浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

本を買う

2022-05-17 19:48:55 | 

 6月に天皇制についての講座があるので、その準備をしなければならないのだが、読まなければと思った本が次々と到着してきている。それ以外にも送っていただいた本もあり、たいへんである。

 今日届いたのは『現代思想』の「ウクライナから問う」である。ずっしりと重い。内容も重いのだろう。池田嘉郎と塩川伸明との対談から読みはじめた。最初の「現在のロシア・ウクライナ戦争を考えるには、歴史的に長い視野をもった議論が必要です」という池田の主張に同意する。ロシアのウクライナ侵攻には、当然歴史的・空間的な理由背景があるはずだからである。私もそれを理解したい。なぜロシアはこんなバカなことを始めたのか、と。

 そのためには、歴史は勿論だが、社会主義という名の下にあった国家権力のあり方についても考えなければならないと思っている。社会主義権力には、重大な瑕疵があったのではないか、と。社会主義国と称した国家(社会)に、あまりに大きな問題が横たわっているからだ。もちろん、日本始め資本主義国のどうしようもない状況もあるが、「理想」としてあった社会主義の「権力」が、「理想」とは裏腹の結果になったのはなぜか、と。

 ロシアのウクライナ侵攻については、きちんと勉強しなければならないと思っている。

 私は書店ではなく、通販で主に本を買っているので、最近到着したものは、河原仁志『沖縄50年の憂鬱』(光文社新書)、川上高志『検証 政治改革』(岩波新書)。注文してあるのが、加藤陽子他『学問と政治』(岩波新書)、山崎雅弘『未完の敗戦』(集英社新書)である。

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昨日の『東京新聞』

2022-05-17 19:23:28 | メディア

 一日遅れの『東京新聞』。驚く内容、ほとんどが沖縄の記事で埋め尽くされる。15日も多かったけれども、16日はもっと多い気がした。

 一面トップは「平和の島 達成されず」。二面の「核心」は「沖縄復帰50年 増える負担、経済格差もなお 「基地なき島」道筋なく」、社会面は2面を使って「「命どぅ宝」私たち日本の課題」「痛む沖縄 あの日と同じ涙雨」、「こちら特報部」は「沖縄の激情 脈々と息づく東京の街角にて」、そして『琉球新報』『沖縄タイムス』の編集局長の文を並べ、社説では「「うちなー世」はまだか」

 スゴイの一言。

 ジャーナリズムはこうでなければならない。『東京新聞』を一日遅れでも、購読していてよかったと思った。

 私のススメで、静岡市と島田市の友人が購読している。

 これくらい一挙に報じなければ、沖縄の問題は日本本土の人びとの認識にはならないだろう。

 ちなみに、2面には、プーチンと未来をみつめていたアベしんぞーの最近の発言についてもちろん批判的に書いている。だいたいプーチンにだまされて多額のカネを巻き上げられた輩をなぜメディアはいまだに発言させているのかと思う。

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『差別の歴史を考える連続講座 講演録』

2022-05-17 15:17:06 | 社会

 今日、京都部落問題研究資料センターから、『差別の歴史を考える連続講座 講演録』が届いた。2021年度の版である。

 同センターは毎年連続講座を開催し、その内容を本として刊行している。内容は、差別に関わる諸々のことである。被差別部落、朝鮮人、貧困者、外国人、女性、障害者、ハンセン病患者・・・・・・に対して差別行為が行われてきた。差別はなくならない。

 差別意識は日常のなかに出現し、また消え、また現れる。しかし、その差別意識が社会の中にひろがっていき、社会的差別意識として「成長」していくものもある。とりわけ公権力が差別を容認し、促進するとき、差別は固定化し、人びとは差別の表出をためらうことをしなくなる。

 ここで私の差別論をこれ以上主張することはしないが、差別はあちこちに転がっていることだけは確かである。

 さて本書の最初の講演録は、「戦後バラックと京都」(本岡拓哉)である。戦後、京都だけではなく、簡易的な住宅があちらこちらにつくられた。そこには貧しい人びとが集住した。そのバラックについて、どのような人が住んだのか、いつ頃誕生し、なくなったのか、そしてそこに住んでいた人々はどこへいったのか・・が書かれている。

