浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2024-01-04 20:49:26 | 

 山形県西置賜郡小国町に基督教独立学園高校がある。そこに桝本うめ子先生がいた。いたと過去形で書いたのは、先生は昇天されたからである。1992年のことであった。先生は、1892年生まれであるから一〇〇歳であった。

 そのうめ子先生から詳しく話しをきいて、先生の生涯をまとめた本が出版された。『桝本うめ子 神は愛なり』(読書日和、2023年)がそれである。今年の元日、この本が送られてきた。いただいた本を必ず読むことを信条としている私は、今日、早速読みはじめた。そして一気に読み終えてしまった。

 読後感は、とてもさわやかであった。さわやかな感動に包まれた。

 先生が書かれた

 うれしいな

 生きている

 本が読めて

 字が書けて

 うれしいな

 生きている

は、先生がどんな苦難に出遭おうとも、生きていることをうれしいと実感しながら生きてきたことを証している。

 先生は貿易商を営んでいる豊かな家庭に生まれた。先生の母はキリスト者であった。先生も幼児の頃に洗礼を受けた。

 戦前は今以上の格差社会であったから、描かれた先生の家庭は、まさに上層階級の一員であった。そして先生は、豊かな家庭出身の軍人と結婚した。彼は軍事研究をし、三菱でも研究を行っていたが、列車の転覆事故で亡くなった。

 その葬儀の際、先生は、葬儀をキリスト教で執り行うことを宣言した。夫君の家庭は日蓮宗であったため、夫の親戚からは激しい反対を受けたが、意志を貫いた。葬儀では、内村鑑三にも話してもらうほどであった。先生はその後、多くのキリスト者と交流し信仰を深めた。先生の生活は、夫が亡くなっても、豊かであった。

 戦後、キリスト者となっていた次男・忠雄は三菱をやめて農業の道に入り、筑波で開拓に励んだ。先生は、次男と共に生活することを決意し、筑波へ。しかしその生活は、今までと異なり、食べるものもない貧しい生活であった。

 そこへ基督教独立学園の校長であった鈴木弼美が訪ねてきて、独立学園に来て欲しいと言いに来る。鈴木は東京大学の教員で、忠雄の家庭教師であった。

 先生一家は、独立学園に移る。給与もない自給自足の生活であった。先生はそのあまりに貧相な校舎をみて驚くが、鈴木に依頼されて子どもたちに書道を教えることになる。そして先生と次男一家は、独立学園とともに生きていく。

 東京にいて豊かな生活をしていた先生が、戦後、それとはまったく逆の、筑波での開拓、独立学園での生活、いずれも経済的には豊かさのかけらもない生活に入ったのだ。しかし先生はそういう生活でも「我慢する」のではなく、その生活を受容し、できるだけのことをして生きた。

 その生き方をみていくと、そこには感謝と信頼があった。先生のまわりにいる人びとへの感謝と信頼。そして謙虚さ。それらの源流をたどると、そこにはキリスト教があった。感謝と信頼、謙虚、それらを結びつけるものは神への信仰であり、愛であった。

 神への信仰が人びとへの信頼につながり、神への感謝がまわりの人びとへの感謝となり、神のしもべとしての自覚が謙虚さとなる。

 私は信仰を持たないが、今までも、キリスト者のなかに人格的に高潔な人を発見してきた。当然、先生をはじめとした独立学園に関わる人びとも、そのなかに入る。独立学園に関わる人びとと共に生きるなかで、「うれしいな 生きている」という感慨をもつことができるなんて、何と素晴らしいことか!!

 近年、私は、他者と交わる中でストレスを感じることが多くなり、できるだけ他者との関わりをもたないようにしようとしてきた(図々しい人間がいるのだ!)。

 しかし、先生の「うれしいな 生きている」ということばを敷衍すれば、「〇〇がいて うれしいな 生きている」ということにもなるだろう。

 「うれしいな 生きている」と生きてきた先生は、そのまま昇天された。

 この本は、人間讃歌であり、人びとのそれぞれの生き方に大いなる示唆を与えるものだ。

 うめ子先生のことば。

自分を愛してない人はいないでしょう。人は皆、自分を愛しています。その愛を、誰にでもあげなくてはいけません。それが、なかなかできないものなのです。私は歳をとってきて、このごろはだんだんと自分を愛するように、だれをも皆愛さなければならないという思いが深まってきました。いろいろ考えて、自分でマルコ伝の「自分を愛するように、あなたの隣人をも愛せよ」と書いて掛け軸にし、自分の部屋にかけて毎日それを見てはお祈りしています。(182~3)

 

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年賀状の整理

2024-01-04 08:29:21 | その他

 今まで年賀状の挨拶を交わしてきた人から、「来年からは年賀状の挨拶をやめる」という趣旨の年賀状が毎年1通ほど来るようになった。お互い齢を重ねてきたからだ。私も徐々にそうしようと思い、今年からその旨を年賀状に書くようにした。

 その判断の基準は、まず毎年印刷されたものを送ってくる人で、一行も書き足していない年賀状である。書くこともないということだから、そういう人とは、もう縁を切ってもよいだろう。

 次に、自慢話を書いてくる人。その背後に「昨年私はこんなことをしました」というもので、その人の「こんなこと」については、私にとってはまったく関りがない。そういうことを書いてくるその人は、毎年そういうことを書いてきて、新年早々から自慢話かよ・・という気分である。今まで付き合ってきたが、もういいよ、というのが、私の判断である。こういう人には、ぜひセジウィックの『男同士の絆』、あるいは『100分で名著 フェミニズム』でも読んでほしい。ホモソーシャルな世界では、男同士の絆もあるが、その中では男性間の競争が行われていて、カネや権力、名誉や評判をめぐって争い、それぞれの男はその集団の中でより上位を占めようとする。「僕ってすごいでしょ」という内容の年賀状は、今までも不要であったが、これ以上はいらない。

 年賀状のつきあいも、取捨選択の時期が来たようだ。

 

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