身近な人が旅だった。
1月13日、私は急を知って車で高速道路を走った。途中、にわか雨(雪)に遭いながらであったが、途中、虹を見た。大空に虹の橋がかかっていた。
その日の夜、彼は旅だった。
彼は創造的な仕事に関わり、数々の映像作品を残した。しかし病魔が彼を襲い、彼の自由を奪っていった。しかし不自由な身体を愛おしみながら、できうるかぎり自立した生活を試みていた。
彼の腎臓は、すでに旅だった人からいただいたものであった。大切な、大切な腎臓をいただいたから、彼はその腎臓をできる限り生かそうとした。それは責務だと、彼は思っていた。自分自身が生きつづけることは、かつて腎臓をもっていて旅だっていった人と共に生きることだと思っていた。生きること、できる限り生きつづけること、それが責務だと思っていた。
しかし13日、彼はその責務から解放された。彼も旅立っていった。
この世に残された者たちは、別れを告げ、涙を流す。柳宗悦の「死とその悲みに就て」に書かれている、「死にし人々にとっては、残る人々から贈られる涙が、どんなにか嬉しいであろう。」に励まされ、涙を贈る。涙だけではなく、感謝をも。
柳宗悦はこうも書いている。私はそれを信じるしかない。
死に旅する者は帰り路を持たぬと云われるかもしれぬ。そうして凡ての者は帰る事なき此旅に出で行くと云われる。だがそれは只此現し世に帰らぬと云う事に過ぎぬ。此世に於ける生活の他何処にもまことの生活がないと誰が云い切るのであるか。私達は此死への旅を次の様に云い改めねばならぬ。それは帰る事なき旅ではなくして、その旅が帰りの旅であると。人は此世が吾々の故郷であると思うかもしれぬ。併しそうではなくして、此世こそ旅の家にすぎぬであろう。吾々は往く旅に在るのではなくして帰る旅に在るのである。