 読んでいて、幼い頃のことを思い出した。私が小学生の頃は、まだまだ貧しかった。私には自宅があり、農地も少しあった。母子家庭ではあったが、母は公務員であったから、ふつうの生活はできていた。

 しかしそうではない家庭もあった。寺の隣にお堂があった。窓もなく暗い一部屋に一家が住んでいた。お堂という寺の施設であるから台所もトイレもない。お堂の前に、簡易的な台所やトイレがあった。同じ歳の子どもがいたので、いつも一緒に遊んでいたし、そういう家だからということで特段差別することもなかった。中学生になってその子とは遊ばなくなった。そしていつのまにかその一家はどこかへ引っ越していった。

 私の住むところから東の方には小さな川があった。その川の東を「川東」といっていたが、そこには小さな長屋が並んでいた。バラックというイメージの長屋であった。私が住む「川西」は昔からの農家が並んでいるところであった。あるときその川で魚とりをしていたら、母がやってきた。そしてすぐにやめさせられて帰宅、裸にされて全身を洗われた。「こんな汚い川で遊んではいけない」というようなことを言われた記憶がある。

 しかし今、そこは狭い家が多いけれども、新しい家がたっている。昔からの住人がいるかどうかは知らない。

 バラックというと都市というイメージを持つが、高度経済成長の前の時代には、バラックのようなところがあちこちにあったと思う。天竜川の堤防下には、「朝鮮人部落」もあった。

 小学校の低学年のときには、水道ではなく井戸であったし、ズボンや靴下もつぎを当ててはいていた。

 貧しい時代であった。この文を読みながら、その時代を思い出した。

 

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「戦争とメディア」

2022-05-16 20:55:42 | メディア

 5月14日に開催された「戦争とメディア」というシンポジウムを、ユーチューブで見た。現状に対する意識と学知とがうまい具合にフィットして、とても参考になった。

 加藤陽子さんがスライドで、「学問としての歴史は、戦争のプロパガンダに対抗するものとして始まった」(ティモシー・スナイダー『自由なき世界』慶應義塾大学出版会)ということばを引用していたが、歴史を学ぶ者として、そのスタートをしっかりと胸に刻んでおかなければならないと思った。

 青木理さんは、戦争とメディアはとても相性が良い、戦争が始まったら政府とメディアは自動機械のように動いていく、といっていた。「戦時という時になったらもう遅い」ということばもしっかりと心しておこうと思った。

 シンポでは、水島朝穂さんが大活躍していた。5月3日に静岡市で彼の講演が行われたが、参加した人からとてもよかったという感想を聞いた。おそらくこのシンポで話していたことを話していたのだろう。情熱と学知とが相まって、とても説得力のある議論がなされていた。

 ロシアによるウクライナ侵略についての背景も彼から説明がなされた。私もそうした事実を掴んではいるが、ロシア=プーチン政権の悪事を明確にしなければならないと思い、今ゼレンスキー政権やバイデンを批判しても・・・という思いから書かないでいる。

 停戦が実現したら、そうしたことも書いていきたいと思う。

 また、すでにアメリカの軍需産業が大儲けをしていることはこのブログでも指摘した。

 コロナではアメリカの製薬会社が大儲けをしているし、ウクライナ侵略ではアメリカの軍需産業が大儲けをしている。こういう構造はなくならない、悲しいことだ。

 人間は歴史から学ばない、だからこそ歴史をもっと語らなければならないと思った。

 このシンポ、見る価値はあるので、ぜひ見て欲しい。第二部が見られなかったことが残念だ。

 

 

