浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

日本の選挙制度

2023-04-20 06:29:30 | 政治

 『日刊ゲンダイ』の記事を読んで、思い当たった。日本の選挙制度は、いわゆる「名望家」しか立候補できないような、つまり戦前のことばでいえば「無産政党」候補者が当選できないような仕組みになっていた。それが今も続いている。たとえば、選挙中は、空疎な宣伝カーからの立候補者の名前の連呼しかない。戸別訪問は禁止である。そういう選挙制度を、革新政党がなにも改善しようと思ってこなかったことも問題だと思う。自民党はカネがある政党だから、選挙制度がどうであろうと関係ないが、カネのないものは立候補できないシステム、そしてカネのないものは当選できないシステム、それが日本の選挙制度である。

 

岸田首相襲撃犯が日本の選挙制度に一石 立候補年齢と世界一高い供託金は戦後見直しナシ

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許せないことばかり

2023-04-19 07:44:52 | 社会

 昨日の『東京新聞』一面は、非正規公務員の雇止めの記事だ。人件費を節約して、そのカネを企業の立地などにまわすという政策が展開され始めたのはいつごろからだっただろう。浜松市の場合は、スズキのトップが市政に介入し始めたころだ。

 市の図書館業務、ごみ収集など公共的な仕事が次々と指定管理とかにだされ、また市の職員削減計画に沿って正規の公務員の雇用をやめ、業務をこなす人員が足りなくなり、非正規をたくさん雇用する。しかしそれも、給料は上がらず短期間の雇用だ。今や市の窓口は、非正規の方ばかりだ。

 正規の市職員は「基幹」公務員とされ、非正規の管理や企業への補助金をどう配分するか、市民の負担(受益者負担)をどう増やすかなどを企画する部署に配属され、それも長期にそこにいるのではなく、3年や5年で交代していく。正規の公務員は、「昇進」(「出世」)だけを夢見て、「上」ばかりを見つめ、市民には目もむけない。

 「公共」を担うべき公務員は、私企業の応援団となっている。不正を繰り返す私企業の経営方法こそが「良い」とされ、「公共」を担うという精神はかき消され、私企業の経営方式が導入され、トップダウンが強化される。また自治体も市民からの税金をみずからの給与と私企業への補助金へと転換し、市民サービスに対しては「有料化」や水道料金などの値上げを押し付ける。

 それが新自由主義的な社会だ。

 『東京新聞』記事の見出しは、「声上げられず「使い捨て」」である。使い捨てられるのは、非正規公務員だけではなく、市民自身がカネを出すだけの存在として「使い捨て」られているのだ。市民は、しかし、それに気づかない。

 

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2世、3世はクズが多い!!

2023-04-18 23:37:37 | 政治

 山口県民の政治に対する姿勢が問われている!

山口2区補選】世襲・岸信千世氏の「はじめてのせんきょ」が不評 支援者からは「想像以上のお坊ちゃま」

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今日は埼玉と東京へ

2023-04-18 23:37:37 | 社会

 今日は家庭の事情で、所沢と東京中野区へ。7時から23時過ぎまで自宅を離れていた。

 時代閉塞の時代に、少しでも光が見えないだろうか。

 山口県で補選がおこなわれている。山口2区、4区であるが、2区は立憲民主党系の有田芳生である。安倍の地元選挙区であったことから、安倍の後継とされる吉田某(日の丸ボーイと呼ばれるほど極右らしい)が圧倒的に勝利するといわれていたが、そうでもないようだ。

 山口県で自民党の2議席が失われたら、それは全国への光となりうる。期待したい。

「安倍王国」山口4区で異変 

 

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「再開発」?

2023-04-17 08:20:40 | 社会

 高円寺はごみごみしていて、雑多な人々が集まるところだ。学生時代、鷺ノ宮に住んでいて、時々阿佐ヶ谷経由で高円寺に行っていた。

 高円寺のような街はどこにもあった。しかし都市の再開発が行われると、大きな道路ができ、その周りには高いビルが建って、飲食店もできる。でも、その飲食店は再開発以前と比べると、値段は高くなる。

 どこの街も、道路が広くなり・・・再開発が行われている。

 浜松市も同じだ。浜松駅前は再開発され、広い道路ができた。その周辺に高層のマンションができたが、でも人々が生活している様子はない。たくさんの人が住んでいるはずだが、ゴーストタウンのようだ。

 周辺でも、道路が拡張され、車がスピードをあげて走るようになり、人々の姿は消えていく。子どもたちも、である。

 これらの再開発は、要するに一部の人たちの金もうけの手段になっている。道路をつくる、そのためにカネが投入される。高層のマンションができる、そのためにカネが投入され、それを購入するためにカネがつかわれる。カネ、カネ、カネの世界が次々とつくられ、人々はマンションの一室での生活となり、人々の交流の場としての街は消えていく。

 街並みが変わらないでいるというのは、精神安定の基礎である。しかし、街並みはどんどん変わる。何かに追い立てられているような人生となる。それは要するに、カネに追い立てられているということだ。

 こんなのイヤだね。

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『逍遥通信』第八号を読む

2023-04-16 21:27:10 | 

 札幌で刊行している『逍遥通信』、その八号、書き手には知った名前の人もいるが、ほとんどが知らない人だ。しかし、なかなか読ませる文が並んでいる。編集人の澤田展人が書いた「1970年のトリックスター」は、高校時代の友人であった田代成雅について書かれている。田代は別に有名人でも何でもない。もう亡くなられているが、しかし、その人の人生をたどるだけで、人間について考えさせる。田代は個性的な性格で、また個性的な生き方をした。別にその内面に迫るわけでないのに、その人生を描くだけで、人間というもの、生き方について考えさせる。

 小田島本有は「外岡秀俊論(三)」を書く。副題は「情報を集め、書く、そして疋田圭一郎の存在」である。このブログでは、朝日新聞社を批判するが、しかし朝日新聞記者にはよいひとがたくさんいたし、今もいる。私にとって、本多勝一は、若いころからずっと関心を持っていた人であり、彼の本はたくさん読んできた。私の文章は、本多の『日本語の作文技術』を基本にしている。ただ、斎藤美奈子さんがこの本を厳しく批評しているので、ほかによいものがあるのかもしれないと、今は思っている。

 外岡も文章読本みたいなものを書いているようだが、私は読んだことはない。『日本語の作文技術』で自足しているからである。

 外岡が尊敬している朝日の記者は、疋田圭一郎である。疋田については、本多も激賞している。疋田は新聞記者の鏡といった存在であった。文章も、文のキレも、また文を書くまなざしも、卓越していたようだ。私も昔は『朝日新聞』読者であったから、疋田の文はかなり読んでいるはずだ。

 いま調べているテーマがあるので、それに投入する時間の合間に、疋田を読もうと思っている。図書館から本多勝一の『疋田圭一郎という新聞記者がいた』(新樹社)を借り出して、今日一日で読み上げた。この本で知ったこと、ひとつは疋田らがリクルートから饗応にあったという岩瀬達哉による誤報に対する疋田や本多の怒りを知った。またすでに廃刊となっているが、『噂の真相』という雑誌に対して本多が強い怒りを持ったことなどである。

 そのなかで、『噂の真相』が本多の素顔を載せたという。本多は、いつもかつらとサングラスを用いていた。いろいろ問題となるような記事をたくさん書いていた本多にとって、それはみずからを賊の攻撃から守るための手段であった。

 しかし私は彼の素顔を見たことがある。浜松市で『週刊金曜日』刊行の宣伝のために、筑紫哲也と本多勝一の講演会を企画したことがあった。講演のあとの懇親会で、本多は素顔を見せた。ふつうのおじさんであった。この顔ならあまりつけ狙われるようなことはないのではと思った。とはいえ、この講演会は、警察の警備を要請し、講演会場には多くの警察官がいた。本多をウヨクが狙っているという情報が流れてきて、警察に警護を依頼したからだ。これは当時の『週刊金曜日』の編集長であった和多田進の決断であった。

 本多も、そのときのことを書いている。『月刊あれころ』に、こう書いた。

 「・・・これ以後に体験した生々しい例は、浜松市での筑紫哲也氏と二人の講演会でしょう。私は知らなかったのですが、会場に到着したとき私服刑事が迎えて言いました。ー会場に刑事30人が来て警戒している。「一人一殺」を唱えているある暴力団極右の男が、本多を狙ってここに来るという情報があったからだ。その男の顔は分かっているので来たら密着するが、一応知って注意してほしい・・・。刑事はそう言いながら、私服でも刑事と分かる30人共通のあるサインを教えました。」(『疋田圭一郎という新聞記者がいた』166ページ)

 いずれにしても、朝日新聞社には名文家がいた。疋田圭一郎もその一人である。文章が上手になるには、名文家の文を読むことだ、という説を聞いたことがある。いまさら、と思いつつ、疋田の文を読んでみようと思っている。外岡らが編集した『新聞記者 疋田圭一郎とその仕事』(朝日新聞社)を図書館から借りだすつもりだ。

