2004年に出版された本である。この年、静岡県立美術館で香月泰男の展覧会が開催され、私も見に行った。そのときの強烈な印象を理解しようとして購入したのがこの本である。そのときも読んで、書庫にしまってあった。今年、某所で「戦争と画家」をテーマとして歴史講座を行うことにした。そこでは、香月泰男と浜田知明の二人を主に取り上げようと思い、その一環でこの本を再読した。
香月の絵で有名なのは、「シベリア・シリーズ」である。香月は「満洲」に動員され、敗戦によりシベリアに抑留され、強烈な寒気のなか過酷な労働を強制された。そのため、戦友の多くが命を落とした。
その体験が脳裡から離れることはなく、彼はそれを絵にしていった。下絵は具象的ではあるが、完成した絵は抽象化され、普遍化された。
その絵をみつめる人に、それらの絵は「難解」なものとなった。そこで香月は、それぞれの絵に文をつけた。
たとえば「〈私の〉地球」という絵。そこにはこう書かれている。
周囲の山の彼方に五つの方位がある。ホロンバイル、シベリヤ、インパール、ガダルカナル、そしてサンフランシスコ。いままわしい戦争にまつわる地名に囲まれた山陰の小さな町。生家があり、今も絵を描き続けている「三隅」。それが私の地球である。
これだけではわかりにくい。彼が「私のシベリヤ」に書いたものを紹介しよう。
私たちをガダルカナルにシベリヤに追いやり、殺しあうことを命じ、死ぬことを命じた連中が、サンフランシスコにいって、悪うございましたと頭を下げてきた。もちろん講和全権団がそのまま戦争指導者だったというわけではない。しかし私には、人こそ変れ同じような連中に思える。指導者という者を一切信用しない。人間が人間に対して殺し合いを命じるような組織の上に立つ人間を断じて認めない。戦争を認める人間を私は許さない。
講和条約が結ばれたこと自体に文句をつけるつもりはない。しかし、私はなんとも割り切れない気持ちを覚える。すると我々の戦いは間違いだったのか。間違いだったことに命を賭けさせられたのか。指導者の誤りによって我々が死の苦しみを受け、今度は別の指導者が現れて、いちはやくあれは間違いでしたと謝りにいく。この仕組みが納得できない。どこか私の知らないところで講和が決められ、私の知らない指導者という人たちがそれを結びにいく。いつのまにか私が戦場に引きずり出されていったのと同じような気がする。この仕組みがつづく限り、いつ同じことが起こらないと保証できよう。
香月の絵には、戦争批判がある。みずからのシベリア体験、戦場体験をもとにした戦争批判が、こめられている。
香月の絵、とりわけシベリヤ・シリーズは、今だからこそ、見つめる価値がある。そう思うから、私も香月泰男の絵をとりあげる。
私