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「戦争とメディア」というシンポジウム

2022-05-16 18:55:28 | メディア

 これは見るべき、長いけど。

戦争とメディア~21世紀の世界と日本国憲法~

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行政の怠慢、無責任

2022-05-15 11:11:49 | 政治

 行政が怠慢で無責任だから、公務員に対する攻撃があるのだ。公務員はみずからの職責を、波風が立っても果たすという気概が求められている。

盛り土、県・市対応は「失敗」 静岡・熱海の土石流で第三者委

国交省、監査で改善不備見抜けず 知床観光船沈没、実態確認強化へ

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沖縄「返還」50年

2022-05-15 11:01:34 | 沖縄

 5月15日、福島みずほさんは沖縄に向かうと言っていた。今年の5月15日は、沖縄の施政権が日本に返還されて50年となる。

 沖縄は、本土からの侵略に苦しめられてきた歴史をもつ。

 沖縄は琉球王国として独立した国家としてあり、長い間、東アジア、東南アジアの交易の結節点の位置にあった。交易の結節点であるということは、平和の結節点でもあったということだ。琉球王国は非武装の国家であったという。

 しかし、近世初期、薩摩藩が武力侵攻して琉球王国を服属させた。それ以降、薩摩藩は琉球の富を収奪してきたが、琉球は東アジア諸国の慣例の通り、中国の王朝と朝貢関係にあった。薩摩藩の下にあった琉球王国は、中国王朝とも関係を維持し続けた。

 近代になって、維新政府は、琉球を完全に支配下に置くために、1872年琉球を「琉球藩」とし、さらに1879年、維新政府は軍隊や警察を派遣して武力を背景に強引に琉球王国を廃して沖縄県を設置した。琉球処分である。これにより、沖縄は「内国植民地」となった。沖縄の人びとは、大日本帝国内で差別的な位置に置かれた。 

 そして沖縄戦。沖縄は本土防衛体勢を整備するための時間稼ぎとされた。できるだけ長く米軍を引きつけておくために持久戦が命じられ、兵士はもちろん住民も多数が犠牲となった。1945年6月23日、日本軍の組織的抵抗が終わり、米軍占領が始まった。住民は収容所に入れられ、そこから解放された後に自宅があったところに行ってみれば、そこは鉄条網に囲まれた米軍基地となっていた。しかたなく、基地の周辺に人びとは住み始めた。

 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は形だけではあるが占領状態を一応終えることになった。しかしそのとき、沖縄は米軍占領が続けられることになった。それ以前に、昭和天皇は沖縄を米軍が占領し続けることをアメリカに希望していて、それが現実となったのである。

 民主主義もなく、人権も保障されない占領状態は続いた。本土は日本国憲法が施行され、一定の民主的な制度ができたのに、沖縄は軍政のままであった。

 沖縄の住民は、人権や民主主義を求めて闘い続けた。その代表的な人物が瀬長亀次郎であった。沖縄人民党のリーダーであった瀬長は、占領軍と互角に闘った。そして住民たちは「本土復帰」を求めて運動を行った。

 それが実現したのは、1972年5月15日。今から50年前であった。しかしそれは、沖縄の本土復帰ではなく、本土の沖縄化であった。それが明確となった。

 米軍は、日本の領土を自由に使うことができる。日本の空は米軍機が自由に飛び交い、それ以外の航空機は米軍によって制限された空域しか飛べないという、植民地的状況が続いている。

 日本の対米従属は、「隷属」とまでいわれるようになった。

 そして米中の対立的構造のなか、「台湾危機」が叫ばれるようになった。それは、沖縄などの自衛隊の新基地建設・配備となって現れている。アメリカに隷属する日本は、自衛隊を米軍の戦略にそって配備し、軍備強化を叫ぶようになった。

 日本の外交に自主性はなく、日本はアメリカの言うがままに中国との対立構造に組み込まれていく。

 しかし、中国と台湾の問題は中国の内政問題であり、「現状維持」こそがもっとも妥当な状態なのである。この問題については書いたことがあるので参照して欲しい。

 1945年の敗戦のなかで、わが国は「非戦」の誓いを立てたはずである。戦争をしないことを国是としたのである。それは戦後の世界において、日本がもつ意味でもあった。ロシア軍のウクライナ侵攻が行われている今こそ、日本は戦争をしないという決意を世界にアピールするべきなのである。

