浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

日常生活の破壊

2024-01-02 16:16:41 | 社会

 昨日の大規模地震による被災の状態が徐々に明らかになっている。映像を見れば見るほど、心が痛む。被災地の人びとの日常生活が根本から破壊されている。東日本大震災の際に見た映像と同じような破壊の姿が目に入ってくる。

 人びとにとって最大の願望は、日常生活を続けることである。しかし映像に映る状態を見れば、それが叶わないことを知る。

 20代後半の頃、金沢、そして能登半島を一周したことがあり、その頃のことがなぜか思い浮かんできた。金沢、輪島、和倉温泉に宿泊した。金沢では高層のホテルから見える人家の瓦屋根、室生犀星の「かはらには一面に水が鋭く走っていた」(故郷にて冬を送る)に、その通りだと思った記憶もある。輪島の旅館では、はじめてナマコを食べた。輪島の朝市にも行った。その場所が火事で燃えてしまった。海岸沿いの車で通ったところも、おそらく崩落していることだろう。

 その頃読んだ本(荻野恒一『過疎地帯の文化と狂気』)にこういう一節があった。

 能登はやさしや土までも。能登の人たちを讃美するこれほど美しいことばはない。このことばを聞いて、あるひとは、能登を訪ねたときの人びとの親切とやさしさを想い出すだろうし、またあるひとは、厳しい生活条件のなかで仏教王国を築いていった能登の人びとの深い信仰心に思いを致すかも知れない。

 日常生活を破壊された能登の人たちに、政府には、早く救助の手をさしのべてもらいたい。義援金の募集が始まったら、私もすぐに拠出するつもりである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被害は甚大

2024-01-02 11:17:18 | 社会

 北陸地方などの地震の被害は甚大である。被災者の方々の心痛を思うと、やりきれない気持ちだ。

 昨日購入した『関東大震災 文豪たちの証言』(中公文庫)を読んでいる。

 そのなかに、フランスの外交官・ポール・クローデルの「炎上する二都市を横断して」がある。

 そこには次のような記述があった。

 日本は地球上の他のどの地域よりも、津波、暴風雨、噴火、地震、火事、洪水といった、何らかの天変地異にひっきりなしに晒された絶えざる危険と不安の国なのだ。この国の大地は堅固さというものをまるで持っていない。石と砂、溶岩と灰といったまちまちの物質の一時的に堆積した層に沿った柔らかい沖積土からなっており、それらの物質は、亜熱帯植物の強靭な根によってつなぎ止められているにすぎない。(48ページ)

 その通りだと思う。そんな危険な大地に、危険な原発が林立している。

 最近思うことは、ほんとうに日本は劣化しているということだ。道路の白線がハゲているところが多い。横断歩道の白線も消えている。また舗装も悪くなっていて、車で走ると揺れが多くなっていてそういうところが増えているように思われる。

 そのようななかでも、道路はあらたにつくられている。

 基本的な生活を維持するという視点はなく、カネ儲けに繋がる新設だけにカネが投じられる。

 北陸地方や新潟県では、道路が破壊され寸断されている。復興の土木工事がおこなわれる。

 「天真爛漫」の首相は、こういう危ない大地の上に人びとが生きていることをしっかりと見つめるべきである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能登半島

2024-01-02 09:34:45 | 旅行

 大地震の被害に遭われた方々の苦難を思う。

 地震に見舞われた能登半島を車で周遊したのは、20代後半のことだった。それ以降、訪れたことはない。その際に購入した御陣乗太鼓の面は、今も玄関で訪問者を凝視している。

 その時に書いた文を掲載する。今も覚えているが、車で走りながら、人の姿をほとんど見かけることはなかった。そのある種の衝撃を書いたものだ。「過疎地帯ー奥能登」という表題で書いた。

 奥能登の冬は寒い。暗い。わびしい。日本海から吹き寄せる潮風が、山裾の草木を枯らし、荒涼たる姿を現出させる。そしてどんよりとした厚い雲の下で冬の海が荒れる。 

 ほとんど人影は見えない。時おり道のすみを手ぬぐいをかぶった老婆が腰を斜めに曲げながら歩いている。それ以外の人には会わない。人家はあった。車もあった。しかし人はいない。コンクリート・ミキサー車が自らの巨体をゆっくりとまわしていた。しかし人はいない。見捨てられた家、そして車。

 大通りを車がひっきりなしに行き来し、たくさんの人がうごめきあっている「大都市」の生活に慣れた人の目に、奥能登は異様に、あたかもゴーストタウンのように映る。

 過疎。このことばが奥能登を象徴する。全国の山間僻地の状況がここにもある。若者たちは都市に出て行く。部落の男たちも農閑期には「出稼ぎ」に行く。厳しい冬の中、残された人びとは孤立に耐える。そのように生きてきたし、また生きねばならない。

 過疎―これは単に人口の減少ではない。現代に特徴的な極めて深刻な社会現象なのだ。過疎は、「人口減少のために一定の生活水準の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難になって、地域の生産機能が著しく低下し、こうして人口密度が低下し、さらに年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難になった状態」と、経済審議会地域部会の中間報告は定義する。しかし、過疎は進行する。過疎が過疎を呼ぶ。なぜ?

 冬が過ぎ、雪が溶けると奥能登に若者が来る。都会の若者たちだ。奥能登の人々は忙しくなる。だが、奥能登から出て行った若者は帰ってこない。仕方がない、と奥能登の人々は考えるのだろうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天真爛漫」と共感力

2024-01-02 09:34:45 | 政治

 能登半島を中心とした地域の大地震の被害が少しずつ報じられるようになった。1月1日という日にこのような大地震が起き、被災された方々の絶望は大きいだろう。心から同情し、早く地震がおさまり復興へと進んで行くことを願う。

 「天真爛漫」を座右の銘としているこの国の首相は、おそらく庶民への共感力は欠如しているだろうから、北陸地方の被災者のことを考えることもないだろう。この国は、ほんとうに不幸だ。ろくでもない、ズルばかりする者どもが政治の舵を取っているのだから。

 日本列島は、地震の巣が各所にある。明日はわが身である。大地震がいつ襲来するか、いつも気にして生きていかなければならない。

 「天真爛漫」のこの国の首相は、そんなことを考えることもなく、「オレが首相だ、ワハッハ」とばかりに生きていることだろう。

 他者の苦しみを自らの苦しみとする共苦、そこから何とかしなければ・・・と思うのだろうが、「天真爛漫」の首相は、共感する力を当初から持ち合わせていないようで、「天真爛漫」に生きているのだろう。

 昨日注文していた『関東大震災 文豪たちの証言』(中公文庫)が届いた。昨年は、関東大震災100年、関東大震災を忘却してはいけない。今年も、関東大震災に関わって起きた事件を考えていきたい。そのために、購入した。

 萩原朔太郎の「近日所感」が掲載されていた。

 朝鮮人あまた殺され 

 その血百里の間に連なれり

 われ怒りて視る、何の惨虐ぞ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする