上平良地区で昭和20年代後期から昭和40年代前期に使用されていた荷車式の霊柩車がまだ残っていた。各部が朽ちかけているが車輪上には懸架重ね板バネが使用されており、さぞかし仏は乗り心地がよかったのでは・・・この霊柩車が通るために各地から火葬場までの狭い農道を地区の人々が総出で1間道に拡幅し、この道は焼き場道といわれていた。更新の活力になります! ポチッとね!
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