大正期や昭和前期の新聞を繰っていくと、渡日してきた朝鮮人の記事をたくさんみつけることができる。その多くは、朝鮮人労働者への差別事件、朝鮮人がいかに低賃金で働かされているか、日本人労働者との乱闘事件などなど。
それらのことが報じられる現場は、道路建設工事などの諸工事、鉱山、繊維産業などである。それらを地図に落としていくと、県内各地の様々な現場で朝鮮人が働いていたことを示している。日本のインフラ建設や労働現場が、いかに朝鮮人労働者に依存していたかが示されている。
さて、戦時期を除いては、かれら朝鮮人労働者は、日本の植民地支配の影響下に出稼ぎに来ざるをえなかった人びとである。その点では、やむをえずの渡日であるけれども、自主的に来たといってもよいだろうと思う。ただし、日本帝国政府は、朝鮮人渡日に関しては、自由に来させたわけではない。日本国内の労働力の需給状態に応じて過剰の場合は渡日を制限したりしてきた。
しかし戦時期に渡日してきた場合は、まったく異なる。日本の男性が兵士としてアジア太平洋各地にでていったことから絶対的に労働力が不足した。日本帝国政府はその不足を補うために、朝鮮人を国内の基幹的な労働力としてつかうために、朝鮮人の自由な渡日ではなく、強制的に連れてこようとした。その方法は募集、官斡旋、徴用という、ある種の法的な外皮を伴って行われた。しかしそれらは、私が現地や日本で調べたところ、実質的な強制であった。したがって、戦時期の朝鮮人が労働力として日本に動員されたことを、強制連行といっても史実を否定することにはならない。
私自身は論文その他で強制連行をつかわない。というのも法的な外皮があったことを重視して労務動員とするが、しかしそこには必ず強制的なという形容詞をつける。つけないと史実にはあわない。強制連行という語句をつかうか、それとも私のように強制的な労務動員とするかは大きな問題ではなく、双方ともそこに重大な強制性があったことを前提としているのである。
さて、群馬県の公園に、戦時下の強制労働の結果亡くなられた方々を追悼する碑があり、今それが撤去されようとしている。追悼集会で参加者が「強制連行」ということばを発したことが「政治的」であったとして、それを根拠に、群馬県も、裁判所も一致して「政治的」な言動があったとするのである。
しかし、先にも記したように、実態として、戦時下の朝鮮人の労務動員は、強制連行であったことは事実である。事実を事実として発言したことによって、その碑が強制的に撤去されるというのは、史実に対する公権力の介入であり、史実の否定につながる。裁判所がそれにお墨付けを与えたこと自体も、私にとっては驚きであったが、さらに群馬県がその碑を強制的に撤去するというのも驚きである。
こういう理不尽なことを少数のネトウヨと公権力がタッグを組んで行うということに歯止めがかからない事態を私はたいへん憂えている。
【追記】碑は、1月29日に強制的に撤去されるという。ネトウヨが騒ぎ、それを自由民主党という金権政党がうけ、その結果日韓友好をうたった碑が破壊されるのだ。ハンギョレ新聞記事がその経緯を記している。