 それこそが世界の明日を創っていくのだ。 

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大宅壮一ノンフィクション賞

2022-05-14 21:20:20 | 社会

 今回の大宅壮一ノンフィクション賞に、樋田毅さんの『彼は早稲田で死んだ』が受賞したそうだ。おめでとう、である。

 かつての早稲田大学、とりわけ文学部キャンパスは、革マル派によって暴力支配がなされていた。その下で、川口大三郎くんが殺された。それを契機に、暴力支配に怒りを抱いていた多くの学生が革マル派糾弾、早稲田を革マル派から取り戻そうという闘いに参加した。樋田さんもその渦中に入り込み闘ったが、暴力支配を復活させた革マル派により暴力を受け、キャンパスに入れなくなった。それらに関わることを、70歳近くになってふり返り、暴力の張本人にも会って話を聞いた、それらのことが書かれた本である。この本については、何度か言及している。 私もその闘いに参加したひとりでもあるからだ。

 革マル派の正式名称は、革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革共同革マル派)の下にある、マルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派(マル学同革マル派)という。彼らは、「革命的」ということばが好きなのだ。

 学生時代、各党派を眺めていたが、そのうち革マル派がもっとも組織至上主義であった。彼らは反帝国主義、反スターリン主義を唱えていたが、彼らこそもっともスターリン主義ではないかと思っていた。

 この本が受賞することにより、革マル派という組織がいかに暴力的であったか広く知られることになる。それはよいことだ。勢力はかなり小さくなっているだろうが、今もその流れの組織や人が運動のなかに入り込んでいるからである。

【追記】 『彼は早稲田で死んだ』が、代島治彦さんによって映画化されるようだ。

 

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人間を維持すること

2022-05-14 16:56:09 | 歴史

 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ の『戦争は女の顔をしていない』を読んだとき、ロシア軍は大日本帝国の軍隊とよく似ていると思った。大日本帝国の軍隊は、上意下達の組織で、上官の命令は天皇の命令だと思え、と、いかなる理不尽な命令でも従うことを義務づけられた。ロシア軍も同じ軍人精神をたたき込まれるようだ。

 また日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」と、捕虜になるくらいなら死ねと命じられた。捕虜になることは不名誉のことで、軍隊では差別され排斥された。ロシア軍もそうした特徴をもつ。

 兵士は使い捨てなのだ。今回も、ロシア軍兵士は使い捨てられている。ロシアの「兵士の母の会」の記事があった。

 人権後進国における軍隊や兵士は、大日本帝国の軍隊、ロシア軍のようになる。

 そして残念なことに、そうした軍隊は戦時には残酷な行為に走る。

 兵士は平時にはふつうの息子であり、夫であり、兄・・・なのである。しかし戦時ともなると、残虐な行為をもできるようになってしまう。人間には、おそらく獣性があるのだろう。だからこそ、戦時という「非常事態」を現出させないようにしなければならない。平和を維持することは、人間の人間であることを維持することでもあるのだ。

 

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福島みずほさんのこと

2022-05-14 16:56:09 | 政治

 今日、福島みずほさんの講演を聴いた。福島さんはいつも元気で、チョコチョコとどこへでも足を伸ばし、的確な発言をする。どんなことでも、である。

 現在の政治には、解決されなければならない問題が山積みである。少数政党の社会民主党の党首である福島さんは、そのような問題をほとんどすべて背負っているようにみえる。

 今日の話も、あらゆる問題について言及し、それに対してどう考えるのか、どうすべきなのか、数字を挙げてわかりやすく話されていた。

 明日は沖縄に行くとのこと。体はひとつである、健康に留意してもらいたいと思う。

 浜松市で上水道の民営化(コンセッション方式)問題が立ちあがったとき、それを阻止するために動いたが、その際、福島さんから資料を頂いたり、国会で質問をしていただいたりした。水道の民営化は、自民党・公明党政権の政策であるから、国政のレベルでも追及されなければならない。

 福島さんは、市民の動きに誠実に対応され、決して上から目線で接することはない。こういう人が政治家であり続けることが、多くの政治家がろくでもない輩が多いからこそ、必要なのである。

 

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新書

2022-05-14 12:47:01 | 日記

 歴史講座のテーマに関わる文献は購入するが、それ以外の本の購入は控えている。読む時間がないからだ。

 今日、久しぶりに新書を買った。岩波新書の『検証 政治改革』である。著者は川上高志。知らなかったが、共同通信の編集・論説委員だとのこと。共同通信は、斎藤茂男などりっぱなジャーナリストを輩出したところだが、共同の何とかという人がスカ政権の官邸に入ったりして、共同もダメになったと思っていた。川上が共同通信の社員であることを知っていたら買わなかった。