 『逍遥通信』を読んでいると、次々と知的関心が呼び覚まされる。

 今日読み終えた本は、本多の『疋田圭一郎という新聞記者がいた』である。脳が活性化しているようだ。

 

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マイナンバーカード、警察も検察も・・・・

2023-04-16 19:50:38 | 政治

 マイナンバーカードを全国民に持たせようと、統一教会党=自民党+創価学会=公明党政権は強引にそれを進めているが、他人がそれを持っていても、警察も検察もそれを見抜けないことが明らかになった。 

未成年を成人として逮捕・起訴 タイ国籍の少女がマイナンバーカードを所持し別人の名をかたる 捜査段階での「人定」でウソが判明せず

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劣化ウラン弾

2023-04-16 12:45:01 | 国際

 アメリカによるイラク侵攻時、アメリカはイラク攻撃で劣化ウラン弾を使用した。コトバンクには、こう記されている。

 弾芯に劣化ウランを使用した砲弾をいう。劣化ウランは、天然ウランを核燃料や核兵器に使用するために濃縮した後の残存物で、有毒な超硬金属である。劣化ウランの比重は約19で、鉄(約8)の2.5倍、鉛(約11)の1.7倍である。したがって、劣化ウランを弾頭として用いると、鉄や鉛よりも大きな運動エネルギーが得られ、有効射程が25%延びるとともに装甲車両貫通力が大きくなる。さらに、劣化ウランは圧力を加えると発火し、1132℃で燃焼する。目標に着弾し発火した劣化ウラン弾は溶解し、さらに鋭利化して貫通能力が高まる。(中略)

劣化ウランは毒性のある重金属で放射性物質でもある。劣化ウランの放射線量は天然ウランの約60%であるが、劣化ウラン(ウラン238)の半減期は45億年と長い。目標に着弾し燃焼すると酸化ウランとなって数百メートルの範囲に飛散する。湾岸戦争後、米兵の間に癌(がん)や免疫不全など「湾岸戦争症候群」とよばれる病気が発生し、ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボにおいても白血病の発生率や奇形児の発生率が高くなったという報告がある。

 その劣化ウラン弾が、イギリスからウクライナに供与されるというニュースがある。驚くべきことだ。攻撃により被害にあっているウクライナの人たちは、いずれ停止されるだろう戦闘を経て日常生活が回復しても、放射能汚染でさらに苦しむことになる。

 こうした非人道的な兵器(兵器はすべて非人道的だが)は、なくすべきである。劣化ウラン弾がウクライナの周辺で使用されることは、あってはならない。

 

 

 

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メディアの加担

2023-04-16 08:59:21 | メディア

 残念ながら、日本のメディアは、さまざまな「悪」に加担している。

 ジャニーズ事務所に所属する多くのタレントに対して、そのトップであったジャニー喜多川により性暴力が繰り広げられていたことを、その被害者がみずからの体験を外国特派員協会で明らかにした。

 芸能界にまったく関心を持たない私自身ですら、ジャニーズ事務所におけるその問題を知っていた。しかし、性暴力であるにもかかわらず、メディアは、『週刊文春』を除いてみて見ぬふりをしていた。今回、カウアン・オカモト氏が、みずからの被害体験を明らかにしたことから、やっと新聞は報じた。しかしテレビメディアは、NHKは数分報じたが、民放はまったく報じなかった。

 報じなかったということは、ジャニーズ事務所における犯罪を黙認した、見逃したということである。ということは、テレビメディアは、ジャニーズ事務所の犯罪に加担しているということでもある。

 本来、メディアは、「公共性」を旗印にして様々な特権を保持している。とりわけテレビメディアは、電波を独占しているのだ。

 しかしながら、はたしてテレビメディアは「公共性」の原則にたっているのであろうか。最近問題になっている「放送法」には、その第一条には「放送を公共の福祉に適合するように」という原則が示され、さらに第四条には、「公安及び善良な風俗を害しないこと。」と謳われている。

 ジャニーズ事務所における性暴力を報道しないことは、「善良な風俗を害」することにならないであろうか。

 テレビメディアは、こうした「公共性」については無視し、いかにスポンサーから気に入られ、多くのカネを稼ぐことができるのか、それを基本にして運営されている。したがって、ジャニーズ事務所のように犯罪とつながっていても、それはそれ、とにかく稼げればよいという運営をし、また政治権力ににらまれるよりも協調した方がトクということから、批判精神をずっと前からかなぐり捨てている。ジャニーズ事務所を批判的に報道するよりも、忖度した方が経営的にプラスだと考えているのだろう。

