昨日の大規模地震による被災の状態が徐々に明らかになっている。映像を見れば見るほど、心が痛む。被災地の人びとの日常生活が根本から破壊されている。東日本大震災の際に見た映像と同じような破壊の姿が目に入ってくる。
人びとにとって最大の願望は、日常生活を続けることである。しかし映像に映る状態を見れば、それが叶わないことを知る。
20代後半の頃、金沢、そして能登半島を一周したことがあり、その頃のことがなぜか思い浮かんできた。金沢、輪島、和倉温泉に宿泊した。金沢では高層のホテルから見える人家の瓦屋根、室生犀星の「かはらには一面に水が鋭く走っていた」(故郷にて冬を送る)に、その通りだと思った記憶もある。輪島の旅館では、はじめてナマコを食べた。輪島の朝市にも行った。その場所が火事で燃えてしまった。海岸沿いの車で通ったところも、おそらく崩落していることだろう。
その頃読んだ本(荻野恒一『過疎地帯の文化と狂気』)にこういう一節があった。
能登はやさしや土までも。能登の人たちを讃美するこれほど美しいことばはない。このことばを聞いて、あるひとは、能登を訪ねたときの人びとの親切とやさしさを想い出すだろうし、またあるひとは、厳しい生活条件のなかで仏教王国を築いていった能登の人びとの深い信仰心に思いを致すかも知れない。
日常生活を破壊された能登の人たちに、政府には、早く救助の手をさしのべてもらいたい。義援金の募集が始まったら、私もすぐに拠出するつもりである。