 この本、副題に「なぜ劣化を招いたのか」とある。小選挙区制を導入する政治改革は劣化を招くことは確実に予想されていた。しかし、政治学者やマスメディア、財界などがイケイケと推進した。小選挙区制に賛成しない奴は人間じゃないかのような攻勢がなされた。

 私はもちろん反対したが、社会党なども賛成し、結局現在のような「劣化」を招いた。こうなることはわかっていたのに。

 自民党や公明党などは、この選挙制度を変えることはしないだろう。これによっておいしい生活が保障されているからだ。

 今日来たばかりの本だが、時間をみつけて読んでみよう。

 

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議員の待遇

2022-05-13 08:41:17 | 政治

 衆議院議長の細田某が、月100万円しかもらえないと歎いたそうだ。何という特権意識。国会議員、地方議員、いずれも高い報酬を得ている。私は平均賃金並みにすべきだと思う。高額の報酬をもらっているので、特権意識が高じてくるのである。

 国会議員が一年間に得る金額は、1億5000万円だという。世界でもダントツに多い。

細田衆院議長「給与月100万円しか」発言の罰当たり…裏に透ける“特権意識”

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ロシアを衰退させる男

2022-05-13 08:41:17 | 国際

 ソ連は社会主義を名乗る国家であった。その社会主義は、一般の人びとが等し並みに貧しい暮らしをし、少数の政治家や官僚などのエリート層が豪奢な生活をするという超格差社会であった。

 ソ連が崩壊したあとも、そのような政治社会は続いた。ゴルバチョフ、エリツィン、そしてプーチンとトップは変遷していったが、最後のプーチンが決定的にロシアという国号を悪名と化した。

 プーチンは権力を掌握し続けるために、ロシア人が住む複数の高層住宅に爆弾を仕掛けてそこに住む人びとを殺傷し、続けて爆破する予定であった建物で爆薬が発見されてしまったので、それは「砂糖」だったと言い訳をした。しかし爆破はチェチェン人がやったとして、チェチェンを攻撃し破壊した。

 プーチンは、権力を維持し続けるためには、どんなことでもやるという人物である。

 だから、プーチンにとって危険だと判断された人間は殺される。国外にいても、である。

 そんなプーチンにとっては、ウクライナの人びとが殺傷されたとしても、あるいはロシア兵が斃れても、平気なのである。

 ウクライナの人びとも、世界の多くの人びとも、まさかロシアは軍事侵攻しないだろうと思っていたが、その予想ははずれた。まさにロシア兵は、悪魔の手先となって蛮行を繰り広げている

 良心的な人びとが、停戦を求めているが、残念ながらそれは難しい。そもそも戦争を始めてしまったら、戦争はそう簡単には止まらないし、人びとに憎悪を喚起するから、憎悪が憎悪をつくりだして、戦争は自動機械のように動いていくからだ。さらに、戦争を起こしたのが、プーチンであること、これは決定的である。

 ロシア=プーチン政権がみずから侵略をやめるということはないだろう。ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻し国力を消尽して崩壊したように、ロシア=プーチン政権も同じプロセスを踏んでいくのではないかと思う。

 ロシア=プーチン政権を崩壊させることは、ロシアが軍隊を派遣しているシリア、アフリカなどを平和の途に進ませる絶好の機会となるはずだ。

 「帝国」としてのアメリカと同様に、ロシアという「帝国」も、この世界にはないほうがよい。

 

 

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焼津のカツオ窃盗事件

2022-05-12 23:51:46 | 社会

 焼津市の漁業協同組合など漁業関係者が、水揚げされたカツオを横流ししていた事件が明るみに出てから、その全容がなかなか見えてこない。少しずつ少しずつ捜査が進む中で真相が明らかになって逮捕者がでる

 漁協ぐるみの不正なので、関係者が口を割らないのだ。

 これでは焼津の悪名は消えないだろう。

 