 先の統一地方選挙で、「維新」が躍進したといわれているが、躍進したところは関西のテレビが放映されているところだ。関西のテレビメディアは、「維新」と結託し、「吉本」と提携する方がカネが入るし、視聴者を喜ばせることができると踏んで、彼らをヨイショするだけではなく、頻繁にテレビに出演させ、「維新」の政治家を「有名人」に仕立てているのだ。

 IRといい、コロナでの死者がもっとも多い・・・という大阪の負の問題はとりあげず、「維新」をヨイショし続けるテレビメディア。

 これでも、テレビメディアを見続けますか、と私は問いたい。

 

 

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【映画】「善き人のためのソナタ」(ドイツ映画)

2023-04-15 18:57:12 | 社会

 アマゾンプライムでの映画である。2007年のもの。

 社会主義体制下の東ドイツ。ここでもスターリン体制が敷かれ、国家に反逆する者たちを掌握するために国家保安省(シュタージ)は、スパイ網を張る。

 劇作家のドライマンの挙動を監視するために、シュタージはドライマンの自宅に盗聴器をしかけ、24時間監視体制を構築する。シュタージのヴィースラー大尉は、国家に忠実であった。しかしドライマンとそこに集まる人々の会話を聞く中で、またドライマンが弾く「善き人のためのソナタ」を聴くことにより、ドライマンとその周りにいる人々に好感を抱くようになる。その結果、盗聴の報告書に虚偽を書くようになり、結局ドライマンたちの行動を助けることになる。

 1989年、東西ドイツの壁が崩れ、東ドイツの人々は、自分自身の監視記録をみることができるようになる。ドライマンに関する記録はたくさんあった。ドライマンはそれを読むことにより、なにゆえに自分が「安全」であったのかを知る。ヴィースラー大尉が「安全」をつくりだしていたのだ。

 ドライマンは、『善き人のためのソナタ』という本を書く。そしてその表紙に、ヴィースラー大尉のシュタージ内の暗号名への感謝を書く。

 東ドイツは社会主義体制のなかで「優等生」として扱われていたが、しかしそこもシュタージに見られるように、スターリン体制であった。自由がない、抑圧された国家社会。そうした状態から解放されたとき、人々は自由に動くことができるのだろうか。自由のなかで生きていないと、自由を謳歌することはできない。

 それは日本でも、である。学校教育は自由がなく、いまもって旧軍隊式の訓練が行われている。そうした学校に馴化された子どもたちは、自由な主体として存在できるのだろうか。

 ソ連を中心とした社会主義体制について、きちんと見つめることが必要だ。それなしに、ロシアによるウクライナ侵略、それに対するかつての社会主義世界体制下の国々の対応を理解することはできない。

 この映画、監視体制の担い手のこころのなかに、人間としての感情や正義感が生まれたことを表現している。ひとつの可能性を表しているといえるかもしれない。

 良い映画であった。

 

 

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島崎こま子のこと

2023-04-15 15:57:59 | 歴史

 『逍遥通信』第八号の目次をみていたら、「島崎藤村とその周辺」(北村厳)という、かなり長い文が目に留まった。読み始めたらなかなか面白く、最後まで読んでしまった。

 藤村の『破戒』、『夜明け前』は読んだことはあるが、それ以外はない。しかし『新生』という小説は、読んだことはないがその内容は知っている。この文には、藤村の文学とその生が書かれているが、「その周辺」と銘打っているだけあって「周辺」のことも過去こまれている。

 藤村の妻の冬が亡くなったことから、幼い子どもたちの世話をするということから、姪(藤村の兄の子ども)の久子とこま子が藤村家にやってきた。久子はしばらくして結婚のために出ていき、こま子が残った。そのこま子と叔父である藤村とが結ばれて子までもうけてしまう。藤村は、兄に後事を託してフランスに逃亡する。それらのことを、藤村は『新生』という小説に書いた。こま子にとっては、その事実と、それが公にされたことから、この後数奇な人生を歩む。

