灰色の東京を見下して、最も心づよく眼にうつるものは、緑の立木である。上野公園、芝公園、日比谷公園、山王の森、愛宕山、宮城などを見渡すとき、これ等の森の木が、どんなに猛火と戦ったかを、今更のように感ぜずにはいられない。それにつけても、新しく造られる大東京は、緑の都市でなくてはならない。
清水公園を宅地に開放したり、弁慶橋を撤廃して堀を埋めて住宅を造るという議があったが、そんなにまで人間が、自然の風光を無視して、利殖のために、たださえ住みにくい東京をもっと狭苦しく趣きのないものにしようとした俗吏達も、いまは思い知ったであろう。
上の文は、1923年の関東大震災を体験した竹久夢二が書いたものだ。首都直下地震の可能性も云々されるとき、東京都や巨大企業は、原宿周辺の緑を奪い、また日比谷公園をなきものにしようとしている。
巨大企業の利殖活動に全面的に協力している俗吏たちは、公共性をかなぐり捨てて、歴史の教訓を学ぼうともしないで、「開発」という破壊に狂奔している。
いいかげんにしろ!と言いたい!