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国際法のルールから見るべきである

2022-05-12 13:54:56 | 国際

 ロシアのウクライナ侵攻に関して雑多な言説が流布している。私は当初から、この事態を国際法の観点から評価すべきであることを書いてきた。しかし流されてくる情報を読むと、国際法の観点をまったく顧慮しない言説が多いことに気づく。

 日本評論社が発行している『法律時報』(2022年5月)の「法律時評」に岩月直樹立教大学教授が「ロシアによるウクライナ軍事侵攻」を書いている。読んでみて、まったく同意できる内容であった。

 すでに私は、この問題に関して国際法学者の松井芳郎名古屋大学名誉教授が記したものを読んでいるが、いずれも同様の見解である。いずれも、ロシアによるウクライナ侵略は、いっさいの正当性をもたない、ということであり、さらにいえば、とくに第2次世界大戦後の国際秩序に対する挑戦であること、は共通理解といえよう。

 岩月論文は、プーチンがウクライナ侵攻の理由として挙げた事項はいずれも否定されることを指摘する。

 まず「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」という東部ウクライナで「独立国」を装っている「両国」は、ロシアによる支援により活動する武装勢力であること、ロシア以外の国家から国家としての承認を得ていないことを指摘する。

 さらに「内戦下において、国家としての実態を備えていない反政府勢力による独立宣言に対し、他国がむやみに国家承認を行うことは「尚早の承認」と呼ばれ、それ自体で違法な干渉行為とされる」と指摘している。

 国家として承認されていない「両国」との「集団的自衛」を、ロシアはウクライナ侵攻の理由としているが、それを「認めることは難しい」。

 また東部ドンバス地方のロシア系住民に対する「ジェノサイド」が行われていると、ロシアは主張するが、国連人権高等弁務官事務所などからそのような事実は報告されていない。逆に、「両国」支配下においてこそ、国連人権高等弁務官事務所の活動が制限されていることが記されているほどだ。

Report on the Human Rights situation in Ukraine

 「ジェノサイド」を根拠に、ウクライナへのロシア軍の侵攻を正当化する言説が流布しているが、その根拠すら怪しいのである。ロシアがいう「ジェノサイド」について、ロシアですら「ジェノサイド条約が定めるものとは異なる」と言明しているほどだ。

 岩月教授は、

ロシア・プーチンの主張、「ロシア帝国の一部であったウクライナがソ連時代にロシアから切り離されたのは大きな過ちであり、そこへ西側諸国が手を伸ばすことによってロシアの安全が大きく脅かされている。ロシアから切り離されたウクライナが国家としての実体を備えたことはなく、西側諸国はその支援の下でウクライナを自らに都合のよい体制へと転換し、NATOをさらに東方へ拡大しようとしている。このようなウクライナからロシアに脅威が及ぼされ続ける限り、ロシアは安心できず、発展することも、存在することもできない」、を例示し、それは「19世紀流の「国の自己保存」の訴えそのものである。国際社会は19世紀末から現在にいたるまでに、戦争違法化、主権平等、武力行使禁止、国際紛争平和的解決、集団的安全保障、人権の国際的保護、強行規範の存在の承認を初めとして共通利益に基礎づけられた国際法と国際秩序を発展させ、築き上げてきた。演説に見られる「自己保存」の主張はそれらを放擲し、正当因が存在すると自らが判断した場合には戦争に訴えることを国に認めていた伝統的国際法の時代に引き戻そうとするものである。」と指弾する。

 ロシアの「国の自己保存」に基づく軍事侵略は、「絶対的に認められない」ことであることを確認していかなければならない、のである。

 ロシアが行ったことは、絶対的な悪である、と私は考える。ウクライナのゼレンスキー政権に問題や瑕疵があったとしても、軍事侵攻したロシアは絶対的に悪なのである。即時ロシアは撤退し、ウクライナに謝罪・賠償・補償し、当然国連の常任理事国から降り(その資格はすでにない)、世界に謝罪しなければいけない。そして世界は、ロシアの蛮行を国際法の条規にしたがって裁かなければならない。

 営々と築き上げられてきた平和を維持する国際法の原則を、ロシアの蛮行によって崩してはならないのだ。

 

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