 この文には、こま子のその後のことが詳しく書かれている。こま子は伯父が住む台湾に行ったり、自由学園で働いたり、さらに京都に行き、京大の洛水寮、その後京大社研の合宿所の賄い婦として働く。その間、学生運動で逮捕された学生たちの救援活動に入りこむ。そして10歳年下の京大生・長谷川博と同棲、そして一女をもうける。紅子である。紅子を私生児としたくない、ということから、長谷川と結婚する(1932年12月4日、1948年正式に離婚)。しかし何と、長谷川は別の女性と駆け落ちをしていった。

 こま子は、貧困の中、紅子を育て、同時に解放運動犠牲者救援会(現在の国民救援会)の活動を継続し、何度も逮捕されるが非転向で生き抜いた。しかし1937年3月、行き倒れ同然となり、「養育院」に収容される。退院後、こま子は木曽妻籠に。紅子は研究者となり、母・こま子を東京に呼び寄せた。

 さて、島崎藤村について、戦争協力の問題など言いたいことはたくさんあるが、ここでは長谷川博について書く。

 長谷川博は、『日本社会運動人名辞典』にでている。しかし、こま子はでていない。1903年に生まれた長谷川は、二高を経て京都帝大へ。河上肇、山田盛太郎らとの研究会を通してマスクス主義者となる。京大社研書記長、学連委員として学生運動のリーダーとなる。その後共産党に入党、何度か逮捕される。戦後は共産党再建幹部団の一員となり、党再建に従事。1951年から法政大学の教員となる。米騒動やパリ・コミューンなどの研究を行う。マルクスの『フランスの内乱』などを翻訳。

 長谷川博の法政大学時代のことを、政治学者増島宏が書いている。面倒見の良い学者であったようだ。その時の長谷川の伴侶は、章子という。平凡社につとめていたようだ。

 長谷川章子は、往年の学生運動の闘士で、戦後は京都大学人文科学研究所の図書係をしていて、その後岩波書店、平凡社の編集者となった。

 長谷川章子は、1960年に刊行された『戦後婦人運動史』Ⅳ(大月書店)の共著者でもある。長谷川章子「戦後日本の婦人運動」はその本に書かれているようだ。浦田大奨は「占領期における女性労働者問題と歴史把握」(熊本大学社会文化研究13 別刷 2015)で、長谷川をこう記している。

占領期が女性たちにとってどのような時代だったか。これまでもたびたび言及がなされているが、
女性史研究会(元、民科婦人問題部会)に所属し、出版社に勤務しながら女性労働運動研究をおこなっ
ていた長谷川章子は、女性たちのおかれた状況を女性労働者と女性団体に即しながら次のように区分
して説明している。
(1) 敗戦直後、「婦人の解放」「労働組合の団結権」指令の直後から、四六年末の「女性を守る会」
結成、二・一ストにいたる時期。
(2) 二・一スト禁止後、四七年三月、戦後第一回国際婦人デーから、四八年八月、平和確立婦人
大会をへてその年の末までの時期。
(3) 四九年はじめから、五〇年七月、婦団協(婦人団体協議会―註)結成、無期休会後まで
長谷川の区分を参照してみると、女性の解放が声高に叫ばれ、参政権の獲得や女性団体の結成が目
覚ましい(1)の時期から、レッドパージをはじめ、企業整備にともなう労働者の馘首や配置転換など、
(2)(3)にいたる逆コースへの転換の時期であることが指摘できる。長谷川は論考のなかで、この時期の
政治と「婦人運動」の動向をていねいに追っているが、概説論文という性格上、個々の女性たちの声
を拾いあげて論を展開するまでにはいたっていない。

 ここでは長谷川章子について言及することではないので、これ以上探索はしないが、この女性は、長谷川博と駆け落ちをした女性(当時21歳)であるかどうかはわからない。

 いずれにしても、藤村にしても、長谷川博にしても、こま子を踏み台にしたような気がする。踏み台にした者たちは、成功の階段をのぼる。無情である。

 この長い文を読んで、藤村よりもこま子に関心をもった。

 

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自治体史の著作権

2023-04-15 08:08:20 | 学問

 世田谷区で大きな問題が起きている。世田谷区では、新たに区史の編纂を始めているようだ。もちろん、そうした歴史の編纂に当たっては、市職員ができるものではなく、ある程度の専門性が求められるから、歴史研究者にその編纂を委嘱する。

 自治体史の編纂に当たって、委嘱された者たちの多くは、史料調査を行い、その史料を生かすために、その史料に関わる関連する文献を読み込み、あるいは当該自治体に住む方々から話を聞き、何を書くべきかを考え、文章にまとめていく。自治体史編纂に関わると、多くの時間と、また文献を購入するために多額のカネをつかう。まさに自治体史の原稿を書くことは、委嘱された者にとっていわば全身全霊をつぎこむ作業なのだ。もちろん、何を書くかは、委嘱された者の価値観に左右される。

