇団「劇団たんぽぽ」がまわってきて、講堂(体育館)で見させられた。

 高校に入ると、浜松市には浜松高等学校演劇教室があって(当時は浜松市内のほとんどの高校が加盟)、毎年一回は演劇を鑑賞していた。演劇との自覚的な出会いは、この演劇教室から始まった。

 この頃浜松には、演劇鑑賞団体である浜松演鑑協(「浜松演劇鑑賞協議会」)があったと思うが、私は入っていなかったように思う。浜松労音というものがあり、そこには入会し毎回いろいろな音楽を聴いていた。クラシックが多かったように思うが・・・高校2年の時、「山城国一揆」というオペラが上演された。ちょうど公演日は試験の真っ只中。私は断念したが、社会科学研究会の上級生たちは皆行った。公演後、その感想を聞き、試験よりそれを見るべきだったと後悔した記憶がある。

 高校を卒業し東京の大学へ進学し、演劇を見るべく「東京労演」の会員となり、都内で上演される演劇をたくさん見た(ネットで東京労演を検索したら、今はもうないという。驚きである。)。大学を卒業し、地元に帰ってから、浜松演鑑協に入会し、誘われて事務局の仕事もした。しかしその後仕事が忙しくなり、また自宅から離れたところに転勤となったり、なかなか行けなくなって退会。とはいえ、仕事の中に演劇鑑賞があったのでその係としていろいろな劇団とつながりを持ち続けた。

 そして退職後に、誘われてまた演劇をみることとなった。

 私は、音楽座のミュージカルが好きで、遠くまで見に行ったりしたこともある。ミュージカルは歌あり、ダンスあり、それでいてきちんとストーリーがあり、最後はハッピーエンドで終わる、というたいへん魅力的なものである。とはいっても、そのミュージカルのよさを知るためには、他の演劇も知らなければならない。深刻な内容のもの、人間の生き方を考えさせるもの、平和を切々と訴えるもの、もちろん喜劇もある。いわゆる新劇というものは、その演劇を見る観客にいろいろな思考の渦巻きを創り出すものが多い。したがって、舞台を見た感想は多種多様である。私はそれが劇の本来の姿であると思う。一つの舞台を見て、その感想がほとんど同じという作品はあまり価値がないと思う。多種多様な感想を生み出す舞台は、それだけ深いものをもっているということなのだ。

 浜松の演劇鑑賞会で、しばしば加藤健一事務所の劇が選ばれるが、私はこの劇団を好まない。外国の翻訳劇がほとんどであるが、中途半端なのである。喜劇的なものが多いが喜劇ではない。
 外国のものには、ゴーリキーの「どん底」とか、チェーホフやブレヒトなどの劇もある。それらは、外国のものであっても、普遍的な人間に対する洞察がある。しかし、加藤事務所のそれは現代の翻訳劇が多く、舞台上での展開は他人事にしか見えないのだ。何故にこの劇を上演するのかという、社会的な意味を感じないのだ。加藤の趣味を、舞台で自己満足的に上演しているだけ、というように思える。

 私は、人間を深く洞察したもの、あるいはまったく喜劇の中の喜劇、そういったものが好きだ。中途半端なものは見たくはない。

 全国的に演劇をみる人口が減っているようだ。演劇は、それぞれ個々の精神を揺るがす力を持つ。演劇鑑賞人口が増えることを望む。

 
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日産のこと

2019-09-09 07:17:44 | 社会
 日産自動車の西川社長が辞意を表明したとのことだ。日産自動車のゴタゴタには興味関心がないが、しかし同社のニュースに接する度に、同社の社員はたいへんだなあと思う。会社のトップが会社の儲けをいいようにみずからの財布に流し込んでいる。

 あの西川という社長の顔も、ずるそうだ。ゴーンを追放してみずからを会社トップに据えるという芸当を行った人物だ。ゴーン時代に会社幹部に昇進してきたそうだが、ゴーンが何らかの悪事を働いていたとするなら、当然自分自身にも責任があるはずなのに平然としていられる。

 日経新聞が速報を出した。

日産自動車の西川広人社長兼最高経営責任者(CEO、65)が退任する意向を一部の幹部に伝えたことが8日、分かった。元会長カルロス・ゴーン被告による一連の問題に対する内部調査にメドが付いたのに加え、最近の業績不振や自身の役員報酬を巡る疑惑で責任を問う声が強まっており、これ以上の続投は難しいと判断したようだ。

 役員報酬をめぐる疑惑が報じられたからの辞意表明である。

 日産自動車を製造している労働者は、経営者によっていいようにされている。役員に渡されている報酬は、労働者に分与されるべきものである。

 私は、日産車は買わない。ずっと前から日産の経営には問題が多く、それを知っているが故に日産車を買うことは一度もなかった。スズキの自動車を買わないことと同じである。
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