自然災害が起きると、新聞テレビなどがその被害状況を報じる。その報道に接するたびに、災害の階級性を感じる。つまり被害は富裕な地域にはあまり大きな被害は起きない。そして災害は、貧しい人にこそ大きな打撃を与える。
まず東日本大震災やこの能登半島地震でも、どちらかというと富裕な地域ではない。そして阪神大震災において、家屋が破壊したところ、破壊されなかったところを比較すると、破壊されなかったところは富裕な地域であった。
災害による被害は、貧しいところにまず起こる。
そしてその被害からの回復は、想像するまでもなく、貧しい人ほど遅れる。
とりわけ新自由主義的な政策が行われる中で、自治体職員など公務員が減らされ、医療・福祉・教育への予算が減らされてきた。災害が起きると、医療・福祉・教育へのアクセスが急増するにもかかわらず、そのキャパシティはすでに大きく減じているのが実状だ。
これらの背景には、自治体運営のコストを減らさなければならないからということが理由にされるが、では公務員を減らし、医療・福祉・教育の予算を減らした結果生じるカネはどこにまわされるのか。簡単なことだ。企業への補助金に化け、また土木工事などに費消されるのだ。
階級性ということばはあまり一般的なことばでなくなったが、基本的には自然災害だって階級性があるのだから、あらゆる現象に階級性が貫かれているといってもよい。
資本主義社会とは、そういう社会なのだ。とくに新自由主義が資本主義世界を席巻してから、その階級性が徹底化されてきている。
つまり階級性とは、富める者はさらに富を増やし。そうでない者はさらに貧しくなるということなのだ。