 私もいくつかの自治体の歴史編纂の仕事をしてきたが、今まで一度も書いたものに関して修正を要求されたことはない。ただ一回、書いた原稿を送ったところ、なぜそういうことが書けるのかとクレームを受けたことがある。もちろん歴史というものは資料に基づいて書くわけであるから、まったく事実がないことを書くわけがない。私は、その資料は、当該市のホームページに掲載されてもいるし、市が発行するパンフレットにも書かれていることを指摘したら、当該市の担当者が謝罪に来られた。それには私もさすがに呆れた。

 世田谷区は、なにゆえに編纂を委嘱した者の著作権を奪おうとするのか。まったくわからない。委嘱した者には、とうぜん原稿料その他を支払うから、世田谷区は原稿料を払うということは著作権を得る、ということだと考えているのだろうか。しかしそれは間違いである。

 こういうことがあった。あるとき、自治体史の関係者から、私が書いた原稿(すでに自治体史として発行されている)をやさしく書き直すので、その許可が欲しいという連絡があった。私に著作権があるので、その対応は当然のことである。私はすぐに許可するという文書を送った。

 なお私は、自治体史であろうとも、書く内容については一切妥協しない。全身全霊を投入して書き上げるのだから、専門的(学問的)な見地からではない物言いを受け付けるわけにはいかないのである。

 世田谷区の区史編纂室には、歴史の専門家が入っているのだろうが、全時代について歴史の見地を持つ者はいないだろう。専門的な知見を持つからこそ、専門家が書いたものについては尊重するのである。

 そういう要請が来たら、私なら委嘱を断るが、それを問題にした研究者がいたからこうして報じられている。その研究者に委嘱しないという決定を、世田谷区が行ったという。

 これは大きな問題である。たとえば東京都なら都知事がそう考えていないからということで、関東大震災における朝鮮人や中国人虐殺が歴史叙述から消されることにもなりかねない。ネトウヨが否定する佐渡金山における朝鮮人の強制労働は「新潟県史」に書かれているし、東京都の過去の自治体史に関東大震災の際の虐殺も書かれている。歴史的事実は歴史的事実なのである。過去のそうした忌まわしい歴史的事実をきちんと踏まえたうえで、現在や未来をつくっていくのである。

 

 

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日本の能力

2023-04-14 20:02:15 | 政治

 日本のIT技術も、ミサイルの追跡も、一流国ではない。そんな国家が、マイナンバーとか「敵基地攻撃能力」とか、言うのも恥ずかしい。

 

“赤っ恥”Jアラート精度の低さ浮き彫り…改めて問われる「敵基地攻撃能力保有」の危うさ

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アメリカの軍事情報

2023-04-14 19:46:44 | 国際

 重大な軍事情報が漏れたということで大騒ぎになっている。どのような内容なのかは詳しく知らないが、騒ぐということはよほど重要な情報なのだろう。

 しかし若い州兵が、機密情報に簡単に接することができるというアメリカの軍事情報システムは、危険ではないか。

 そんなアメリカと、軍事的・政治的にのめりこんでいっていいのだろうか、日本は。

米情報管理の「穴」が露呈、21歳の下級兵士が機密情報にアクセス

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『逍遥通信』第八号

2023-04-14 17:34:31 | 

 帰宅して郵便受けを見たら厚い本が。誰かからの献本かなと思い開けてみたら『逍遥通信』第八号であった。

 『逍遥通信』との出会いは、第七号の「追悼 外岡秀俊」から。何かでその本の存在を知り連絡をとり送っていただいた。それについてはすでに書いている。内容については(続)で書いた。

 今日届いた第八号も、なかなかのボリュームである。パラパラと頁をめくってみたら、なかなかの内容で、質の高い雑誌を発刊できる「力」を感じた。こうした「力」はどのようにしたら発現するのだろうかと思う。

 『逍遥通信』は、札幌南高校の卒業生、外岡秀俊と同期が中心になっている。外岡は、在校中、この時期に全国各地で起きた高校紛争に入り込んだ。その時にともに行動した人たちが集まって刊行しているようだ。

 私もその高校紛争の渦中にあったが、そのとき、ともに行動した人たちは、近くにはいない。近くにいたらこの『逍遥通信』のようなものを発刊できただろうか。

 早速読んでみようと思う。

 

 

 

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