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子供の頃『日本の名城シリーズ』で模型を作ったことのある会津若松城に行ってきました。肥前名護屋城、熊本城に続き、わずか1ヶ月半の間に訪れた城はこれで3つ目になります。
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1611年、加藤嘉明によって五層六階の層塔型天守が立て替えられ幕末まで現存していましたが、1868年の会津戦争によって新政府軍の激しい砲撃にあい、1874年に廃城となって天守を含むほとんどの建物が取り壊されています。瀧廉太郎作曲の有名な『荒城の月』はこの廃城となった会津若松城がモデルであるという説もあります(この他、仙台の青葉城や大分の岡城、富山の富山城など諸説があります)。
現在見られる天守は昭和41年に加藤嘉明再建の天守を鉄筋コンクリートで再建したものです。
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城内に入ったとき、石垣がやけに立派過ぎるという印象を受けたのですが、天守台は下の写真の通り「野面積み」であったので、これらはすべて公園として整備されたときに復元したものと考えられます。無論天守台も会津戦争で相当被害を受けているはずなので再建時に組みなおされているはずです。
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天守台地階の「塩蔵」には唯一築城当時の石垣が残されています。
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天守閣はあくまで外観復興ですので、中は他の多くの城と同様、資料館のようになっていて展示物を除いて特に見るべきものはありません。
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しかし最上階からは会津若松市を一望でき、上の写真ではよく見えませんが、磐梯山も望めます(写真の赤枠線あたりが磐梯山です)。
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天守閣とつながる南走長屋と干飯櫓も2000年に再建されています。ただ、南走長屋の半分と干飯櫓はよく見るとそこだけ赤みがかった褐色の瓦が使われており、色が違います。これはちょっとみっともない気がします。
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南走長屋(写真上)と干飯櫓(写真下)内部の様子です。
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繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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